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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生74巻8号

2010年08月発行

雑誌目次

特集 検証「パンデミックインフルエンザ2009」

パンデミック対策における不確定要素と政策決定

著者: 西村秀一

ページ範囲:P.676 - P.680

 未来は不確定要素だらけである.現実社会において,とくに行政では,それを前提に不確定要素の占める割合を小さくする努力がなされる.一方,不確定要素だらけの課題であることを知った上で,敢えて何らかの対策を実行せざるを得ない事態に追い込まれることは珍しくない.新型インフルエンザ関連の事例の中に,その典型例を見ることができる.

 筆者は,米国で1976年に起こった豚インフルエンザ騒動とそれに対する論評,『The Epidemic That Never Was』(ハーバード大の2人の学者,ニュースタットとファインバーグによる名著)の邦訳を昨年上梓した1).そうした不確定要素をめぐる科学者と行政,政治家のかかわりが書かれているので,ぜひお読みいただきたい.本稿では,これも参考に,今回の2009年豚インフルエンザの出来事を考えてみる.

パンデミックインフルエンザ(H1N1)2009に対するワクチンの評価と新ワクチン開発に向けた展望

著者: 山本典生 ,   中村一哉 ,   浜本いつき ,   田代眞人

ページ範囲:P.681 - P.686

はじめに

 2009年,世界は新しいインフルエンザウイルス(以下,H1N1pdmとする)によるパンデミックを経験した.本稿では,まずH1N1pdmに対するワクチンの評価について論じ,次いで新ワクチンの開発について論じる.新ワクチンの開発は,細胞培養ワクチンとその他の開発に分けて論じることとする.

パンデミックの出現に関する展望と今後の対策

著者: 喜田宏

ページ範囲:P.687 - P.690

要旨

 鳥インフルエンザ,ブタインフルエンザおよび新型インフルエンザは,いずれも,ヒトの病名ではない.すべてインフルエンザウイルス感染症,すなわち「インフルエンザ」である.インフルエンザの本質とこれまでのパンデミックインフルエンザの発生と流行の事実を踏まえ,今後のその出現に備える対策を講じたならば,昨今の無意味な混乱は避けられたであろう.日本だけで毎年数千名を死亡させ,少なくとも数百名に脳症,多臓器不全を起こしている,季節性インフルエンザの克服こそが,パンデミックインフルエンザ対策の基盤である.特に,現行のインフルエンザワクチンは,反応(自然免疫応答を含む)を除くことに主眼が置かれ,免疫力価を犠牲にして開発されたものであり,これが40年間何の改良もなされず今日に至っている.ワクチンの抜本的改善は,必須にして喫緊の課題である.

パンデミック(H1N1)2009~対策現場からの検証

①保健所の新型インフルエンザ対策に関する課題―全国保健所長会の協力による調査結果を踏まえて

著者: 緒方剛

ページ範囲:P.658 - P.661

 全国保健所長会では,新型インフルエンザ発生後に,その対策に関して保健所へのアンケート調査などの活動を行ったので,本稿ではその概要をご紹介する.

②新型インフルエンザ対策に関する課題と今後のあり方―保健所(公衆衛生行政機関)の立場から

著者: 白井千香

ページ範囲:P.662 - P.666

はじめに

 神戸市では2009年5月に海外渡航歴のないインフルエンザ患者から,豚インフルエンザ(A/H1N1)をPCR検査により確認し,国内初発の新型インフルエンザ対策を経験した.国の行動計画によるガイドラインに基づき,神戸市が設置した「発熱相談センター」の利用および「発熱外来」への受診は,国内発生直後から爆発的に増大し,感染症に対する市民の不安や恐れを現した行動と考えられた.国の対策は切替えが遅く,運用上問題があった.“国内初”であったことから,神戸市が直面した問題はすべて応用問題であった.新たな感染症が次はどこでどのように起こるかわからないが,私たちの辛苦や徒労を繰り返してほしくないと思い,この報告が今後の対策の一助になることを願う.

