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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生9巻4号

1951年04月発行

雑誌目次

主張

結核對策と豫算

著者: 末高信

ページ範囲:P.202 - P.202

 昭和26年度の國の豫算は,社會保障という角度から見ると甚だ物足らない。しかしながらそれは社會保障制度要綱ががその審議會から政府に對し勸告されたのが昨年の10月であるのに,26年度の豫算は昨年の7月に編成方針が決定されたためその要綱の主旨を實現するための經費を組入れることができなかつたからによる。けれどもこの豫算の編成に當つては,社會保障制度の内容をなす個々の制度を漸次推進,發展せしめるために必要な經費は,かなりの程度に,いな可能の限り折り込んで居る。結核對策の如き,かくの如き意味から非常な重點をおかれて居る。
 社會保障制度としては,全國民に對する養老年金や兒童手當の如きものも極めて重要な要素であり,これらを缺いては,全國民をその窮乏から護り,その生活を保障するという理想からは遠いものになるのであるが,勸告案は,現在の國民經濟の現状から見て,まず醫療制度の改善と疾病保險の完備に重點を置いたのである。人間がこの世において受ける苦惱のうち最も大なる病氣の對策とその經濟的負擔を合理化することに重點を置いたことは,まことに當を得た案であるというべきである。

グラビヤ

國立豫防衞生研究所

ページ範囲:P.203 - P.206

 いままで本誌にいろいろ御執筆をお願し,又種々の研究報告を寄せられている多くの研究者はこゝに所屬しておられる。學會の月に當つて,本誌は研究の概要を撮影させていたゞいた。第4回の本學會の會場になつたので,多くの人はこの建物を御存じであると思う。東京都港區芝白金臺町にある煉瓦,鐡筋コンクリートの建物で,本館3000坪,附屬建物3000坪,東大の設計に模したものである。現在東大の傳染病研究所と半々に使用されている。

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椋鳥住血吸虫病について

著者: 田部浩

ページ範囲:P.207 - P.212

 島根縣の宍道湖沿岸地方には,多年湖岸病という一種の地方病が發生し,農民が困つていることを聞いておりました。私がこの湖岸病の研究に着手するようになりましたのは,終戰後まもなくアメリカの寄生虫學者ハンター大佐・マツクマレン博士の一行が岡山に私を訪ねて來られました際,文献をもらいましてアメリカの住血吸虫皮膚炎に關するマツクマレン博士の新しい研究を知る機會を得たことが動機となつたのであります。私はこのアメリカの學者より受けた示唆を,今なお深く感謝しております。
 研究をはじめましたのは昭和22年の夏でありますが,私は湖岸病發生地の水田に極めて小さい平卷貝を見出しましたので,これを調べてまいりますうち,その翌年平卷貝の一つの種類から人体に皮膚炎を起す新しい住血吸虫セルカリアを發見いたしました。このセルカリアは實驗的に家鶏の体内によく發育し特異な卵子を出しましたので,更に多くの種類の野鳥を調べ遂にムクドリが自然の終宿主であることをつきとめ,成虫を見出すことが出來ました。そしてこの吸虫の体制は分類上住血吸虫の新種でありますので,私はこれをGigantobilharzia sturniaeと命名し和名を椋鳥住血吸虫と稱することにしたのであります。その後研究に於て,私どもの得ました知見はいろいろありますが,こゝには

