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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生74巻4号

2010年04月発行

雑誌目次

特集 環境リスク

フリーアクセス

ページ範囲:P.265 - P.265

 環境問題は,公衆衛生の重要課題です.一昔前の環境問題と言えば,水俣病やイタイイタイ病など,特定地域における特定の原因による「公害」が主要なテーマでした.しかし最近は,様々な化学物質等が,環境を経由して,人々の健康や動植物の生育などに悪影響を及ぼすという「環境リスク」が注目されています.

 いわゆる「公害」との違いの1つは,環境リスクの影響が広域的であり,地球規模の問題となりつつあることです.たとえば水俣病は,メチル水銀を原因とする特定地域の公害でしたが,最近は魚介類摂取を介した低濃度水銀曝露が問題となっており,その影響は地球規模です.また,環境リスクの場合は,原因者が不特定多数であり,一般市民の活動も環境汚染等をもたらす構図となっています.

多様化する環境リスクの評価とこれからの方向

著者: 益永茂樹 ,   村田麻里子

ページ範囲:P.266 - P.269

 環境リスクとは,人の活動によって環境に加えられる負荷が環境中の経路を通じ,環境の保全上の支障を生じさせるおそれ(人の健康や生態系に影響を及ぼす可能性)を言う.

 本稿では,化学物質によってもたらされる環境リスクを対象とする.前半では,環境リスクに関連する化学物質管理の国内外の動向と,化学物質の審査および製造等の規制に関する法律(以下,化審法)の今般の改正の意義を解説する.後半では,リスク評価に加えて,便益評価の重要性を解説するとともに,その事例を紹介する.

化学物質の多重曝露と複合影響の環境リスク評価への試論

著者: 鈴木規之

ページ範囲:P.270 - P.274

化学物質の多重曝露から複合影響に至る環境リスク評価の現状

 現代の環境中には多数の人工化学物質が存在する.また,それ自体が人工でなくても,人為活動による何らかの反応で副生成したり,または人為活動の結果として環境中の存在状況が大きく変化している物質も存在する.ここでは,これら主に人為活動に起因する多数の化学物質によって,人あるいは生物が同時に曝露されている状態を多重曝露と考えることにする.

 多重曝露とはやや聞き慣れない言葉であろう.複合曝露と言うほうが一般的かもしれない.複合曝露は多重曝露と似た意味のように思われる.しかし,あるいは単なる曝露だけではなく複合影響を示唆する意味合いを持つ言葉とも考えられる.ここで複合影響とは,生物の体に対して複数の異なる影響が同時に現れたときにその総体としての影響を指す概念と考えられるが,複合影響の定義も必ずしも明確でない.複数の化学物質によって,異なる影響が同時に発現する結果として起こる影響全体と考えることも可能であるし,あるいは化学物質と他の何らかの生体作用の複合として複合影響が考えられる場合もあり得る.いずれにしても,環境中に多数の化学物質が存在し,それによる多重曝露の状況が存在することはほぼ自明であろう.そして,多重曝露のために,何らかの影響あるいは複合影響が存在するかもしれないという懸念もまた,懸念としては考えられるものである.しかしながら,仮に多重曝露の状況が明らかであっても,その影響やリスクを推定するのは難しい.その主な理由は,多重曝露の結果によって起こるかもしれない,影響もしくは複合影響の評価方法が定まっていないことにあると考えられる.

内分泌かく乱化学物質に関するリスク評価と研究成果の最新の動向―ビスフェノールAを中心に

著者: 遠山千春

ページ範囲:P.275 - P.278

はじめに

 内分泌かく乱化学物質(以下,「環境ホルモン」)問題が社会問題化するきっかけとなった書籍は,Theo Colborn氏らによる『Our Stolen Future』(1996),邦訳『奪われし未来』(1997)であった.「環境ホルモン」については,ヒトや野生生物の健康に悪影響があるのかどうか,そのメカニズムは性ホルモン受容体を介したものであるのかどうかなど不明な点が多かった.1998年に環境省がSPEED 98事業で,内分泌かく乱作用があると疑われる化学物質として検討対象にした物質は67物質であった.このうち「環境ホルモン」としてもっとも注目を浴びてきた物質は,ポリカーボネート樹脂やエポキシ樹脂の原材料であるビスフェノールAである.

