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文献詳細

雑誌文献

公衆衛生69巻6号

2005年06月発行

文献概要

特集 自然災害と公衆衛生活動

阪神・淡路大震災時の対応

著者: 後藤武1

所属機関: 1兵庫県病院

ページ範囲:P.445 - P.449

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保健・医療対応の経験と教訓

 1. 初動活動

 10年前の1月17日早暁,「兵庫県南部地震」に襲われた.当時,兵庫県保健環境部次長兼医務課長だった筆者は,家族の無事を確認し,自宅の被害はそれほど大したことはないと判断して,地震情報等は得られぬまま,約1時間後に自家用車で県庁に向かった.至る所で火の手が上がっていたが消防車の姿はなく,被災地は概して静かで,多くの被災者はただ押し黙って佇んでいた.信号は消えていたが,まだ交通渋滞も生じておらず,お互いに道を譲りながら比較的容易に県庁に着くことができた.県庁執務室の窓ガラスはすべて割れ,ロッカー等もほとんどが倒れていた.片付けもそこそこに,「兵庫県地域防災計画」を探し出して対応に取り掛かったが,テレビも映らず,電話は輻輳し,昼過ぎになっても職員の出勤は約2割といった有様で,被害状況すら把握できなかった.しかし,午前8時過ぎには「災害対策本部」が設置され,貝原俊民知事(当時)の指揮下,緊急対策が講じられることとなった.

 最終的に6,000人を超えた死者に対する「死体検案」の実施が,とりあえずの課題となった.兵庫県では一部地域に「監察医制」が敷かれており,早期に日本法医学会の協力も得られ,また,地元医師会の献身的な協力もあって,検案作業は比較的順調に運んだ.9割以上が窒息,圧死等による即死との検案結果から,医療による救命には自ずと限界があり,住宅の耐震化の有用性が強く示唆された.「遺体埋葬」に関しては,棺桶とドライアイスは何とか確保できたが,すべての遺体を被災地で早期に火葬に付すことには無理があった.結局,約1割をヘリコプター等で自衛隊等によって被災地外に搬送してもらい,発災後11日目に,神戸市を最後として,ほぼ火葬を完了することができた.

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1170

印刷版ISSN:0368-5187

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