公衆衞生の旅

著者: 齋藤潔

ページ範囲:P.213 - P.215

保健所のうつりかわり
 保健所はこの度の旅行中,各地でいろいろの型のものを觀察した。保健所を見れば,その國の衞生行政の全体をうかがうことができるからである。筆者が20年前に見學した保健所は,未だ試驗時代のものであつた。そのやり方は一定地域に模範衞生地區を設定して,計畫された新しい衞生事業を實施するものであつて,私設の機關で經營されていた。又,當時の保健所の仕事も現在のもののような綜合的のものでもなく,乳幼兒や結核の保健相談が主であつた。これをHealth Unitとか,District Health Stationなどと呼んでいた。最近めざましく伸展した保健婦事業も,この時代ので經驗を積んで次第に發展したものである。昭和10年開設された,東京市特別衞生地區保健館は,當時のHealth Unitに範をとつたものであつて,仕事の内容は主として保健指導であつた。
 社會事業でも,教育事業でも,すべて社會施設に於て,新しい計晝を實施する場合には,先ず時代の先覺者が創設經營し,その間に幾多の失敗を重ね,經驗を積み,公の手で税金で經營しても浪費も少いという見きわめがついてから,公營のものが動き出すのが常である。わが國の保健所は,これに反して最初から公の手で劃一的に出發したので,必ずしもそれぞれの土地に適合しなかつたり,經驗が十分でなかつたりして,多數の保健所のすべてが満足に動いていないのもやむを得ないことである。

世界保健機關(WHO)の概要

著者: 山口正義

ページ範囲:P.216 - P.218

 健康ということは現在のこの縮された世界にあつては,それが一國民全体の健康であれ,或はその中にある各個人の健康であれ,いずれにしても,もはや政府と國民の歴史上その比を見ぬ程の大きな規模の上に立つ協同作業なしに考えることは不可能である。更に亦,單に人体に影響を及ぼす疫病の防禦手段を講ずることのみでは國民の健康を適切に保護する手段となり得ないのである。
 今日以後の問題として防禦以上のものが必要とされて居り又目標とすべきは單に肉体的疾患のみには限らない。人類が將來より健康でより幸福であるためには,否人類がその生存を保つ事を願うのであれば,我々は單に肉体的疾患のみならず更に亦戰爭を引起す樣な精神の疾患,社會的非順應性に對しても世界をうつて一丸とする攻勢を絶えずとらねばならない。

最近の狂犬病ワクチン

著者: 長野泰一

ページ範囲:P.219 - P.221

Pasteurワクチンの效力の限界
 昨年國際連合の世界保健機構(Organisationmondiale de la Sante)が60箇國に亘る主要研究所に向つてどんなワクチンが良いと思うかと質問した所が,Pasteur法が良いと答えたのはただの2箇所であつたという。その2箇所とはわが傳染病研究所とアルジエリアのInstitut Pasteurである。Pasteurワクチンはそんなに惡いものなのか,Pasteurワクチンよりも良い事が確證されたワクチンが澤山あるのか。McKendrick(1)がかつての國際連盟の委囑によつて調査した結果,どのワクチンが優れているのか判らないし,Pasteurワクチンをも含めてそもそも狂犬病ワクチンなるものがきくのかどうかも判らないと報告した。あの有名なTopleyの著書の最新版(1946)などもこの報告に基いてPasteurワクチンの效果を殆ど否定しかねない論調を示しているが,甚だ輕度である。McKendrickの調査は數年にわたり,總數百萬例以上について行われた大規模のものであるが,統計の取り方が間違つているのではないか。Greenwood2)は狂犬病ワクチンの效果に關する統計においては對象の條件が餘りに不均一である爲に捨てるべき症例が多過ぎる。これまでのような資料を今後幾ら集めても正しい統計は取れないだろうといつている。

都市の清掃行政—行政的理念のありかた

著者: 須川豊

ページ範囲:P.222 - P.224

 都市の清掃行政を論ずるに當つて先ず問題となるのは,現行の汚物掃除法の功罪であろう。明治33年に制定せられたこの法律は市内の土地の所有者,使用者が掃除をなし,集めた汚物の處分は都市の義務で行い,公共の場所の清掃も亦市の義務であることを規定し,清掃行政について國家義務を全然考えていない。このことは清掃事業が住民の密集して生活している都市自身の個有事務であって,國はこれに對し責任を有しないという考え方を法的はあらわしたもので,終戰後の日本の地方自治の精神を明治の半ばに具現したといい得る。
 この結果は文化國家建設といわれる現状において大都市の中央繁華街を屎尿水をこぼしながら歩いている馬車のみられる風景をあらわしたのである。即ち明治より昭和に至る中央集權に終始した日本の行政においてこの事業を發展せしめないのは當然である。