 他方,ほぼ同時期に,これとは独立してダイオキシン問題も社会問題化した.多くの焼却場から当時の基準をはるかに超えるダイオキシンが環境中に放出されていること,これにより健康被害がただちに生じるとの懸念が広がっていた.ダイオキシンとその関連化合物は,ダイオキシン類特別措置法(1999年施行)で,別途,行政的な対応がなされることになった.

 本稿では,紙幅の関係から,「環境ホルモン」の代表例としてビスフェノールAを取り上げる.

メチル水銀曝露の多様性と健康リスク

著者: 村田勝敬 ,   坂本峰至 ,   佐藤洋

ページ範囲:P.279 - P.283

はじめに

 平成15年6月3日に厚生労働省より発表された「水銀を含有する魚介類等の摂食に関する注意事項」以後,メチル水銀の健康影響に関する怪情報が世間を騒がせた.マスメディアによるキンメダイやサメを食べるとあたかも水俣病になるが如き報道の混乱も当初あった.しかし,喉もと過ぎれば人々の関心も薄れる.昨今の現役医学生に「メチル水銀について何か知っている?」と尋ねても「過去に水俣病がありました」と受験勉強で知り得た知識以上のことは出てこない.その当時から今日まで生き続けている言葉と言えば「リスクコミュニケーション」と「食品安全委員会」(平成15年7月1日設置)くらいであろう.

 日本の高度経済成長期に突入する前の昭和31年5月1日に公式記録された水俣病は,チッソ水俣工場から排出された高濃度メチル水銀に汚染された魚介類を多食した人々に発症したメチル水銀中毒である.成人型水俣病は感覚障害,運動失調,視野狭窄などの中枢神経症状を主徴とした.胎児性水俣病では新生児期から発育・運動機能の発達遅延の他に,脳性麻痺に酷似した症状を示し,小児期以後は知能,神経機能の両面の発達の遅れが著明であった.このような臨床徴候が揃っている重症患者におけるメチル水銀中毒の鑑別診断は比較的容易であるが,症状が一部しか見られない場合に診断は困難を窮める1)

 本稿では,水俣病やその補償・救済の歴史などには触れず,低濃度メチル水銀曝露の神経および心血管影響に焦点を当てたリスク評価の最前線を述べる.また,メチル水銀中毒に近い臨床症状を示す金属水銀をめぐる最近の話題にも触れる.

農薬による環境汚染への対応

著者: 小澤邦壽

ページ範囲:P.284 - P.288

 農薬による環境汚染として,水,土壌,大気への汚染が考えられる.これらのうち,水系汚染については,農地やゴルフ場からの農薬の流出が河川水,地下水の汚染の原因となり得るものの,現状では日本国内で問題となるような深刻な汚染の報告は見当たらない1~4).一方,土壌については,有機塩素系の農薬(DDT,BHC,ディルドリンetc.)が過去に大量に使用あるいは投棄された事実があるが,生態系に影響を及ぼすほどの残留はないと考えてよい5).したがって農薬による環境汚染で残る課題は,大気(室内空気を含む)の汚染ということになる6).農薬の大気汚染の問題点はいくつかあるが,その1つに,有機リン系農薬の規制の問題がある.欧米先進国では有機リン系農薬の規制が年々強化されており,その大部分がすでに使用禁止となっている.これに対し,日本ではいまだに有機リン系農薬は,最も主要な殺虫剤として広く一般に使用されており7),現時点でわが国と欧米とでは有機リン規制に関して対照的な情勢にある.問題点のもう1つは,無線操縦の小型無人ヘリコプター(以下,無人ヘリ)を用いた高濃度の農薬散布という,わが国独自の方法による大気汚染源の存在である.

