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特集 公衆衛生の実践倫理
精神保健における実践倫理的課題—安全な社会を目指して
著者: 大西香代子1
所属機関: 1甲南女子大学看護リハビリテーション学部看護学科
ページ範囲:P.208 - P.213
文献購入ページに移動住民の安全,公共の福祉は,それぞれに違う人々の一人一人が大事にされることなしに成立しない.何らかの事件が起きたとき,その容疑者に精神科通院歴のあることが報道されると,事件と精神疾患が関連しているものと思われやすい.実際には,検挙された刑法犯のうち,精神科通院歴のない(そして精神疾患でもない)人が98.2%1)と圧倒的に多いが,通院歴がない場合,そのことは報道されない.本当に,精神障害が疑われる人を病院に収容することで社会の安全は保つことができるのだろうか.
強制的入院の見直しの契機となったのが2016年の相模原障害者施設殺傷事件(神奈川県相模原市にある知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に元施設職員の男が侵入し,所持していた刃物で入所者19人を刺殺し,入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた事件)であるが,この「犯行を説明する精神病理は不明確」2)である.本稿では,まず本事件の犯人の「この人(入所者)たちは本当に幸せだと思うか」という問いを取り上げたい.障碍の有無や程度が幸せかどうかを決めるわけではない.それは,障碍のない人が必ずしも幸せとはいえないことからも容易に理解できる.しかし,「職員として働く彼の目には,入所者の姿が幸せそうに映らなかった」3)ことは確かだろう.これは,知的障碍に限らない.退院のあてもなく病院に「収容」されている精神障碍者も同様である.
次いで,精神疾患による事件をきっかけに再燃した社会の安全と強制的な入院について述べる.最後に,認知症者の交通事故を取り上げ,認知機能検査によって交通の安全が図れるのかについても検討する.
なお,「障碍」の表記については,「障害」が他者に害をなすイメージがあるとして拒否的な当事者も多い.そこで「障がい」と記されることもよくあるが,かえって読みにくく,筆者の好みではない.「障碍」は障害と同様の意味があり,また,元来用いられていた表記であるため,本稿ではこの表記を用いる.
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