黒水仙を見て—映畫評

著者: 懸田克躬

ページ範囲:P.250 - P.251

 この「黒水仙」という映晝には,専門的の立場―技術的な面以外に,映晝の專門領域などというものはないだろうと思うが―からは,いろいろの問題があるであろう。しかし,編集者から課題として與えられたような「精神衞生」的な問題を考えるのに適當な映晝かどうかは問題のようである。内容的には,精神醫學誌の眼から,特に問題になる作ではないようである。もちろん,映晝としての良否と,われわれのいう問題の有無とは領域を異にした事柄であることはいうまでもあるまい。
 しかし,この書面の美しさは類ないくらいである。おそらく,この映晝の作者には,物語の筋の面白さ,または,このスートリーの内容の投げかける問題を追求するというよりも,この原作から,あの高いヒマラヤの高原がイメーヂとして晝かれており,これをセツトとテクニカラーで表現してみることに,第一の興味をひかれたものではないであろうか。いつてみれば,この映晝では,何をいおうかというwhatは問題ではなくて,さまざまの意味の美しさ──自然の姿もあり,人の姿もあろう──をどのように表現するかということ,howにこそ問題があつたのではないかと思う。「蛇の穴」や,「失われた週末」などが,問題になるというような意味での問題はない。問題がhowにあるのだとするとこの映晝には非常な物足りなさがある。それは臭いのない世界であるということ。きつと,この映晝の作者が大きい意味をもたせたに違いない。

國内・海外ニュース

ページ範囲:P.246 - P.247

昭和26年度の厚生省豫算
 昭和26年度の厚生省所管豫算要求額ま,一般會計において442億圓,厚生保險特別會計において205億圓,船員保險特別會計において,21億圓,國立病院會計において44億圓を夫々計上した。
 先ず,一般會計の豫算についてその大要を述べると,本年度豫算額に比べ,明年度は約110億圓の増額となるが,その大部分は社會保障の經費が占めている。從つて國會等においても,審議の際これが論議の中心となり,延いては社會保障制度の實施内容が批判の對象となることはいうまでもない。

質疑應答

著者: 重松逸造 ,   仲田良夫 ,   中村康 ,   洞澤勇

ページ範囲:P.243 - P.244

 問 最近ツベルクリン反應の陰性轉化ということがよく言われていますが,BCG未接種のツベルクリン反應陽性者で,實際に陰性となることがしばしばあるのでしようか。又かかる者にはBCG接種の必要があるでしようか。
 答 ツベルクリン反應が陽性より陰性に轉ずる場合として,今村教授はV. Hayek等の命名を用いて次の場合をあげておられます。既ち(1)特異性陽性アネルギー(結核染が自然治癒によりツ反應陰性となつた場合),(2)特異性陽性アネルギー(ツベルクリン療法や各種結核ワクチンの持績的注射によりツ反應陰性となつた場合)(3)一時的陰性アネルギー(肺炎,腸チフス等の急性熱性疾患の經過中に一時ツ反應が陰性を呈する非特異性の場合と,主として牛で見られるツベルクリン大量注射により一時アネルギー状態となる特異性の場合とあり)(4)永久的陰性アネルギー(結核性疾患の末期にみられる特異性の場合と,他の重篤な疾患の末期にみられる非特異性の場合とあり)御質問の陰性轉化とはこの内の(1)の場合を指しておられるものと思いますが,われわれが言う陰性轉化又は陰轉という言葉は,現行のツ反應檢査方法で陽性より陰性になつたという意味で,實際には所謂ヒプエルギーの場合も多數こ含まれているわけです。

海外文獻

全地域胸部X線檢診Ⅰ.(總論)/全地域胸部X線檢診II.(保健婦活動)

著者: 重松

ページ範囲:P.225 - P.226

 Community-Wide Chest X-ray Survey I. Intrcduction From the Office of the Chief, Divi ion of Tuberculosis, Public Health Service. P. H. Rep.,65(40):1277-1291, 1950. 10. 6.
 (内容解説),前に本誌にDr. D. Zacksのマサチユセツト州におけるX線集檢の經驗を集めたモノグラフについて紹介されているが,標題の論文はアメリカのP. H. S. 結核部がP. H. S. の立場として1946年以來行つているX線集檢に對するPlanningを紹介したもので,彼の著者と一緒に讀むと特に興味が深い。