 このようなわけで,本稿では「有機リン系農薬の規制」と「農薬の空中散布」の2つの問題点に焦点を絞って,日本の農薬汚染対策の課題を講じることとしたい.

室内環境汚染と健康リスク

著者: 東賢一 ,   内山巌雄

ページ範囲:P.289 - P.294

はじめに

 1990年代に入り,いわゆるシックハウス症候群等,化学物質による室内環境汚染が原因とされる居住者の健康問題が社会的に大きくなった.その主な背景は,省エネ対策による建物の高気密化と化学物質を放散する建材の使用量が増加したことにあると考えられている.そこで日本では,13種類の化学物質に対して室内濃度指針値が策定され,2種類の化学物質が建築基準法で使用規制されるなど,いくつかの対策が行われてきた.その結果,これらの化学物質濃度は減少し,室内環境汚染は大きく改善されてきた1).しかしながら,国内外での研究によって,近年新たな課題が指摘されてきた.本稿では,室内環境汚染による健康リスクについて,近年の研究成果や国際的な取り組みを紹介するとともに,今後の取り組むべき課題について言及する.

シックハウス症候群に関する研究の現状と今後の課題

著者: 岸玲子 ,   荒木敦子

ページ範囲:P.295 - P.299

はじめに

 生活環境の中で,水,食と並んで空気質は毎日の生活の中で曝露する重要な環境要因である.90年代まで日本では「シックビル症候群」の頻度は少なかった.その理由は1970年にビル管理衛生法がいち早く制定され,一定面積以上の建築物では室内粉じんなどの測定や,室内の機械換気による制御が適切に行われてきたためである.ところが,省エネルギーをめざして一般住宅でも高気密・高断熱化が進むにつれ,1990年代後半から「シックハウス症候群(Sick House Syndrome:SHS)」が全国で大きな社会問題となった.住宅の構造は気候と密接に関係し,また文化的,歴史的な特徴もある.そこで,わが国で地域を基盤とした疫学研究が重要となってくる.

 筆者らは,一般住宅を対象とし,室内環境要因と症状の出現との関連を明らかにし,具体的対応策に役立てることを目的として,2001年から疫学研究をスタートした.過去10年,班研究で実施した疫学研究を振り返ると,すでにわが国で多くの知見が明らかになってきている.そこで本稿では,シックハウス症候群に関するわが国のこれまでの研究と,今後の課題を整理することとする.

医薬品類による環境汚染の現状と課題

著者: 篠原亮太

ページ範囲:P.300 - P.304

はじめに

 Chemical Abstracts Serviceに登録された化学物質は,2008年の時点で40千万種を超えている.このような膨大な化学物質は,われわれに近代的な生活を提供してきた反面,PCB(ポリ塩化ビフェニル)によるカネミ油症事件やDDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)などの塩素系農薬汚染問題,外因性内分泌撹乱物質問題など様々な化学物質による汚染問題を引き起こしてきた.われわれはこのような事例を通し,化学物質の使用方法や管理方法を誤れば,ヒトへの健康被害のみならず,生態系全体に致命的な影響を与えることを学んだ.しかし,産業活動や日常生活における化学物質の役割は極めて大きく,化学物質の生産量や使用量はますます拡大の傾向にある.これら化学物質の環境リスクを低減するには,その効果的な処理方法を開発し,さらに環境中での挙動を事前に調査する必要が求められている.

 本稿では,化学物質の中で,現在,新興汚染物質として注目を集めている医薬品類の環境汚染の現状と課題を紹介したい.

