文献詳細
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文献概要
1984年から4年余り,大阪府の2カ所の保健所で保健予防課長をしていました.母子医療は周産期医療体制の確立などの総合化・包括化が図られてきていましたが,地域の母子保健体制については保健所と市町村の役割分担の方式が進められていました.大阪府では保健所を中心とした総合的な母子保健体系をようやく確立したばかりの時期でしたが,全国的な母子保健政策の転換に伴って,母子保健事業を保健所から市町村に移管させる政策に転じました.
保健師はこの政策の流れに強い危機感を抱いていました.それは核家族化の進行,育児ノイローゼや子育てに悩む母親の支援など,母児を取り巻く社会環境の厳しさが増してきていると感じとっていたからだと思われます.また,市町村も,総合的・包括的に母子保健事業を進め得る経験の蓄積がまだ十分になされていないことを懸念していたこともありました.保健師の方から「事務的に市町村に全て事業を移管させることは公衆衛生の責任の放棄ではないのか」と毎日,詰め寄られたことを思い出します.
保健師はこの政策の流れに強い危機感を抱いていました.それは核家族化の進行,育児ノイローゼや子育てに悩む母親の支援など,母児を取り巻く社会環境の厳しさが増してきていると感じとっていたからだと思われます.また,市町村も,総合的・包括的に母子保健事業を進め得る経験の蓄積がまだ十分になされていないことを懸念していたこともありました.保健師の方から「事務的に市町村に全て事業を移管させることは公衆衛生の責任の放棄ではないのか」と毎日,詰め寄られたことを思い出します.
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