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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生67巻5号

2003年05月発行

雑誌目次

特集 現代の保健所論・1

保健所の現在・未来

著者: 犬塚君雄

ページ範囲:P.334 - P.337

 戦後50年を経て,わが国の中央集権体制に制度疲労がみられ,国・地方を問わず行政改革に取り組むなか,保健所を中心に数多くの成果を上げてきた衛生行政も,例外となることなくその荒波に揉まれている.地方分権が進むなか,サービス提供のあり方,都道府県と市町村の役割分担のあり方,規制緩和と必置規制の見直し,福祉との統合などの点から,保健所のあり方が厳しく問われている.本特集ではこれらの論点に対して気鋭の保健所長がそれぞれ考え方を述べることとなっており,本稿で筆者は,総論的に基本的な考え方を記すこととする.

 

保健所をめぐる最近の課題

 最近の保健所をめぐる状況の変化で最大のものは,何といっても地域保健法施行以来続いている保健所の統廃合である.愛知県でも2度にわたる保健所の再編が行われた.1回目は地域保健法制定の趣旨に沿って保健所の機能強化策として行われたが,2回目は本県独自の行政改革の一環として,すべての部局対象の地方機関再編に巻き込まれる形で行われた.全国的に見て現在も保健所の統廃合が続いている理由としては,衛生行政のあり方を議論した結果に基づくものより,地方行政改革の影響が強いと考えられる.その結果,それぞれの保健所が所管する区域は拡大し,一部の機能は集中化され強化されたが,規模の拡大は保健所と市町村や住民との距離を遠ざけ,機能の集中化は行政改革の目玉である職員数の削減に利用され,保健所全体の機能強化にはほど遠い実態となっており,保健所のあり方が問われ続けている.

[座談会]保健所と保健所長

著者: 阿彦忠之 ,   山口亮 ,   桜山豊夫 ,   大神貴史

ページ範囲:P.338 - P.345

保健所の大胆な統合・再編の中で

阿彦(司会) 地域保健法の施行後,保健所は予想以上のスピードで統合・再編が進みました.全国の保健所数は,平成8年度当時の845カ所から平成14年度には582カ所となり,この6年間で3割以上減少しました.これに伴い,1保健所当たりの人員・組織が拡充され,管轄人口や面積もかなり大きくなりました.さらに保健所は,数や規模の変化だけでなく,組織形態を変えながらの再編が進んでいます.その一つが,福祉事務所との統合です.再編後は「健康福祉センター」あるいは「保健福祉事務所」といった名称が使われています.

 もう一つは,保健所を含めた保健福祉部門だけではなくて,農業,商工業,観光,および建設等に関する県の出先機関の大部分を地域ブロック単位で統合し,総合出先機関として再編されたものです.「地方振興局」あるいは「総合支庁」などの呼称が使われ,都道府県庁(本庁)から大幅な権限委譲を受けた,いわゆる「ミニ県庁」の中に,保健所も組み込まれたという形態です.山形県の場合は,二次医療圏と同じ区割りで4つの総合支庁が設置され,村山保健所は村山総合支庁の保健福祉環境部として位置づけられています.

地方分権と保健所

著者: 佐甲隆

ページ範囲:P.346 - P.349

 21世紀の日本は「地方分権」と「住民自治」の時代と言われる.地方自治体における公衆衛生と地域保健の拠点機関として活動してきた保健所も,分権の時代にふさわしい意識と活動形態が求められている.

 言うまでもなく,公衆衛生とは「組織された地域社会の努力を通じて」推進されるものであり,住民主体のヘルスプロモーション活動を進めるためにも,正しい地方分権の展開が,公衆衛生の発展に寄与することに疑いはない.

規制緩和と保健所―健康危機管理との関連で

著者: ⻆野文彦

ページ範囲:P.350 - P.354

 近年,わが国は阪神・淡路大震災(1995),東京地下鉄サリン事件(1995),堺市O157学童集団下痢症(1996),和歌山市毒物混入カレー事件(1998),東海村ウラン臨界事故(1999),雪印乳製品食中毒事件(2000),そして大阪教育大学附属池田小学校乱入殺傷事件(2001)と,毎年のように重大かつ深刻な事件が起こっている.これらはいわゆる「健康危機管理事例」と位置づけられ,それらに対する保健所の対応が注目され,さまざまな評価がなされている.

 健康危機管理事例に対処する場合,疫学調査や被害の拡大防止等において昨今の「規制緩和」や「個人情報の保護」と対立することがしばしば起こりうる.このような状況のなかで,保健所はどのような役割を果たすべきかを,保健所の現状を踏まえて考えてみたい.