ナノテクノロジーと環境リスク

著者: 西村哲治

ページ範囲:P.305 - P.308

はじめに

 20世紀後半のマイクロテクノロジーの世界から,21世紀はナノ(1nm:1mの10億分の1)テクノロジーの世界になると言われ,ナノメートルサイズのスケールで現象を理解し,物質の構造や配列を制御し,ナノメートルサイズの物質を取り扱うことにより,新しい性質や機能を利用した技術革新が期待されている.ナノサイズの物質(ナノ物質)はナノテクノロジーの重要な役割を担う新規物質・材料と考えられる.このナノサイズの物質を材料(ナノ材料)として取り扱おうとしている分野は多岐にわたっており,すでにわれわれの身の回りの一般家庭用品や食品にも使用されてきている.今後その適用範囲は拡大していくものと思われる.これらの製品を使用することで,われわれがナノ材料に直接接する機会が増加すると共に,使用後の廃棄物から環境中への放出が予想され,環境リスク評価への関心が高まっている.

 本稿では,工業用に生産,使用されるナノ材料に焦点を当てて,環境リスクについて概説する.なお,ジーゼル排ガス中に含まれるナノサイズの微粒子など,非意図的に生成されるナノ粒子に関しても重要な課題はあるが,ここでは割愛させていただく.

視点

公衆衛生行政の中の地方衛生研究所の位置付けとこれから

著者: 吉村健清

ページ範囲:P.262 - P.263

はじめに

 1967年に大学を卒業して以来,筆者は大学の場で疫学,公衆衛生を専門として予防医学の教育・研究にあたってきた.2004年4月に縁あって地方衛生研究所に勤めることとなった.大学時代の友人の質問,「保健環境研究所って何をしているの?」.私自身,赴任した研究所とはもう何十年も仕事上の交流がありながら,地方衛生研究所(以下,地衛研)の全貌についてほとんど知らなかったことに気づかされた.

 そこで,これまでの自分の不明を恥じながら,本稿では公衆衛生行政(厚生労働省,国立研究所,地方自治体,保健所など)の中での地衛研の役割について述べ,今後の望まれる姿について触れたい.

特別寄稿

第68回日本公衆衛生学会(奈良総会)報告―健康をまもる社会基盤の再構築―安全・公正・交流―

著者: 車谷典男 ,   佐伯圭吾

ページ範囲:P.309 - P.313

 会員8,600人を有する日本公衆衛生学会は,公衆衛生分野における国内最大規模の学会である.その第68回総会の学会長と学術部会事務局を昨年担当させていただいた.2007年の愛媛総会で奈良開催の正式承認を受けてから,準備に向けての試行錯誤と緊張は,一昨年の福岡総会を経て2年に及んだ.幸い,奈良県,奈良市を始めとする全国の自治体と,日本公衆衛生学会理事会,そして学会員の多大なご支援を得て,全ての企画を予定通り無事終えることができた.

 今回,表題について執筆の機会が与えられたので,奈良総会を振り返っておきたいと思う.

連載 保健所のお仕事―健康危機管理事件簿・1【新連載】

集団胃腸炎への対応―(平成14年度)その1

著者: 荒田吉彦

ページ範囲:P.316 - P.319

 「なんで,そんなに気軽に仕事を引き受けるんですか!」と周囲からよく言われます.あとで大変な目に遭うのがわかっているのに,私には仕事を断るためのスキルが欠けているようです.断れない心のメカニズムとしては,あまりにも長かった学生生活に対する後ろめたさがあるのかもしれません.永遠に続くかと思えた学生時代を終え,現在の職に就いたのは31歳の時でした.

 今回も編集部からの「連載をしませんか?」との申し出を受けて,気軽に引き受けてしまいましたが,初回からすでに原稿締め切りに遅れ,関係者の皆様にご迷惑をおかけしています.こんなことで続けることができるのかという不安もありますが,どうぞよろしくお付き合いのほどお願いいたします.

トラウマからの回復―患者の声が聞こえますか?・1【新連載】

語りが与える患者の居場所

著者: 池田純一

ページ範囲:P.335 - P.339

 JUST(日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン)に来る人.それは現在生きづらさや悩みを抱えており,それが過去のトラウマによるものだと気づくことができた人達です.今号からスタートする連載は,いわゆる「患者」と呼ばれる人(JUSTでは「仲間」と呼びます)が,各号1人ずつ登場し,自分の人生について感じたこと,考えたことをありのままに表現します.

