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連載 ヒトとモノからみる公衆衛生史・13
結核の時代と療養する身体・1—「口を開くな窓開け」—専門家たちの警告
著者: 西川純司1
所属機関: 1神戸松蔭女子学院大学文学部日本語日本文化学科
ページ範囲:P.632 - P.635
文献購入ページに移動ひとつの身体であることは、他の生き物、様々な物の表面、世界の様々な構成要素——一例としては、誰のものでもなく誰のものでもある空気、所有関係を超え所有関係に反して存続する生命の存在をわれわれに思い知らせる空気——と密接にかかわることであるが、これについては誰も否定しようがないだろう1)。
ジュディス・バトラーは『この世界はどんな世界か?——パンデミックの現象学』の中で、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大を経験した人々の世界について、このように述べている。ウイルスのまん延によって、人々の生命や生活がどのような前提のもとで成り立っているのかがむき出しの状態になった。この世界では、人々は共有された世界に息を吐き出し、他者の肺を通じて流通する空気を吸っている。人々の営む生は自分だけの生ではないのだ、とバトラーは言う。
コロナ禍において、人々の振る舞い一つ一つが他者の生死を左右するものであったことが、改めて思い起こされる。あのとき、誰もが感染予防に四苦八苦していたことを思い出してほしい。毎日マスクを欠かさず身に着け、家や学校ではいつも以上に換気に気を遣い、職場や飲食店ではアクリル板を設置し、スーパーのレジ待ちの列では密にならないように距離を空けたりしていたはずである。他者と空気を共有せざるを得ない人々は、その中で自分の、そして他者の命を守るために、呼吸や換気、周囲の空気の流れに神経を尖らせていたのではないだろうか。
にもかかわらず、ロックダウン(都市封鎖)や緊急事態宣言の発令といった政策や、mRNAワクチンの開発・接種などの高度な医療技術に比べて、人々が取り組んでいた感染予防の実践はあまり記録に残らず、記憶からも消え去ろうとしている。これら日常レベルでの感染対策やそこで用いていた道具は身近でさまつなことのようにみえるが、しかし、感染症と共に生きる人類の重要な一局面を垣間見させてくれるものである。一人一人の生活を描くこうした「小さな歴史」2)にこそ目を向ける必要があるのではないか。
今号から3回にわたって、結核という過去に猛威をふるった感染症を題材に、空気をめぐるヒトとモノの「小さな歴史」を描いてみたい3)。医師や公衆衛生の専門家たちの助言の下、療養者や看護者はどのように、いかなる道具に頼りながら、空気の流れの操舵に努めていたのか。歴史的な資料をひもときながら、その試行錯誤の歴史を明らかにすることが、ここでの狙いである。
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