大都市における保健所―堺市保健所の場合

著者: 福田雅一

ページ範囲:P.355 - P.357

 堺市は大阪府の中央部西寄り,大和川を隔てて大阪市の南に位置する人口80万人弱の都市である.中世より商業文化都市として栄えてきた歴史をもつ旧市街域,住宅地と農地の混在する周辺地域,戦後埋め立て造成された臨海部重工業地域,昭和40年代に南部丘陵地に拓かれた泉北ニュータウン等からなり,複合的性格をもっている.

 昭和30年代に周辺町村の編入が相次いだことや,その後の臨海地域やニュータウンの開発により,市域の拡大,人口の急速な増大をみて,昭和60年頃のピーク時には82万人近くの人口となったが,近年は微減状態にある.人口がピークを迎えた頃より,政令指定都市への移行を念頭に市内を6区域に分け,各区域に支所を設置する計画が進められてきた.平成8年には中核市の指定を受け,平成12年には6支所体制が完成した.現在近隣市町との合併構想も具体化しつつあり,これを契機に政令指定都市への移行を目指している.

大都市における保健所―横浜市都筑区福祉保健センターの場合

著者: 窪山泉

ページ範囲:P.358 - P.361

 保健と医療,福祉の連携の重要性については繰り返し強調されているが,平成7年の阪神淡路大震災後,改めて再認識されたと思われる.横浜市では,従来の保健所と福祉事務所が統合されて,平成14年1月に福祉保健センターが開設された.横浜市では福祉保健センター条例が制定されたが,この保健所と福祉事務所の統合に関する条例は,全国で初めてのものである.本稿では横浜市の福祉保健センター制度と都筑区福祉保健センターについて報告し,若干の考察を加える.

 

横浜市および都筑区の特徴

 横浜市は,面積434.43km2,人口350万人の政令指定都市である.18区から成り,各区の人口は8.0~29.9万人である.

 都筑区は横浜市の北部に位置し,面積27.88km2,人口16.5万人である.平成6年の行政区編成で,港北区,緑区より都筑区ができた.当初人口11万人であったが,8年間で40%増加した.毎年約7,000人の人口増加がある.出生数が2,000を超えるが,65歳以上の老年人口は8.4%と低い.区の北部と中央部は港北ニュータウン地域であり,区の南部は野菜や果実を中心とした農業が盛んで,鶴見川沿いの工業地帯では,ITなどの最先端企業の研究所や,工場が集積している.若いまちであるが,多様な面を有している.

保健と福祉の統合についての検証

著者: 高岡道雄

ページ範囲:P.362 - P.364

統合から分離・独立へ

 全国保健所長会が行った保健所と福祉事務所の組織統合のあり方に関する調査研究結果では,平成5年に広島県が保健所と福祉事務所の組織統合を全国に先駆けて実施し,以降,平成14年までに31府県が統合を行っている1).特に平成14年度は,8県が実施,保健と福祉の統合が主たる潮流になってきているように思われる.しかし一方で,平成15年度には保健所と福祉事務所の統合を解消し,独立させる動きも生まれている.

 このような分離・独立の動きを見ると,統合の必要性について「伝統的な公衆衛生」に立ち戻り,統合の理念から組織統合による課題までを検証することが必要であると考える.そのためにはまず,「伝統的な公衆衛生」の歴史の中で,保健福祉の統合がどのように位置付けられるかを考察の上,統合の理念について検証する.次いで統合組織における具体的な課題についても検討を加える.

保健と福祉の統合―仙台市の場合森泉茂樹

著者: 森泉茂樹

ページ範囲:P.365 - P.367

 時代は個人のニーズ,地域コミュニティの様態,組織形成など,あらゆる領域においてボーダーレス化している.保健と福祉の境界も流動化し,既存の枠組思考が通用しない時代になっている.それは行政の誘導のみによる人工的な流れでは決してなく,真の意味での多様性の時代を背景とした奔流であり,保健と福祉というそれぞれに歴史のあるアプローチも,その理念や方法論の違いを超えて,否応なく脱境界の波にさらされている.今この波に流されるのではなく,積極的にこれを受容し,変容していくことが,これからの保健所には必要なのではないか.

 こうした流れの中,仙台市では平成8年に本庁での保健衛生部局と福祉部局との統合が行われ,併せて保健所と福祉事務所が組織統合され,保健福祉センターとなった.本稿では7年を経た仙台市における保健所と福祉事務所の統合の実態を検証,紹介しながら,その課題について考えたい.

