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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生85巻12号

2021年12月発行

雑誌目次

特集 健康問題の解決のための経済学—ナッジ等の可能性を探る

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著者: 「公衆衛生」編集委員会

ページ範囲:P.791 - P.791

 日本人の主要な死亡原因は,喫煙,飲酒,アンバランスな食事や運動不足など人々の生活習慣と行動に根差したものとなっています.こうしたことから,特定健診やがん検診など疾病の早期発見に向けた行動を一層高めることが課題となっています.健康問題は個人の問題でありますが,自治体には,住民が健康づくりを行うために環境を整え,支えることが求められています.そのためには,住民の健康意識を高め,住民に健康づくりに向けた行動を取ってもらう必要があります.しかし,住民は,必ずしも健康に良い行動を取ってくれるとは限りません.そうした中,住民に無意識的に健康づくりに向けた行動を取ってもらうために注目されているのが「ナッジ理論」です.
 ナッジ理論は,米国のリチャード・セイラー氏が確立したものです.セイラー氏は,ナッジ理論により2017年にノーベル経済学賞を受賞しました.理論の特徴については詳しくは本特集をご覧いただければと思いますが,わが国でもこの理論に基づき,厚生労働省が健康診断やがん検診の受診率を向上させる施策を推奨しているほか,環境省も低炭素社会に向け,国民一人一人の行動変容を促そうとしています.人間は「変化を好まない」「ついつい先延ばしする」「周囲の目が気になる」などの特性を持ち,常に合理的な行動をするとは限りません.人々に対する働き掛け方,呼び掛け方,さらに情報の提供の仕方などを工夫することで,強制しなくてもそっと後押しする(nudge;肘でつつく)だけで,人々はより良い選択をすることが明らかにされています.

ナッジで進める健康づくり—効果的・持続的なものとするためのポイントと注意点

著者: 近藤尚己

ページ範囲:P.792 - P.797

【ポイント】
◆ナッジは「環境デザイン」のアプローチ.トリックで個人をだます戦略ではない.活動の透明性と民主的な議論が必要.
◆ナッジは合理的な選択をしづらい状況にある人を支援するために使うべき.誰もが自然と健康的な選択ができる環境づくりで,健康格差を是正しよう.
◆ナッジの取り組み一つずつの効果は大きくなく,持続しづらい.マーケティングの枠組みとコミュニティーの組織化,そしてPDCAサイクルを基本としたマネジメントにより,人々をナッジし続けるシステムをつくることが大切.

ソーシャル・マーケティングやナッジを活用した効果的ながん検診の普及とその普及・実装研究的評価—希望の虹プロジェクト

著者: 山本精一郎 ,   溝田友里

ページ範囲:P.798 - P.807

【ポイント】
◆がん検診の受診率は,ソーシャル・マーケティングやナッジなどの方法によって向上させることができる.
◆行動変容のための介入方法のリアルワールドでの有用性は,多面的に評価されるべきである.
◆行動変容のための介入方法の効果を最大化するためには,幅広く使いやすいという観点からも開発することが重要である.

ナッジを活用した生涯を通じた健康づくり体制の確立

著者: 村山洋史

ページ範囲:P.808 - P.813

【ポイント】
◆ナッジを取り入れることで,これまでの公衆衛生実践と組み合わせた多様なアプローチが可能になり,社会全体としてより健康な方向に導く方策は一気に加速する.
◆ライフステージによって発達の状況や置かれた環境は異なるため,それぞれの特徴を適切に理解した上で適切なナッジを選択すれば,行動変容を促すことが可能になる.
◆ナッジを効果的に設計・実践するため,ツールの活用や,これまでの公衆衛生活動で培われてきた手法やスキルを,ナッジの視点で整理することが重要である.

自治体の健康政策における市民の行動変容に対するナッジ実装の試み

著者: 藤富絵里香 ,   春日潤子 ,   髙橋勇太

ページ範囲:P.814 - P.818

【ポイント】
◆ナッジの手法を用いることで,市民の行動変容をより効果的に支援できる.
◆ナッジをはじめとする手法は,集団支援や個別支援など日頃の業務におけるさまざまな場面で活用ができる.
◆組織内におけるナッジ実践の普及には,個々の職員に対する普及だけでなく,組織内の機運の醸成と実践に対するサポート体制が必要である.

