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文献詳細

雑誌文献

公衆衛生74巻3号

2010年03月発行

文献概要

特集 公衆衛生再考

黎明期の公衆衛生―「大日本私立衛生会」を中心に

著者: 阪上孝1

所属機関: 1中部大学人文学部

ページ範囲:P.186 - P.189

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公衆衛生制度の導入

 明治4年から1年半,米欧の医学教育の調査を目的に岩倉使節団に随行した長与専斎は,米欧には「国民一般の健康保護を担当する独特の行政組織」があることを知り,これを「文明輸入の土産」として日本に導入しようと考えた(長与専斎『松香私志』,p133,平凡社,1980).明治6年に帰国して,文部省医務局長に任命された長与は,すぐに公衆衛生制度導入の準備に取りかかった.

 しかし当時のわが国の状況では,公衆衛生制度の実施など及びもつかないことだった.

参考文献

1) 明治7年の医師総数28,262人のうち,漢医は23,015人,洋医は5,274人である〔日本科学史学会(編)『日本科学技術史大系』第24巻,『医学(1)』,p143,第一法規出版社,1965〕
2) 衛生という語は明治8年に文部省医務局が内務省に移管される際に,長与が『荘子』に見えるこの語を健康保護の意味に転用して衛生局と改称したことによって,今日の意味で定着した.
3) 見市雅俊「衛生経済のロマンス」,阪上孝(編)『1848国家装置と民衆』ミネルヴァ書房,1985参照
4) 長与専斎「赤痢病に於ける医師の困難」,『衛生会雑誌』130号,明治27年3月
5) 『松香私志』,p178,医歯薬出版
6) 「大日本私立衛生会設立ノ趣意」,『大日本私立衛生会一覧』,明治28年,p11
7) 『大日本私立衛生会雑誌』1号,明治16年6月
8) 柴田承桂「衛生上,公私の区域如何」,『大日本私立衛生会雑誌』71号,明治22年4月
9) 長与専斎「衛生ト自治ノ関係」,『大日本私立衛生会雑誌』59号,明治21年4月
10) 「市区改正ハ果シテ衛生上ノ問題ニ非サルカ」,「鴎外全集」第28巻,岩波書店,1974

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1170

印刷版ISSN:0368-5187

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