 読者の皆さんに,私たちの語りはどのように聞こえますか? 病気とは,悩みとは,回復とは,援助とは,何でしょうか? 連載の中で少しでも共鳴できる部分があるとするならば,皆さんと私たちは,実はそれほどかけ離れた世界を生きているわけではないのかもしれません.

 本連載を機に,皆さんが「患者とは何か」,「援助とは何か」について,共に悩み,考えてくださることを期待しています.

お国自慢―地方衛生研究所シリーズ・1【新連載】

北海道立衛生研究所の特色

著者: 長井忠則

ページ範囲:P.344 - P.347

 2009年4月,メキシコから発生した新型インフルエンザは,航空交通手段の発達に伴ってグローバル化した地球上の各国に瞬く間に拡大し,7月1日WHOは「パンデミック(H1N1)2009」を宣言した.昨年のゴールデンウィークの幕開けは首都圏国際空港の未曾有の検疫体制の強化で始まった.病原体の性状が明らかになるまでの国立感染症研究所の精力的活動が,その後の行政的判断に大きく貢献したことは衆目の認めるところである.そして,インフルエンザの国内への浸淫に伴って,全国の自治体が設置している地方衛生研究所の存在が注目されてきた.

 地方衛生研究所の地域特異性をテーマにした「お国自慢シリーズ」の新連載に当たり,『公衆衛生』誌の読者の皆様に,北海道立衛生研究所の特色を紹介したい.

人を癒す自然との絆・9

コミュニティ・ガーデンに居場所を見つけて

著者: 大塚敦子

ページ範囲:P.314 - P.315

 アメリカ北西海岸のシアトルから南に約40分ほど行ったところにある,中規模の地方都市タコマ.ダウンタウンに近いヒルトップ地区には,「グアダルーペ・ガーデンズ」と呼ばれる7つのコミュニティ・ガーデンがある.1990年代半ば,「カソリック・ワーカーズ」という市民運動の団体が中心となって,ゴミ捨て場や麻薬常習者たちのたまり場と化していた空地を片づけ,これらの庭を作った.

 ヒルトップ地区は,以前は麻薬中毒者やホームレスの人々がたむろし,通りすがりに人を撃つドライブ・バイ・シューティングなども頻発する危険な地域だったという.それが,庭ができ,「カソリック・ワーカーズ」の有志や市民が,ホームレスの人々とともにオーガニックの野菜作りを始めてから,それまでこの地域には近づかなかった人たちが訪れるようになった.CSA(Community Supported Agriculture)という日本の生協に似たシステム(自分がサポートする畑の収穫物を直接買う)を始めて以来,新鮮なオーガニック野菜を買いにくるミドルクラスの人たち,庭仕事を手伝いにくるボランティアの学生たちなどの往来で,地域の雰囲気はずいぶん変わったという.

働く人と健康・16―過労死・自死相談センター代表の立場から①

過労死・自死相談センターの活動

著者: 上畑鉄之丞

ページ範囲:P.320 - P.324

国立公衆衛生院退職とその後

 21世紀が始まった2001年,筆者は国立公衆衛生院を退職した.国の試験研究機関の再編で国立病院管理研究所と合併して新たに国立保健医療科学院が誕生,埼玉県和光市に新築移転した年である.移転後の1,2年は新しい機関の立ち上がりを見守りたいと考えていたが,肩たたきがかかった以上,退職はやむを得なかった.ただ,筆者のライフ・ワークの過労死問題に,思い切り取り組めるという気持ちも強かった.

 筆者が過労死問題に取り組み始めたのは1970年代後半で,杏林大学衛生学教室の頃.1987年に国立公衆衛生院に移ってからも「労働者のストレス総合調査」や日本産業衛生学会の「循環器疾患の作業関連要因検討委員会」など前半は大きな仕事をしたが,後半は国立公衆衛生院内の教育研修や機関の再編・移転に追われ,過労死の労災意見書にもほとんど手がつかなかった.それでも,86年に,東京の弁護士たちと始めた年4回の「ストレス疾患労災研究会」への出席とニュースレター「健康と安全」(年4~5回)の編集はかろうじて続けていたし,職場の保健活動に従事する産業保健師たちとの勉強会「産業保健勉強会」への出席も続けていた.