③新型インフルエンザの医療体制に関する課題と今後のあり方―医療現場の立場から

著者: 林三千雄

ページ範囲:P.667 - P.670

はじめに

 神戸では2009年5月に国内初の新型インフルエンザ国内発生例,およびそれに端を発した地域内流行を経験した.発熱外来の実施は2003年のSARS以来となったが,SARS疑い例では国内での感染者はなかったために,発熱外来の本格的な運用は今回が初めてとなった.

 日本の多くの地域で2009年10~11月に第一波を受けた経験を持っている.第一波では既にある程度の新型インフルエンザの知識の集積があり,封じ込めの必要性も認められない.神戸が経験した前駆波では全国が注目し,感染拡大防止に重点を置く国内発生初期の医療体制とは別々に論じられる必要がある.本格的な国内発生初期を経験したのは兵庫県と大阪府であり,本稿では国内発生初期の医療体制を中心に述べる.

④国立感染症研究所における対策

著者: 岡部信彦

ページ範囲:P.671 - P.675

はじめに

 国立感染症研究所(以下,感染研)では,新型インフルエンザが発生した場合,状況によっては感染研における対応について通常の担当部署である感染症情報センターおよびインフルエンザウイルス研究センターのみならず,全所的な対応をとらなくてはいけない場合もあるとして,感染研新型インフルエンザ対策行動計画を作成していた.新型インフルエンザ(パンデミックインフルエンザ2009)発生後は,基本的にはこの行動計画に則って対応した.またこの間,感染研パンデミックインフルエンザ対策会議が頻繁に開かれ,所内における情報の共有および問題点に対する修正が行われた.

 しかし現実はすべてスムーズに動いたわけではなく,修羅場のような状態であったり,行動計画通りには行きにくいところも多々見られた.本稿脱稿現在,国における新型インフルエンザ総括会議が行われ,WHOにおいても外部専門家による評価会議が開かれている.おそらくは国内でも多方面で同様のことが行われていると思われるが,感染研においても総括会議が行われ,この経験を今後の危機管理体制に生かそうとしている.

 本稿では,感染研新型インフルエンザ対策行動計画の紹介と,それに基づいた取り組みを概説するが,筆者は情報センターに属しており,インフルエンザウイルスセンターの詳細な活動については疎いので,“感染研における対策”と言ってもその内容に偏りのあることをお許し頂きたい.また本誌編集部より当初頂いたタイトルには「評価と展望」とあった.感染研としては,感染研にいる者すべてが最大限の努力を払ったと思うが,その評価と展望については,今後外部からの意見を頂き反省材料としたい.

視点

地域おこしは公衆衛生から―時代を先取りした保健所活動を

著者: 小林美智子

ページ範囲:P.632 - P.633

 山に囲まれた長野県から海がいっぱいの長崎県に来て,10年になります.47都道府県で「長」がつくのは長野県と長崎県しかありません.どちらの県も南北に長いのが共通点です.山の民と海の民,住む人々の気質にはじまり,言葉(もちろん日本語ですが,方言として)はもちろんのこと,食生活,特に味付けが違います.かって塩の道を大切にした山の民は塩辛く,一方,砂糖街道に沿って伝わり貴重品だった砂糖でもてなされるのが長崎です.誰も生まれてくる場所を選ぶことはできません.何処に生まれようとも,“生まれて来てよかったと言える”一生を送りたいと誰もが思い,またそれが保障されることが私たちの願いです.

 長野県で小児科医として大学の附属病院で働き始めた頃は,ちょうど日本が高度経済成長時代の真っただ中でした.毎日外来に来る子どもたちを診ていて,“何か変だな”と思いました.“病気を治すのが医師の仕事には違いないが,病気に罹りにくい子を育てることも大切ではないだろうか.本当に大切なことは何なのかしら”と考えました.大切なことはいくつもありますが,母乳で育てることもそのうちの1つではないかと思いました.

連載 人を癒す自然との絆・13

平和の種をまくコミュニティ・ガーデン

著者: 大塚敦子

ページ範囲:P.692 - P.693

 ソ連崩壊後から1990年代の前半にかけ,世界各地で民族紛争が起こったことを記憶している人も多いだろう.旧ユーゴスラビア連邦の一員だったボスニアでは25万人もの人が命を奪われる悲惨な戦争があり,「民族浄化」という言葉まで生まれた.

