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文献詳細

雑誌文献

公衆衛生80巻6号

2016年06月発行

文献概要

特集 難病対策

難病患者の療養生活—地域で尊厳を持って生きることのできる共生社会を目指して

著者: 伊藤たてお12

所属機関: 1一般社団法人日本難病・疾病団体協議会 理事会 2NPO法人難病支援ネット北海道

ページ範囲:P.406 - P.411

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はじめに—「難病対策要綱」の年に患者会を立ち上げて
 私が小児結核と重症筋無力症と診断されたのは,まだ戦後間もない頃であった.1歳下の妹も同じ病気と診断された.1950年から52年にかけてのことである.その診断の正確さには今も驚嘆する.当時,この病気の患者は全国に10人といないといわれたという.皆保険制度はまだ先のことだ.若い父と母は子どもの医療費負担に苦しみ,札幌から離れて満足な医療機関もない炭鉱の町へと,稼ぎのために一家で移住した.注射器と,ようやく手に入れた一時しのぎのワゴスチグミンのアンプルを持って.その町で幼い妹は亡くなった.母はまだ20代であった.
 妹の死を機に家族は札幌へと戻り,私は入院と退院を繰り返しながら,病院での生活が一番いい,と思う子どもになっていた.それから15年経って,私は大学へも行かず定職にもつかずにいた.症状が安定せず,薬の副作用もあって,あこがれの海外移住もできず(これは移住しないのが正解だったが),仕方なく父の仕事(看板・塗装業)を手伝いながら,絵描きまがいの生活をしていた.
 そんな時ふと見た新聞で,重症筋無力症の患者らが患者会をつくったことを知った.だが私は患者会には入らなかった.「同病相憐れむ世界」「傷口を舐めあう世界」には近寄りたくもなかった.病名を知られたくはないし,何とか普通の人として見られたかったが,体はそうはいかないことが,常に私を苦しめていた.体力のいらない絵の世界で生きていこうとしていた.
 しかし結婚もして,東京の美術展への出品ついでに立ち寄った患者会の会長宅で私が知ったのは,「専門医の薬の使い方は,専門医のいない北海道とはまるで違う」ということだった.それから私は何をすべきか自問自答して月日が過ぎ,1972年の難病対策要綱が発表された年に,亡くなった妹の声と,父母の応援と,病気を承知で結婚してくれた妻の後押しを頼りに,地元で患者会を立ち上げることとなった.
 その頃,さまざまな患者団体が登場した.だが当時は「難病・奇病」といわれ,患者らを取り巻く状況は今では考えられないほど残酷だった.国も地方の行政も医師さえも見向いてくれず,「患者の尊厳」などという言葉もない時代であった.尊厳どころか,患者も家族も病気を隠し,患者会からの連絡さえ密やかに行っていた.会合の会場が借りられず,宿泊も断られる困難な時代が続いた.しかし私たちは,そういう状況の中で自然と,患者であっても「一人の人間としての尊厳は奪われてはならない」という意識と気概を身に付けることになったと思う.

参考文献

1)伊藤たてお:難病法施行後の神経難病医療—患者の立場からの現状と課題.第69回国立病院総合医学会シンポジウム26神経難病,法制化後の神経難病医療の現状と課題.2015年10月3日(国立医療学会誌「医療」2016年刊行に収載予定)
1)伊藤たてお:難病患者団体の取り組みの現状と要望.臨床評価43(2):394-397, 2016
2)伊藤たてお,他:患者会の役割.西澤正豊(専門編集),辻省次(総編集):すべてがわかる神経難病医療(アクチュアル脳・神経疾患の臨床),中山書店,2015, pp319-327
3)伊藤たてお:よりよい難病対策を求めて—患者の立場から保健師に期待するもの.保健師ジャーナル69(8):611-617,2013
4)永森志織,他:利用できる資源.西澤正豊(専門編集),辻省次(総編集):すべてがわかる神経難病医療(アクチュアル脳・神経疾患の臨床),中山書店,2015, pp377-383

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1170

印刷版ISSN:0368-5187

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