時評

産兒制限と海外移民

著者: 岡崎文規

ページ範囲:P.227 - P.227

 産兒制限と海外移民とのあいだに密接な關係があるといえば,人は奇異の感をいだくかも知れない。もちろん,産兒制限を實行すれば,必ず海外移民が認められるというのではない。海外移民は,他國の領土へ人を送り込むことであるから,一方的にこれを取り計ろうわけにはいかないのであつて,政治的または外交的折衝に待たなければならない。過剩人口を緩和するための一つの手段として,海外移民の必要を唱えても,海外移民が眞に過剩人口問題の解決に役立つことを緒外國に納得させなければ海外移民について好意的な考慮は拂われないであろう。この意味において,産兒制限の實行は,海外移民を好意的に考慮せしめるための重要な要件であるといわなければならない。
 フェヤチャイルド博士は,1945年に,「世界人口移動と合衆國」と題する論稿のなかで,高い出生率をもちつずけている過剩人口國に移民を許しても,移民の送出によつて生じた空席は増加人口をもつてたちまち埋めつくされるから,移民は,その送出國の過剩人口問題の解決には全く役立たないのであつて,その受入れ國にとつて,國内的に面倒な問題をひき起すにすぎないといつている。

研究報告

農村の飮料水井戸の環境種々相

著者: 村江通之 ,   坂口平 ,   河津博

ページ範囲:P.228 - P.230

 現在農山漁村の衞生に關しては論じなければならない問題が山積しているが飮料水もその一つである。この問題は農山漁民自身は無論のこと,衞生監督當局すらこれを輕視し,何らこれに對する指導も對策も實施しておらない。日本人は一般に井戸水であればそれが如何なる環境條件下にあろうと一向に關心を持たないで飮用に供している。
 また我國の先輩の井戸水に關する研究調査報告は多數あるが,主として水質檢査のみを報告して,環境條件の調査研究は忘却され,僅かに城氏の香川縣内飮料水用井戸の調査(1),中村,森の東津輕郡下小學校飮料水試驗(2)福井,川津は夏季飮食物の衞生學的謂査の際に井戸の環境條件を論じ(3),大村,佐藤,廣瀨等は塵埃捨場の遠近の井戸に及ぼす影響を述べているに過ぎない。

公衆浴場浴水の汚染度に就いて(1)

著者: 洞澤勇 ,   岩戸武雄 ,   萩原耕一

ページ範囲:P.231 - P.232

 公衆浴場は古くから日本に於ては一つの公衆に對する水浴場であると共にRecreationの場處として發達してきた。從つて我が國の社會に於ては最も公衆の生活に溶け込んだ施設として重要な役割を演じ,公衆衞生上の立場から大いに今後も檢討しなければならないものゝ一である。殊に近時は性病の傳播源の一として注目を引いているが,これ等複雜な問題に對する衞生的な解決は常にその立場を明確にしておかないと種々混亂し,かへつて問題を複雜化する恐れがある。浴氷の問題にしても同樣で,之を公衆衞生なる全般的な立場からみた場合と特殊な問題を主にした場合とを別々に考へるのが妥當であらう。例へば環境衞生面からの標準的な立場からは浴水の全般的な汚染を取扱うべきであるし,性病豫防等の立場からは消毒を主として考えなければ問題の解決には近ずかず,又,この兩者を混同して考えれば仲々適正な結論には到達しない。又,第一の立場からみた場合,著者は浴水と上り湯の汚染度は別々の標準によつてみるべきであると考える。そして,環境衞生的な立場から後者は飮料水と同樣の汚染度におくべきであるし,前者は家庭下水の1種であるからもつと汚染度を高い所におくのが實際的であると思う。で,著者等はこれらの點から浴水の衞生的な基準を何處におくべきかをもつと科學的に考究するためにその資料の一として浴水の汚染度を調査研究している。