 戦前のボスニアは,人口およそ430万人のうち,ボシュニアク(モスリム人)が約4割,セルビア人が約3割,クロアチア人が2割弱という比率で,異なる宗教を持つ3民族が共生する国だった.戦後15年近く経ついまなお,3者の政治的対立のために人口動態調査が行われていないので,現在のボスニアにはどの民族がどのくらい存在するのかわかっていない.難民の流出により,30万人ぐらい減っているだろうというのが大まかな推測である.

保健所のお仕事─健康危機管理事件簿・5

火山噴火への対応(平成12年度)その1

著者: 荒田吉彦

ページ範囲:P.694 - P.696

 何歳の頃からでしょう,誕生日を素直にうれしく感じられなくなったのは.昨年の6月,50歳の誕生日を迎えました.とても,ショックでした.四捨五入すると100歳です.もうAKB48は同世代ではなく(もともと無理がありましたが),厚生労働省から銀杯をもらう年齢に括られてしまうわけです.

 かつて,誕生日を迎えてもさっぱりうれしくない旨をmixiに書いたところ,会ったこともない人から「誕生日はここまで生きて来たことを周囲の人に感謝する日です」と諭されました.確かにそうかもしれないなあと思うようになりました.それだけ,年をとったということなのでしょう.

働く人と健康・20―診療所医師の立場から・2

外国人労働者の健康問題

著者: 沢田貴志

ページ範囲:P.697 - P.700

 私が診療している港町診療所には,1991年以来1万人以上の外国人が診療に訪れており,その多くがアジアやラテンアメリカ出身のニューカマー外国人である.19年間の診療の中で,多数の労働災害・結核感染症・精神科疾患などの患者と接することになり,公衆衛生の課題として考える必要性を感じてきた.前号では,外国人労働者の中にどのような人々が含まれるのかを概説したが,今回はこれらの疾患が外国人に多い背景と,望まれる対策について話題提供をしたい.

地域保健従事者のための精神保健の基礎知識・8

精神疾患についての国民意識

著者: 立森久照

ページ範囲:P.701 - P.704

はじめに

 前回は地域における精神疾患や精神保健の問題について,量的な側面から解説をしました.日本ではおよそ40人に1人が精神疾患の治療のために医療機関を利用しています1).さらに地域ではもっと多くの者が精神疾患を経験しており,その数は年間1,000万人以上と推定されています2).この数字は成人の気分障害・不安障害・物質使用障害に限ってのものですので,統合失調症などの他の精神疾患を有する方や,未成年で精神疾患を有する方を含めると,地域ではもっと多くの人数が精神疾患を経験しています.

 こうした精神疾患を経験している人数だけからも,精神保健の問題が大きな課題であることがわかります.それに加えて,自殺関連行動やひきもこりなども,年間で何十万以上の方々がそれらを経験しています.

 傷病の社会への影響の指標であるDALY3)によると,上位5つのうち3つが精神疾患とそれに関係が深いものでした.また疾患群で比較をすると,社会への影響が大きい傷病としてすぐに思い浮かぶ,がんや循環器系の疾患よりも,精神疾患の社会的影響が大きく,全体で最も影響が大きいものでした.

 以上のように,精神疾患や精神保健は国民的な課題であることは明らかです.このことは精神保健領域で仕事をされている専門家の方々はよくご存じのことと思います.一方,地域住民の精神疾患や精神保健に対する認識はどうなのでしょうか.専門家のこうした認識を共有しているのでしょうか,それともそうではないのでしょうか.また精神疾患や精神保健について,地域住民はどのような意識や知識を持っているのでしょうか.

 そうした点も含めて,今回は調査研究の結果をお示ししながら,地域住民の精神疾患や精神保健に対する知識や意識の現状と,これからの課題について述べたいと思います.