地域保健従事者のための精神保健の基礎知識・4

自殺問題から明らかになる精神科医療・精神医学の課題

著者: 松本俊彦

ページ範囲:P.325 - P.329

総合的な自殺対策のなかの精神科医療

 わが国の自殺による死亡者数は,1998年に3万人を超えて以降,11年間にわたって高止まりのまま推移している.その背景にはバブル崩壊後に急増した多重債務や過重労働,さらに最近では,リーマン・ショック以後に問題化した雇用の悪化といった社会的要因の影響が大きいと言われている.こうした認識に基づいて,現在わが国では,自殺対策を精神保健的対策に限定せずに,総合的な対策として進められている.自殺総合対策大綱において「総合」という言葉がついているのは,まさにそういった理由からである.しかし,穿った見方をすれば,その裏には,これまでの国の自殺対策があまりに精神保健領域に偏っていたという反省がある.確かにわが国には,長い間自殺対策をうつ病対策にすりかえてきた暗い歴史があることは否めない.

 ところで精神保健に限定しない「総合対策」とは,読み方を変えれば「精神保健的対策だけでは自殺は防げない」ということを前提とした対策と理解することもできる.このことは,自殺リスクの高い精神障害と日常的に対峙する精神科医療の責任が軽減したことを意味するのであろうか?

保健師さんに伝えたい24のエッセンス―親子保健を中心に・13

親子保健は保健の牙城であり続けられるか?

著者: 平岩幹男

ページ範囲:P.330 - P.334

 本連載も2年目に入りました.第1回でもお話ししたように,保健師さんたちに聞いてみると「親子保健の仕事をしたい」という意見が多いことからも,親子保健をめぐる領域はいわば保健の原点とも感じられている方が少なくないと思います.しかし現在では,これまでに感じていた親子保健の仕事と実際とが,少しずつ変わってきているのかもしれません.

リレー連載・列島ランナー・13

現場に活かせる過重労働対策をめざして

著者: 川波祥子

ページ範囲:P.340 - P.343

 JR東海健康管理センターの平村梓様からバトンを受け取りました.

はじめに

 私が現在勤務している研究所は,北九州市にある産業医科大学のキャンパスの一番北に位置します.大学正門から見ると敷地の一番奥まった場所になりますので,初めて訪ねてこられた方は「こんな所にあるのですね」とやや驚いたようにおっしゃることもあります.このように書きますと,一見,第一線の労働現場からは,遠い場所でこもって研究をしているというイメージを持たれるかもしれませんが,実際には実に多くの学内外の方々が研究所には出入りしています.例えば,卒業生で専属産業医となられた先生方.一緒に研究に参加して頂いたり,研究を行う対象事業場としてご協力を頂いたりすることもありますし,社会人大学院生として研究をしに来られる先生もおられます.私や上司の堀江正知教授も以前は専属産業医として勤めていましたので,その頃の経験も交えて討議することも多くあります.また,時には企業の製品開発の方と新しい製品を労働現場で活用できないか,といったテーマで研究を行うことがあります.もちろん,私たち自身が事業場に赴き,フィールド実験や調査を行うこともあります.毎年秋には医学部の学生が研究室に配属され,彼らを指導しながら一緒に研究を進めていくのも楽しい時間となっています.今回,執筆の機会を頂いたのは,このような交流などでご縁のあったJR東海の産業医,指原俊介先生からのご紹介によるものです.

 さて,私の所属する産業保健管理学研究室では,主に労働衛生の政策に関する研究,それから騒音や暑熱,筋骨格系の負荷といった物理因子による労働者への健康影響に関する研究という2つの大きなテーマを取り扱っています.その中で,本稿では,平成16年から厚生労働省の労働安全衛生総合研究事業として行われている,過重労働対策に関する研究活動について紹介させて頂きます.