公衆衛生におけるナッジの活用可能性—マーケティングとの関係において

著者: 福吉潤

ページ範囲:P.819 - P.824

【ポイント】
◆民間で用いられてきたマーケティングには長らくナッジが活用されてきたが,マーケティングもナッジも公衆衛生に活用できる余地が大きい.
◆マーケティングは「動かしやすい人を動かすこと」を主眼とするところに公衆衛生への活用の限界があるが,ナッジがその限界を補完できる可能性がある.
◆ビッグデータを活用するナッジ事業を開始する自治体が増えたことが,コロナ禍以降の潮流である.

環境政策と安全な街づくりにおけるナッジ実装の現状と展望

著者: 池本忠弘

ページ範囲:P.825 - P.830

【ポイント】
◆中央省庁や地方公共団体において,環境政策や安全な街づくりにナッジを活用する事例が増えている.
◆ナッジには他の政策手法と同様,人々の生活に介入して影響し得ることを念頭に置き,効果を明らかにしながら実践していくことが求められる.
◆省エネルギーを目的としたナッジでは,内容を工夫することにより,ナッジを中断してからも効果が持続することが実証された.

ウェルビーイングとナッジ政策—自律のオプション化について

著者: 橋本努

ページ範囲:P.831 - P.835

【ポイント】
◆カロリー情報などの表示を義務付けるべきかについては,ウェルビーイングの最大化という基準で決めることができる.
◆経済学的には「どれだけ支払う用意があるか」というアンケートが,ウェルビーイングを測る際の基準の一つとなる.
◆QRコードを用いれば,情報にアクセスしたい人だけがアクセスできるようになる.自律の理想をオプション化(選択)できる.

新型コロナ病床確保をめぐる不条理—医療機関のダイナミック・ケイパビリティとデジタル化

著者: 菊澤研宗

ページ範囲:P.836 - P.840

【ポイント】
◆日本の病床数は世界一であるが,新型コロナ患者の病床数を十分確保できないという矛盾が発生した.
◆それは社会的には非効率で非倫理的であったが,病院にとっては合理的な行動であった.
◆この不条理を回避し,ダイナミック・ケイパビリティを強化するには業界のデジタル化が必要である.

連載 衛生行政キーワード・141

ナッジを利用した取り組み

著者: 渭原克仁

ページ範囲:P.841 - P.844

はじめに
 わが国において,生涯のうちにがんと診断される確率(累積がん罹患リスク)は2人に1人(男性65.0%,女性50.2%,2018年データ)であり,がんは日本人にとって身近な病気といえる1).また,がんは1981年からわが国の死因の第1位となっており,がんで死亡した国民は376,425人(男性220,339人,女性156,086人,2019年データ),累積がん死亡リスクから推定すると,がんで死亡する確率は男性26.7%(4人に1人),女性17.8%(6人に1人)とされる1)
 こうした背景のもと,がんの死亡者の減少を実現するため,第3期がん対策推進基本計画では,「科学的根拠に基づくがん予防・がん検診の充実」を1つの柱として設定し,がんの罹患自体を減らすとともに,国民が利用しやすい検診体制を構築し,がんの早期発見・早期治療を促している2).わが国におけるがん検診の対象としては,いずれも検診による死亡率減少効果が認められている5つのがん(胃がん,子宮頸がん,肺がん,乳がん,大腸がん)を設定しており,それらを「がん予防重点健康教育及びがん検診実施のための指針」(以下,指針)に定めている3)
 がんの早期発見は集団のがんによる死亡率減少に寄与するため,がん検診の受診率向上は必要かつ切実な課題である.近年,わが国における受診率は上昇しているが,がん対策推進計画における「がん検診受診率50%」の目標には,ほとんどのがんにおいて,依然として到達していないのが現状である(図1)4)

リレー連載・列島ランナー・150【最終回】

地域共生の村づくりに向けた取り組み—つながりをつくるプロジェクト

著者: 浅尾晋也

ページ範囲:P.845 - P.848

はじめに
 筆者は,鹿児島県大島郡にある宇検村で勤務11年になる保健師です.今回,櫻井純子さんからバトンを受け取り,本稿を執筆する機会をいただきました.
 筆者は今,厚生労働省がビジョンとして掲げている「地域共生社会」の実現に向けた「重層的支援体制整備事業への移行準備事業」を担当しています.今回はその事業から,つながりを作る事業として展開している「支え合いマップづくり」と「地域共生の村づくりプロジェクト」について一部ご紹介します.