保健師さんに伝えたい24のエッセンス―親子保健を中心に・17

児童虐待をめぐって

著者: 平岩幹男

ページ範囲:P.705 - P.708

はじめに

 児童虐待は長年に亘って親子保健にとっては大きなテーマです.児童虐待の通報件数はご承知のようにうなぎのぼりに増えていますし,児童虐待による死亡事例の報道も後を絶ちません.実際に児童相談所に寄せられる相談件数も平成20年度には全国では42,662件で,これは平成6年度の相談件数の20倍以上です.警察庁の発表では平成15年に42名の児童が虐待により死亡に至っており,2歳未満が50%(乳児がそのうち60%)です.ご承知のように乳幼児の虐待死の80%は身体的虐待で,残りはネグレクトや怠慢となっていますが,ネグレクトの場合には,虐待であるかないかを見分けることが困難な場合もあります.悲惨な報道が繰り返されるたびに,児童虐待の早期発見と早期介入が唱えられますし,そうした施策も行われてきていますが,それによって児童虐待が激減したということにはまだつながっていません.

 児童虐待は英語では「child abuse」ですが,子どもの人権への侵害であるということからは,「子ども虐待」という表現も用いられています.児童虐待の防止等に関する法律(通称:児童虐待防止法)は平成12年に制定されましたし,それによって児童虐待についての社会的関心も高まりましたが,親子保健の現場では,児童虐待の問題を考えない日はありません.平成16年10月の改正によって,児童虐待の定義を児童への人権の侵害と明確に定義し,より厳格かつ広範囲とするとともに,虐待を受けた子どもたちへの支援についても明確にされています.

トラウマからの回復─患者の声が聞こえますか?・5

アルコホリックの物語

著者: 岩本昭男

ページ範囲:P.709 - P.712

 気がついたら,つけっぱなしのTVが正月番組をやっていた.いつの間にか年が明けたらしい.ボーッと見ていると,1月5日,日曜日だとわかった.1か月程前に泥酔して救急車で乗りつけたが,警官を呼ばれて追い帰された精神病院に,再度入院させてもらおうと思った.

 その時から,私の「素面」が始まった.翌日,入院を頼む電話をかけるため,部屋を出ようと思ったが,立つことが出来なかった.歩けなかった.アパートから50m先の公衆電話まで,駅に向かう初出勤の人たちの中を,這って行った.酒が醒め始めていた.全身がちぎれるように痛んだ.

リレー連載・列島ランナー・17

臨床医から公衆衛生の現場へ―雑感 徒然なるままに

著者: 竹内豊

ページ範囲:P.713 - P.716

はじめに

 トータルヘルス株式会社で産業医活動をされている林田耕治君からの紹介で,本稿執筆を担当させて頂きます.

 彼と私は中学・高校の同級生で,2003年の産業医研修会で九州に伺った時に10数年ぶりに再会してから,何度か連絡を取り合うようになっています.今回,これを機に自分自身を振り返ってみることと,臨床から公衆衛生を意識した方への参考となればと思い,執筆しました.

お国自慢―地方衛生研究所シリーズ・5

狂犬病の予防と対策:侵入リスクは0(ゼロ)ではない―鳥取県衛生環境研究所の調査研究テーマから

著者: 松本尚美

ページ範囲:P.717 - P.720

はじめに

 狂犬病はラブドウイルス科リッサウイルス属の狂犬病ウイルスによる人獣共通感染症であり,すべての哺乳動物が感染します.

 日本では1947年に伝染病予防法に基づく狂犬病の患者届出が開始され,1949年には74名と最も発生が多かったのですが,1950年に狂犬病予防法が制定され,1957年のネコでの事例を最後に,国内からの狂犬病撲滅に成功しました.

 その後は,1970年にネパールから帰国した青年が国内で発症したという輸入例1例が報告されていましたが,2006年にフィリピンから帰国した男性2名が帰国後相次いで狂犬病を発症し,36年ぶりの輸入事例となりました.

 しかしながら世界ではアジア,アフリカを中心に,狂犬病による死亡者が年間50,000人以上と推定されています.そのうち56%がアジア諸国での発生と報告されており,患者の95%以上が,イヌからの咬傷により感染を受けています.

 アジア地域での狂犬病清浄国は日本,台湾のみで,いまだに狂犬病は常在し,根絶されていないのが現状ですが,狂犬病発生国でイヌに咬まれて帰国後に発症するケースや,空路・航路によって狂犬病に感染した動物が国内に侵入するケース等,今後日本でも狂犬病がいつ発生してもおかしくない状況にあります.

