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私どもの新発田市(434km2,82,000人)は,新潟県北部の穀倉地帯にあり,飯豊連峰に発する加治川の清流に灌漑された扇状地の中心にある古い城下町である.400年前の慶長3年,加賀大聖寺(現加賀市)より溝口秀勝が6万石で入封され,城下町づくりに着手されたが,見はるかす蒲の沼地であったという.歴代の藩主は治水利水で農業を興し,教育文化に傾倒され,いまに伝統文化をのこし,市民の精神風土を築かれた.
新発田藩主が健康や福祉に関心の高かったことは有名で,日本で3番目に古い医学校があったこと,健康で長生きすると1年分の米を褒美として与えたことなどは,水戸藩の儒学者,長久保赤水が「新発田侯の仁政」として「和漢いまだかってあらざる事」と記録している.
新発田藩主が健康や福祉に関心の高かったことは有名で,日本で3番目に古い医学校があったこと,健康で長生きすると1年分の米を褒美として与えたことなどは,水戸藩の儒学者,長久保赤水が「新発田侯の仁政」として「和漢いまだかってあらざる事」と記録している.
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