衛生行政キーワード・64

「高次脳機能障害」について

著者: 高城亮

ページ範囲:P.348 - P.350

はじめに

 高次脳機能障害とは,外傷性の脳損傷や脳血管障害などの後遺症として,記憶障害,注意障害,遂行機能障害,社会的行動障害などを伴う障害です.こうした高次脳機能障害を持つ方は,障害そのものによる生活上の困難に加え,外見上わかりにくいという特性もあり,当事者,家族だけでなく,周囲の人々もどう対応してよいか困惑することが多い.したがって,高次脳機能障害を持つ方が安心して地域で暮らしていくためには,医療従事者,障害福祉サービス事業者,自治体職員,家族,当事者と接する関係者が,適切な知識を共有して当事者を支えていくことが必要です.

 本稿では,こうした高次脳機能障害について,現状や国等の取り組みや,高次脳機能障害の方が活用可能なサービスの例を紹介します.

路上の人々・4

3個のウサギ籠

著者: 宮下忠子

ページ範囲:P.355 - P.355

 A公園の片隅には,男性の路上生活者が20人位いる.青いテントを張りお互いに助け合って生き抜いている.その公園で,某氏と私は,ある男性から厳しい生活状況を聞いていた.その時であった.突然,公園の入口から園内に,手押し車に山積みにされた荷物を毛布で覆い,右手で必死に押さえた中年女性が入って来た.一同は驚いた.すぐに人の輪が出来た.

 女性は,不安と疲労の入り混じった顔で,「S公園に居たのだけど,男に追い出されたのよ」と哀願した.山積みの荷を覆った毛布からはみ出た荷は,何と3個の金網籠である.

公衆衛生「書評」

「Disease人類を襲った30の病魔」 フリーアクセス

著者: 岩田健太郎

ページ範囲:P.329 - P.329

 「将来の人々は,かつて忌まわしい天然痘が存在し貴殿によってそれが撲滅されたことを歴史によって知るだけであろう」[トーマス・ジェファーソン.エドワード・ジェンナーへの1806年の手紙,本書134頁より(以下,頁数は本書)]

 われわれは,ジェファーソンの予言が1979年に実現したことを知っている.個人の疾患は時間を込みにした疾患である.社会の疾患は歴史を込みにせずには語れない.目の前の患者に埋没する毎日からふと離れ,俯瞰的に長いスパンの疾患を考えるひとときは貴重である.

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あとがき フリーアクセス

著者: 阿彦忠之

ページ範囲:P.356 - P.356

 本号の企画案を作成したのは昨年の9月.特集テーマの選定に悩んでいたところ,約1か月後に迫っていた第68回日本公衆衛生学会総会(奈良)の開催案内が目にとまりました.ここからヒントを得ようと思いプログラムを見たところ,「アスベスト問題から学ぶ公衆衛生」と題する学会長講演のほか,特別講演の「環境政策と公衆衛生~古典を読み現場に学ぶ」や,シンポジウムの「健康影響が懸念される新たな環境変異を予見する」などの題名が興味をそそりました.

 公衆衛生の重要分野である「環境保健」について,専門誌として少なくとも年1回はクローズアップしたいという私の思いとも同調して構想が膨らみ,今回の企画に至りました.本号の発行月に改正化審法が施行されるというタイミングも考慮して,テーマを「環境リスク」と決めましたが,喉もと過ぎれば…で関心が薄れていた「環境ホルモン」や魚介類摂取に伴うメチル水銀曝露など,リスク元となる化学物質の多様性はもちろん,その影響に関する多様性も含めて幅広い視野から最新の研究成果を学べる内容となりました.執筆依頼のわずか数日後に玉稿をお届けいただいた先生もおり,アクティビティの高い先生方が多い分野だな…と感心した次第です.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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