 さて,当鳥取県では狂犬病発生国の外国籍船の入港があり,乗船しているイヌの不法上陸の可能性があります.また,50年以上も発生のない狂犬病を的確に診断できる行政担当者や,検査担当者は残念ながらいません.そこで,万が一狂犬病が侵入した場合に,感染拡大を防ぐことができるのかという危機意識から,侵入リスクの低減や発生に備えた適切な対策が必要であると認識し,当県で狂犬病予防対策に関する調査研究を表のとおり実施することになりました.

衛生行政キーワード・67

子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)について

著者: 丹藤昌治

ページ範囲:P.721 - P.723

 環境省は,平成22年度より「子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)」を開始します.エコチル調査は,環境中の化学物質等が子どもの成長や発達に与える影響を明らかにするため,全国の10万人の妊婦の協力を得て,血液や尿,母乳等の分析を行うとともに,生まれてくる子どもの健康状態を13歳に達するまで追跡する,大規模な疫学調査です.

 エコチル調査の実施にあたり,環境省では16年間で約900億円の事業費を予定しています.環境省として,非常に大規模で意欲的な事業ですが,平成21年の事業仕分けで「予算要求通り」,総合科学技術会議の優先度判定で「S」評価を受ける等,行政的にも科学的にも大きな期待が寄せられています.

路上の人々・8

かぁーちゃん!生きたばーいっ

著者: 宮下忠子

ページ範囲:P.725 - P.725

 真夏,焼け付くような太陽がゆっくりと沈みかけた夕暮れ時,隅田川はきらきらと輝きながら流れていく.歩道の片隅で野宿を続けている人たちがいる.「ヘルプ!」と叫べない路上生活者を巡回しながら探し,声を掛けるようになって,長い歳月が流れた.野垂れ死にをさせないための,ささやかな活動である.その日,土手の反対側に座り続けている高齢者が気になっていた.これまで目を合わせてもそらされてきた.その日は違った.おじさんが笑顔で挨拶を返してきたのだ.私はほっとしておじさんに近づいていった.

公衆衛生「書評」

『多飲症・水中毒―ケアと治療の新機軸』 フリーアクセス

著者: 穴水幸子

ページ範囲:P.651 - P.651

 水のような本である.『多飲症・水中毒―ケアと治療の新機軸』という題名の通り,至極当然のように水と身体のかかわりのことが書かれた本なのではあるが.ブルーと白の2色のシンプルな美しい装丁で飾られ,さっぱりとした筆致で書かれて大層読みやすい.しかし読者はその美しさに惑わされ,ふわりと読み流してしまってはいけない.この本には,多飲症に罹患した人々が示す,水への飽くなき要求と依存,あるいはその経過中に訪れる激しい消化器症状,失禁,低ナトリウム血症,神経症状,意識障害,けいれん発作,昏睡という身体症状が描かれている.本書は疾病に真正面から向かい合うタフでハードな治療記録でもある.

 水中毒は精神科臨床医療では治療の中で,身体管理上,最も苦慮する病態の一つである.本書を紐説くと,ヒトの身体における水の在り方をあらためて意識させられる.

映画の時間

花に話しかけ 木に耳をすませて 心のままに私は描く セラフィーヌの庭

著者: 桜山豊夫

ページ範囲:P.657 - P.657

 裕福には見えない女性が,部屋の掃除をしているシーンから映画が始まります.家の主人らしい女性から残り物の食事を貰って帰ります.生活は苦しそう.どう見ても主役とは思えない,この中年の女性が,今月紹介する「セラフィーヌの庭」の主人公です.主人公セラフィーヌを演ずるヨランド・モローには失礼なことを書きましたが,冒頭のシーンから,観客はこの不思議な女性の雰囲気に引き込まれていきます.1人暮らしのセラフィーヌは軽度の精神発達遅滞のようです.食うや食わずの生活のなかでも,教会では聖歌を歌い,神を賛美する彼女ですが,仕事が終わると部屋にこもって,一心不乱に絵を描いています.彼女にとっては絵を描くことは神からの啓示であり,神を賛美することなのです.が,同時に絵を描くことで,彼女自身が癒されてもいるのでしょう.

