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著者: 高鳥毛敏雄
所属機関:
ページ範囲:P.344 - P.344
文献購入ページに移動佐藤誠三郎氏の『「死の跳躍」を越えて—西洋の衝撃と日本』(千倉書房)を拝読すると,内務卿となった大久保利通は,当初は英国を手本にしようとしたようです.しかし,当時は民衆も政事(治)家も全く育っておらず,早々にその選択を捨て,プロシア・オーストリア型の官僚制度を基盤とした国家体制で当面をしのぐことを選択したようです.そして,資質を備えた「政事家」の養成や地方自治制度の確立は後世に託したようです.明治11年に死去した大久保の跡を継いだ伊藤博文の「世間には大久保公を目して圧政家のように思う者もあるようだが,それは甚だしい間違いである.大久保公は早くより立憲政体を主唱された有力な一人である」との言葉から,そのことが伺われます.
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