クライシス・緊急事態リスクコミュニケーション・10

ワクチン・コミュニケーションから考える心理的反発を防ぐ方法

著者: 蝦名玲子

ページ範囲:P.850 - P.854

はじめに
 先月号では,注意を喚起させたり,気付かせたり,控えめに警告したりし,人々の行動をより良いものにするように誘導する「ナッジ」について紹介した.
 現在,新型コロナウイルス感染症(以下,新型コロナ)のワクチン接種が進められ,2021年9月13日時点で,すでに国民の5割以上が2回接種を完了したが1),このワクチン・コミュニケーションでも,ナッジは活用されていた.メディアは日々,多くの人々がワクチンを接種する様を報道し,首相官邸もホームページ2)で総接種回数や接種率を実績として公表しているが,これらは,社会規範に従うという人の特性を利用したナッジといえる.
 しかし,こうしたナッジに,逆に反発を覚える人もいる.そうした人に,今後,どうアプローチしていけばいいのか?

予防と臨床のはざまで

第29回日本健康教育学会ダイジェスト

著者: 福田洋

ページ範囲:P.866 - P.866

 2021年9月11〜12日に第29回日本健康教育学会学術大会が開催されました.学会長は吉池信男氏(青森県立保健大学)で,実行委員会は最後まで青森での現地開催を模索しましたが,新型コロナウイルス感染症の第5波となる感染蔓延により緊急事態宣言が解除されず,完全オンラインでの開催となりました.さんぽ会や臨床疫学ゼミのメンバーとも「皆でグランクラスで青森に行こう!」と盛り上がっていましたが,その夢は絶たれました.開催方式の変更で,準備は相当大変だったと思います.学会初日早朝のキックオフミーティングにも参加させていただきましたが,吉池学会長がオリンピックチームの監督のようにスタッフの皆さんに檄を飛ばし,オンライン開催のための実行委員会本部の様子を実況してくれるなど,気合十分といった感じでした.
 学会のテーマは「わかっているけれど実践しない相手を動かすには?〜現場×研究の力で,健康社会を実現する〜」.学会が長年取り組んできたテーマであり,いまだに全てのフィールドで多くの職種が直面している課題です.まず吉池氏より「人はなぜそれを食べるのか? 未来に向けて考えるべきこと」と題して学会長講演が行われました.食べるということに関して人権,栄養学,生理学,社会環境,ヘルスリテラシーなど,さまざまな側面からその意義や本質を解説し,健康教育やヘルスプロモーションはどこまで介入できるのかを考察した内容です.印象的だったのは,企業が行う食品マーケティングの影響の大きさや「食品の選択」の人権に触れられたことです.「健康日本21」の策定から今日に至るまで,食についての「わかっているけれど実践しない」課題への理論と実践について分かりやすくお話を頂きました.

映画の時間

—私は見た 運命が変わる瞬間を.—ユダヤ人の私

著者: 桜山豊夫

ページ範囲:P.867 - P.867

 第二次世界大戦が終戦を迎えてからすでに70年以上が経過し,戦争を実際に体験された方々も鬼籍に入られた方が多く,ご存命の方々も高齢になっています.再び戦争の災禍を繰り返すことのないように,その記憶を語り継ぐ必要があります.ホロコーストは戦争そのものの記憶ではないかもしれませんが,第二次世界大戦の災禍とは切り離せない記憶といえるでしょう.今月ご紹介する『ユダヤ人の私』は,ホロコーストの実態を明らかにしようとするドキュメンタリーです.
 本作は,ホロコーストを生き抜いたユダヤ人であるマルコ・ファインゴルト氏のインタビューで構成されています.ファインゴルト氏は1913年生まれでインタビュー当時105歳でした.1939年にゲシュタポに逮捕され,1945年までにアウシュビッツ,ノイエンガンメ,ダッハウ,ブーヘンヴァルトの4つの強制収容所に収容されたものの辛くも生き延び,戦後はユダヤ人難民への人道支援とホロコーストについての講演活動に取り組んでこられました.

