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沈思黙考
フーバーと,恐慌時の経済政策
著者: 林謙治1
所属機関: 1国立保健医療科学院
ページ範囲:P.38 - P.38
文献購入ページに移動フーバーは貧困の家庭に育ちながら,クウェーカー教徒である医者のおじから勤勉・独立の気概を教えられ,スタンフォード大学を卒業するまで漕ぎ着け,鉱山技術者として身を立てた.やがて実業家として世界各地で活躍し,財をなした.第一次世界大戦後,飢餓に苦しむヨーロッパの人々を援助するプログラムを立ち上げ,その後ハーディングやクーリッジ大統領時代に商務長官を務めた.商務長官時代に官民の協力,自由貿易などをモットーにアメリカの繁栄を導いた.1928年,不況の足音が聞こえる中,フーバーはそれまでの実績を買われ,共和党の候補として大統領選に出馬し当選した.フーバーは不況というのは金融システムの破綻であり,不況からの脱出は産業の立て直しであると考えた.そこで官・産・労の協調のもと,企業はなるべく雇用を維持し,労働者はストライキを避け,政府は企業に融資あるいは農産物の買い上げに努めた.弱者救済は政府の政策によるのではなく,民間の慈善活動を中心とすべきとした.さらに大幅な関税引き上げを断行したが,諸外国も対抗処置をとり,その結果不況は世界中に広がった.1932年の大統領選に再度出馬したが,民主党候補でニューヨーク市長のフランクリン・ルーズベルトに破れた.フーバーとルーズベルトの政策の違いを見ると,前者は国家や政府レベルの対策しか講じなかったのに対し,後者はニューディール政策を通じて民間経済に積極的に関わったとされている.
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