統計の頁

1950年における法定傳染病

著者: 平出光 ,   飛鳥井きみ

ページ範囲:P.233 - P.239

1.はしがき
 終戰後,適切にうたれた公衆衞生的な措置により,わが國の傳染病患死者は,まことに所謂「ナイヤガラの瀧」的勢いをもつて減少したことは,既に私達の知るところであるが,さて昨昭和25年における法定傳染病の發生状況はどのようなものであつたろうか。この本題に入る前に,1950年からのそれを簡單に數表と圖表により一瞥してみたい。
 表1・圖1より,とくに目立つのは赤痢の増加であつて,同じ消化器傳染病の腸・パラチフスが終戰後著しい減少を績け,1950年にはそれぞれ罹患率5.9 2.1という届け出が始まつて以來最低の値を示したにも不拘,この疾患は1949年より再び勢を盛り返し,49年29.1 50年59.7と,2倍強の流行ぶりである。貧しい私達の國にとつて,赤痢の撲滅を豫防接種にのみしか,頼るすべがないとすれば,これは又,餘りにも淋しい話であろう。

醫藥隨想

オクスフオードの一日

著者: 古屋芳雄

ページ範囲:P.241 - P.242

 私は1950年4月24日の朝7時オハイオ州のミドルタウンという小さな町に下車した。と,そこにはもうウエルプトン博士(先般日本に來られた人で今國際聯合の人口部長をしている)が自動車を操つて迎えに來てくれていた。實は例のタムプソン博士(マ元師の顧問としてこれも先般日本に來られたことは多くの人が知つている)の,たつての希望と,ワシントンのパブリックヘルス・サアビスの人の勸獎があつたので,ボストンからシカゴへ直行する豫定だつた私のスヶヂユールを變更して,こゝまでやつて來たのである。
 タムプソン博士とウエルプトン博士とは,マイァミ大學の中に事務所を置いて,スクリップス財團の仕事をしている。そしてその大學の在るオクスフオードはミドルタウンからは車で約20公ほどの距離にある。

木村名人と升田八段の決戰

著者: 石垣純二

ページ範囲:P.242 - P.242

 天下の耳目をあつめた木村名人對升田八段の第1回戰は,升田八段武運拙く終盤の落手で潰えた。週刊朝日4月1日號の一文は實にすばらしい名文でこの決戰の情景を目のあたりに傳えている。
 木村名人の時間切れを目前にして,いういう3時間餘をあました升田八段が大ポカをやるなどというのは,全く不思議だけれど,人生にはこうした皮肉が少くないから,人間心理の研究家にとつては,別に不思議でも何でもない。あたり前のことであろう。

公衆衞生學教室めぐり・4

京都大學醫學部—3つの研究方向

ページ範囲:P.240 - P.240

 わが國の衞生學界の大御所,戸田正三博士が,教だんを去つてから,京大の衞生はどうなるであろうかとは,この道に關心をよせる人人にとつて興味ある問題となつていたようである。
 ところで,衞生學教室の主任には,その高弟で滿州においてしゝとして研さんをはげんでいられた三浦運一教授が着任されるとともに,同じく一門の高弟で,新進氣鋭の西尾雅七博が公衆衞生の主任教授となつて,ここに陣容をあらたにし,躍進京大の研究はこれからいよいよ軌道にのろうとするのである。

保健所便り

長野保健所

著者: 岡村武男

ページ範囲:P.245 - P.245

 私達の保健所は1市1郡,人口23萬,面積779方kmであり,人口にしろ面積にしろ相當過大な管轄をもつている。職員は醫師5名,保健婦9名,總員56名,出生率36,4.死亡率11.3,乳兒死亡率58.0である。管内には都市あり,農村あり,山村あり,性格的には異つた對稱を指導しなければならない。その概要は下表の樣である。
 特色ある業務は別に之と云うものはないが管内の乳兒死亡率58.0は相當高率な數字である。この内容を檢討するとその大部分の死亡は1ヵ月以内の死亡の所謂先天性弱質である。早産や先天性弱質による死亡を減少させるためにはどうしても姙産婦指導が大切であり,私達は母親教室に依る姙産婦指導には力を入れている。保健所にて實施したもので1ヵ年に43回,受講生1830人,特に農山村に重點をおいて指導している(冩眞は母親教室)。

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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