視点

公衆衛生の人づくり―バットを振らなければ場外ホームランは打てない

著者: 中村好一

ページ範囲:P.328 - P.329

 未だに未熟な身でありながら,人を育てる立場に立たされ,このような文章を書いている.結局は自分の経験に基づいたものしか書けない.したがって自分がどのように育てられたのか(決して育てた側の期待どおりではないが),ということが中心にならざるを得ないと居直り,しばし思うことを綴ってみよう.

 

統計学の教科書

 1986年に研修と称して1年間,現在の教室で遊んでいた私に,当時の柳川洋教授(現埼玉県立大学学長)から与えられた仕事の一つが,近所の保健師養成施設での統計学の講義であった.学校で渡された教科書が分厚くて難解で,とても使い物になる代物ではなかった.医局で「誰か初心者向けに統計学の教科書を書く人はいませんかねぇ」と言うと,柳川先生は「そんなものは自分で書くのです」と言い,それをきっかけにして生まれたのが『ヘルスサイエンスのための基本統計学』(南山堂)である.この本は刊行して15年が経過し,若干の改訂も行ったが,基本的な部分は相変わらず現役として通用している.なお,「自分で書け」という精神が骨の髄までしみこんでいることは,『基礎から学ぶ楽しい疫学』(医学書院)の前書きで述べた.

トピックス

SARSへの対応桜山豊夫

著者: 桜山豊夫

ページ範囲:P.368 - P.368

 中国広東省や香港を中心に,SARS(重症急性呼吸器症候群)が流行しています.SARSが感染症法に規定する新感染症として扱われることになり,東京都では4月6日に対策専門家会議を開いて,具体的な取り扱いについて検討を行いました.保健所では住民の不安をできるだけ取り除くとともに,疑わしい症例の発生時に適切な医療が確保されるように努める必要があります.その参考に供するために,この専門家会議での討議内容を基に,SARSへの対応について簡単に解説します.

 厚生労働省による報告基準では,SARSを疑い例と可能性例(基準は後述)に分けています.患者を診察した医師は,疑い例,可能性例ともに都道府県(保健所)にご報告(届出)いただくことになりますが,可能性例の中でも,臨床所見から特に可能性が強いと考えられる症例は,都道府県から厚生労働省に通報することになります.

特別記事

[インタビュー]生活習慣病改善に効果的な「変化ステージモデル」とは何か―考案者のプロチャスカ先生に聞く

著者: ジェームス・O・プロチャスカ ,   山田冨美雄 ,   堤俊彦

ページ範囲:P.369 - P.374

 「変化ステージモデル」に則った介入を行えば,標準的なプログラムに比べて,禁煙者が時間とともに有意に増加することが,プロチャスカ先生の研究によって報告されました1).地域住民である喫煙者739人を対象に行われたこの調査では,「前熟考期」の者には禁煙行動を求めず考え方の変化を賞賛し,「熟考期」の者に対しては小さな行動変化を考え出すなど,各変化ステージに合わせた介入を行いました.その結果,1.5年後には,通常の禁煙プログラム群に比べて2倍以上の禁煙率が得られました.

 一方,肥満糖尿患者を対象とした研究では2),介入群には普段食べている食事をベースにその一部を変更する方法を取り,個別に状況への対応策を話し合いました.食べ過ぎにつながる状況回避も練習するなど,「変化ステージモデル」を用いて「準備期」および「行動期」における適切な介入方法を実施した結果,コントロール群に比べて,運動量,コレステロール摂取量,体重,HbA1cの改善が6カ月まで持続しました(以上,文献7)より).

 これら生活習慣病の改善に効果的な「変化ステージモデル」とは,何なのか.昨年10月に「日本健康心理学会第15回大会(会長/春木豊早稲田大学教授)に招聘された,考案者のプロチャスカ先生にお話をお聞きしました.

特別寄稿

精神障害者施設コンフリクトへの対応―大阪府池田市での事例をもとに

著者: 柳尚夫

ページ範囲:P.376 - P.379

 地域の理解不足(偏見差別)から,知的・身体障害者や高齢者等が利用する施設開設に対して,地元住民の反対運動(以下,施設コンフリクト)が起こっているが,精神障害者施設についても例外ではない.他障害に比べ,精神障害者施設の基盤整備はまだまだ遅れていることから,施設コンフリクトは,各地で精神障害者の自立支援施設整備を進める上で大きな障害となっている.特に,2001年の附属池田小学校殺傷事件(以下,池田小事件)以来,地元の反対にあうケースが増えているという声を各地から聞いている.