投稿・活動レポート

令和2年7月豪雨災害対応の保健所による振り返り—その1:災害時健康危機管理支援チーム(DHEAT)の受援

著者: 劔陽子 ,   椎葉加奈

ページ範囲:P.855 - P.859

 熊本県人吉保健所は,熊本県の南部に位置する,1市4町5村を管轄している県型保健所である.管轄区域の面積の8割が森林で占められ,圏域を貫くように球磨川が流れている.2020(令和2)年7月4日,球磨川が氾濫して管内全域で被害が生じた.特に球磨村,人吉市,山江村,相良村では被害が大きかった.発災直後には管内で43カ所の避難所が開設され,最大1,807人が避難した.そのような中,保健所は,医療機関被災状況把握と医療調整,避難所の立ち上げ・運営支援や避難所における食品を含む衛生環境管理や感染症予防活動,災害廃棄物に関すること等々,さまざまな災害対応に従事した.新型コロナ感染症対応が注目されている時期の災害であり,避難所における新型コロナウイルス感染症対応についてはさまざまなところから原稿や講演の依頼があったので別稿1)を参考にしていただければと思う.しかし,その他の部分については,十分な検証ができていないと感じている.本稿では,特に災害時健康危機管理支援チーム(disaster health emergency assistance team:DHEAT)の活動に関することを,振り返ってみる.

令和2年7月豪雨災害対応の保健所による振り返り—その2:福祉系支援団体の受援

著者: 劔陽子 ,   椎葉加奈

ページ範囲:P.861 - P.865

 人吉保健所と球磨福祉事務所は熊本県球磨地域振興局保健福祉環境部として,平時より一体化して活動している.令和2年7月豪雨災害(2020年7月4日発災)の被災地域である人吉保健所/球磨福祉事務所の管内人口は87,568人(熊本県推計人口調査2016〔平成28〕年10月1日時点),65歳以上人口は35.9%である1).高齢化が著しい地域であり,当然,今回の災害時には多くの高齢者も避難して福祉的ニーズも大きかった.熊本県人吉保健所/球磨福祉事務所では今回の災害対応において多くの支援団体を受け入れたが,その中で福祉系支援団体の活動について,振り返ってみる.

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目次 フリーアクセス

ページ範囲:P.789 - P.789

次号予告 フリーアクセス

ページ範囲:P.871 - P.871

あとがき/投稿申し込み書/著作財産権譲渡同意書 フリーアクセス

著者: 高鳥毛敏雄

ページ範囲:P.872 - P.872

 近代社会は,市民に対する国家の介入と抑圧をできるだけ少なくするように形成されてきました.公衆衛生制度は,その近代社会の中で産み出されたものです.その近代社会の幕開けをアダム・スミスが理論付けたのではないかと思っています.スミスは,政府が市民生活の内部に立ち入り,社会の経済活動に介入しない方が社会の繁栄につながるとしました(「自由放任主義」).この考え方は公衆衛生制度の誕生にも影響しています.スミスは,近代経済学の祖とされていますが,その経済学の世界からナッジ理論の考え方がでてきたのは当然なのかもしれません.
 COVID-19の感染拡大を止めるために,国民の行動抑制を法律で強く規制し,罰金・罰則を科すべきとの議論がありました.しかし,緊急事態宣言が発令されたものの,政府は強い法的措置を講ずることなく,国民や事業者に,「手洗い・マスクをする」「三密を避ける」「室内の換気に努める」などの要請で対処してきました.公衆衛生課題に対しては,社会を構成している人々が一丸となって対応することが大切であるという,公衆衛生の原点を確認させられた思いです.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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