 彼女の暮らすフランスの地方都市にドイツ人の画商ウーデ(ウルリッヒ・トゥクール)が静養のために訪れ,家政婦をしているセラフィーヌの描いた花の絵を見て感動します.彼女の才能を見抜いたウーデの勧めもあって,セラフィーヌは個展の開催を夢見て,絵を描き続けます.しかし第一次世界大戦,大恐慌,第二次世界大戦と続く時代のうねりは,セラフィーヌやウーデを呑みこんでいきます.

沈思黙考

「幸福」を考える・1

著者: 林謙治

ページ範囲:P.666 - P.666

 前回,国民の最低限の生活が保障されるべきという憲法上の概念を具体化する際に,どのような考え方ができるかという問題提起をした.つまり生活上の保障は経済的な観点からのみ規定するのか,それとも健康,教育,人権の保護を含めるのか,さらにある程度の文化的な生活,芸術活動の充実などトータルとしてとらえるのか,ということである.

 たぶん多くの人は何をさておき,まず経済問題から入るべきだと主張するだろう.確かに生活が極端に困窮する人々がおり,国が福祉政策を通して保護すべきである考えに反対する人はいない.問題は線引きの仕方である.このことはコンセンサスの問題であるために,つねに政治的である.一方,自分が社会のなかでどのような立場でいるか,という自己認知は相対的である.周りが豊かであれば自分はみじめだと思うだろう.発展途上国の極貧層に比べて豊かであっても,日本国内では貧困と見なされ,あるいはそのように自覚するだろう.そうであるとすれば,例え国が経済発展をめざし,1人当たりのGDPを増やしても,格差がある限り個人の貧困感はなくならない.そこで所得再分配を通して,格差を縮小すれば,問題が解決するという結論に達するかもしれない.

予防と臨床のはざまで

第83回日本産業衛生学会インプレッション~―健康教育・HP研究会を中心に

著者: 福田洋

ページ範囲:P.691 - P.691

 5月26~28日,福井県国際交流会館にて,日下幸則学会長のもと第83回日本産業衛生学会が開催されました(http://83sanei.jtbcom.co.jp/).今回は自分が主に関わったものを中心にインプレッションを書きたいと思います.

 まず5月26日に学会研究会の1つである「健康教育・ヘルスプロモーション研究会」主催でミニシンポジウムを開催しました.2006年より世話人をお引き受けしていますが,今年もお陰さまで用意した60名分の資料がなくなり,熱気溢れる研究会となりました.今年のテーマは「どう高める? 組織の禁煙推進力」.法研×ジョンソン・エンド・ジョンソン×福田洋×中村正和先生(大阪府立健康科学センター)による共同プロジェクトである健康保険組合の喫煙対策実態調査の報告から,個人でなく組織の禁煙推進にWHP(Workplace Health Promotion)が果たす役割を考えるシンポジウムとしました.

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あとがき フリーアクセス

著者: 阿彦忠之

ページ範囲:P.726 - P.726

 新型インフルエンザの勃発から1年以上経過しました.これを未だに「新型」と呼んでいるのは日本だけ?…ということで,本特集の題名には「パンデミックインフルエンザ2009」を用いました.贅沢すぎるとも言える執筆者の先生方からご協力をいただき,将来(次のパンデミック)に向けた「検証」という企画趣旨にそった,充実した特集号となりました.

 検証ということでは,国でも新型インフルエンザ(A/H1N1)対策総括会議を開催し,その報告書が厚生労働省への提言という形で6月に公表されました.期待して読んだのですが,提言中心のまとめ方であったためか,対策の評価・検証についての記載が少なく,臨場感に乏しい内容でした.その後に本特集の玉稿を通読すると,予防や医療の現場の声が聞こえるような迫力ある評価結果が含まれており,多角的視点から評価・検証された内容は,総括会議の提言を補完する以上のものと言えます.その意味で今回の特集号は,国の総括会議の報告書と一緒に,厚生労働省や都道府県主管課,および保健所等の書棚に置く価値のある内容であり,将来に向けて活用していただければ幸いです.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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