 筆者は,池田小事件が起こった地元保健所長として,また精神科医として,健康危機管理の視点で,事件への対応について発表1)しているが,「施設コンフリクト」への対応についても,池田市および大阪府の経験を踏まえて記すことが必要であると考え,本稿をまとめることにした.

連載 医学ジャーナルで世界を読む・5

戦争・サプリメント・メディア報道

著者: 坪野吉孝

ページ範囲:P.330 - P.331

 米英軍によるイラク攻撃が開始された.本稿執筆時点(3月26日)で,首都バクダッドに向けて進攻の途上にある.ふだんは新聞の代わりに医学ジャーナルを眺め,世情に疎くなりがちな筆者も,メディアの伝える情勢の変化を注視している.

 とはいえ,日々の報道を追いかける以上に重要なのは,今回の戦争の背景にある要因を,正確に理解することだろう.そのために最近,米国マサチューセッツ工科大学の言語学者,ノーム・チョムスキー教授による一連の著作や講演録を,まとめて読んでいる.教授は,30歳ほどの若さで言語学理論の世界に革命を起こし,70歳を超えた現在でも研究を続けている.その一方で,ベトナム反戦運動が盛んになるずっと以前の1960年代初めから市民運動にコミットし,今日も積極的な発言を続けている.

水俣病から学ぶ・5

ファインダーから見た胎児性水俣病患者

著者: 塩田武史

ページ範囲:P.380 - P.383

 人生はほんのちょっとの出会いで決まるとよく言われる.その言葉に従うのなら,私の人生は水俣病の小さな新聞記事に出会ったことで始まった.

 その新聞の切り抜きを手に,水俣駅に降り立ったのが大学2年の夏.沖縄の原爆被爆者を訪ねての帰路だった.私は当時,東京の小さな被爆者勉強会に参加していて,広島,沖縄,台湾と,少しずつ,被爆者たちを訪ね歩いていた.机上の勉強より実際に現場に足を運んで,直接被爆者の声を聞こうとしていた.

介護保険下の公衆衛生活動を考える・14

こんなお宅がありました

著者: 関なおみ

ページ範囲:P.384 - P.386

男性(78歳):高血圧,変形性脊椎症,要介護1,独居,一軒家(バラック風小屋)

 

 倒壊寸前の1軒家

 「この家がある限り,絶対にここから立ち退かない」,これが彼の信念だった.しかし彼の家は,誰がどう見ても「家」と呼ぶには憚られる代物だった.民生委員から「倒壊寸前の小屋に住んでいる人がいる.悪臭などで近所からも苦情があり,区役所で対応してもらえないか」と保健福祉センター(以下,センター)へ連絡があった.雨の降りしきる秋の日,保健師はたまたま実習に来ていた医学生と共に訪問した.その家は大通りから離れ,駐車場の小道の奥に,両側を一軒家に挟まれ,ひっそりと建っていた.ガムテープで補強された扉の奥から現れた丸顔の住人に,「何かお困りのことはないですか」と尋ねると,「トイレの住宅改修をしたい」と言う.しかし見せてもらったトイレには便器や床すらなく,直接下水管が見えていた.

インタビュー・住民VOICE・2

精神障害の体験を語り社会にアピール

著者: 辰村泰治 ,   増田一世

ページ範囲:P.388 - P.389

増田 辰村泰治さんは1937年,満州生まれです.戦後,お父さんはシベリアに抑留された後,タシケントで死亡し,辰村さんはお母さんと兄弟とともに金沢に引き上げてきました.そしてお母さんも亡くなり,親戚の世話で東京の大学に進学し,前途を期待された青年でした.

 しかし,辰村さんによれば,「大都会の魔性に身を持ち崩し」,22歳で統合失調症(精神分裂病)を発症されたのです.精神病院の入退院を繰り返しつつも働いておられましたが,1976年に埼玉県の大宮駅で行き倒れになり,入院したのが大宮市内(現・さいたま市)の民間の総合病院精神科でした.病状はよくなったにもかかわらず,以来22年間の入院生活を送られました.1999年に,さいたま市内で精神障害者の地域生活を支える活動を展開している「やどかりの里」を足がかりにして,退院されました.辰村さんは現在,どのように暮らしておられますか.

米国の知的障害者サービスと脱施設化に学ぶ わが国の痴呆性高齢者対策への警鐘・8

米国の知的障害者サービスと研究活動(下)

著者: 武田則昭 ,   八巻純 ,   ,   ,   末光茂 ,   江草安彦

ページ範囲:P.390 - P.393

 前号にひき続き本稿では,脱施設化の進む米国で新たに取り組まれている研究活動(大学付属研究機関については前号)の特徴に関して紹介する.

 

研究活動の充実(つづき)

2. 脱施設化に関する研究

 行政当局や裁判所は,隔離・入所型サービスから地域型サービスへの転換を求める知的障害者・家族・その支援者たちに対して,その根拠を明らかにするように求めている.それを受けて米国では,知的障害者の地域生活に関する多くの研究が行われている.1980年から1999年の間,州立施設から地域へ移行した知的障害者を対象として,生活スキルや,適応行動の変化を調べた研究は30以上を数える1)

世界の公衆衛生に貢献した日本人先駆者たち-次世代へのメッセージ・2

世界の結核対策への日本の貢献(下)

著者: 島尾忠男

ページ範囲:P.394 - P.397

国際協力の発展期

 1970年代後半から90年代の初期までは,国際協力の発展期で,まず,海外医療協力のあり方が検討されました.OTCA(海外技術協力事業団)の中に1966年に初めて医療協力室が,70年には医療協力部が設置されました.この時期に臨時の海外医療協力委員会が組織され,今後の医療協力のあり方を検討することになりました.私も委員の1人としてラポルツール役を果たしました.

 1972年に答申がまとまりましたが,その内容は,プロジェクト型技術協力(以下,プロ技協)の推進,事前調査や評価の重要性,上級専門家の受け入れ,国際機関との連携強化,医療協力体制の強化など,現在行われているようなことがこの中に含まれています.

厚生行政ホントの話・5

WHO総会―新事務局長任命とたばこ対策枠組み条約

著者: 迫井正深

ページ範囲:P.405 - P.406

 今年の5月19日よりジュネーブで開催されるWHO総会は,2つの点で注目されている.

 1つは次期WHO事務局長の任命である.本年1月WHO執行理事会で選出指名された候補が全加盟国により総会で正式に承認され,7月に就任する運びだ.本欄でも紹介したが(本誌67巻1号),現職閣僚や国際機関事務局長など有力候補がひしめく中,接戦を勝ち抜いたその人,韓国出身58歳のJ.W. Lee氏は唯一のWHO生え抜きで,日本語堪能な知日家でもある.今や関係者の圧倒的支持を受けながら就任の時を静かに待つLee氏は,事実上の公約として“現場重視”,すなわち地域や国レベルのWHO活動の強化と,そのための組織と予算をジュネーブ本部から地域や国に移管することを掲げており,この具体化を含めた総会での所信表明に大いに注目したい.

 今ひとつの目玉は,たばこ対策枠組み条約(Framework Convention on Tobacco Control: FCTC)の採択であり,公衆衛生の歴史上,極めて重要な一里塚となるだろう.これまで6回の政府間交渉を経て今回採択に付される条約案は,WHOのもとで策定された保健分野で初めての多国間国際条約であり,たばこ対策を国際的に講ずるための第一歩と位置づけられているからだ.また,交渉開始から3年弱での条約採択は条約交渉としては異例のスピードとされ,加盟国および現ブルントラント事務局の熱意と努力の成果と言えるだろう.

資料

散発的に発生し,行政判断に苦慮したO157事例について

著者: 長谷川嘉春 ,   鶴田憲一 ,   中沢明紀 ,   吉田博 ,   大澤玲子

ページ範囲:P.398 - P.402

 腸管出血性大腸菌O157(以下,O157)は,時に集団感染を起こし社会的に大問題となることがあるが,その感染源・感染経路はさまざまである.1例を挙げると,2001年には調味過程で原料肉の表面汚染が内部へ浸透したことが示唆された牛たたきによる食中毒が生じている1)

 わが国では食中毒を「飲食物(食品添加物を含む)そのもの,および食品その他の器具容器包装を介して人体に入ったある種の病原微生物や有毒な化学物質などによって起こる,比較的急性の胃腸炎症状を主体とする生理的異常現象(まれに他の症状を主要徴候とすることもある)」と定義するのが一般的であるが,O157の場合には食中毒以外に,浦和市の幼稚園での井戸水を介した水系感染2),ヒトからヒトへの二次感染,保菌動物との接触による感染も知られている.腸炎ビブリオなど発病にある程度の菌量を必要とする疾患では,多くの場合,感染源は菌が増殖した食品であり,感染経路は経口感染である.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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