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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科1巻3号

1947年09月発行

雑誌目次

〔Ⅰ〕原著及臨牀報告

音響の光神竝に色神に及ぼす影響に就て

著者: 中野公正

ページ範囲:P.113 - P.119

第一章 緒論
 都市醫學或は産業醫學上,騒音が問題にされる様になつたのは最近20年來の事であるが,今日の如き時局下では其の研究は益々必要となつてゐる。殊に其の眼機能に及ぼす影響に就ては全く不明のものが多く殘されてゐるからである。
 既に古くNussbaumerは聽神經の興奮により色彩を自覺する事を報告した。Urbantschitsch(1888)は音覺の喚起された場合には色覺の亢進を來たし,音刺戟によりて視野は明るくなり,不明瞭或は全く認め得られない文字を讀む樣になると言つてゐる。Haenel(1919)も音響は視覺を興奮せしめて光覺を感ぜしめる事を報告し,Lazarev(1927)は周邊視の際光覺は音響によりて増強せられると言つてゐる。又Kravkov(1930)は白地に黑の4角形の視標を以てする視力は音響によりて増加し,黑地に白の視標を以てする視力は惡くなつた事を報告し,田村(1933)は之を追試し音響によりては白地に黑環及び,黑地に白環何れの場合にも視力は減退すると述べ,藤本(1935)は其の被檢者の1名に於ては黑地に白標,白地に黑標の何れの場合にも音刺戟によつて視力減退し,他の1名に於ては視力の増進するを見,音響と視力との間には一定の規則性を見出し得ないと言つてゐる。

眼球赤道部(赤道)及び渦状靜脈の眼球内位置に就て

著者: 清水新一

ページ範囲:P.119 - P.122

緒論
 我々が臨牀で鞏膜上に手術的操作を加へる時,例ば網膜剥離の手術,硝子體吸引,眼球内の異物摘出,對緑内障手術,或は眼球の摘出術を行ふ場合とか,眼球の外傷等の場合に,眼球赤道部(赤道)の位置や眼球内の渦状靜脈の位置を知り度い場合が屡々ある。
 然し遺憾乍ら眼球赤道の位置や渦状靜脈の眼球内の位置に就て成書に明確に記載されて居るのが少い樣である。

驅黴療法に依り治癒せる稍々稀なる經過をとりたる腦疾患二例

著者: 有澤武

ページ範囲:P.122 - P.125

 第1例 12歳の男の子供,體格稍々小,榮養衰へ,顔面蒼白,皮膚光澤なく,彈力も乏しい。老人樣無力なり,頭髪甚だしく粗にして高度尿崩症を來たし,小兒科に入院中,トルコ鞍内腫瘍を摘る様手術を宣告されしも確診を得るため當眼科受診す。本患者は學業成績中等以上なるも2年前より頭髪稱々薄くなり1年前より尿意頻繁多尿となりたり。入院當初尿量最大6950ccに及ぶ,血液ワ氏反應陽性,眼科診斷,兩耳側半盲(尚鼻側下方及び下内方は著しく狭窄す)視神經萎縮著明,視力,右眼1.0左眼0.1レントゲン寫眞,トルコ鞍著變なし,腦脊髄液穿取により初壓120,終壓80採取量14cc色無色透明,細胞数4,(Globulin)(Nonne Apelt)(Pandy)氏反應陰性,以上により小兒科的に腦下垂體腫瘍を疑はれたが,本症はトルコ鞍變化なくChromophobの如き肥胖病もなく,Chromophilの如き肢端肥大症もなく,しかも尿崩症,惡液質なく皮膚乾燥,無力症,毛髪變化を伴つて居る。

視神經乳頭硝子疣と網膜色素線條の共存せる症例に就て(圖2)

著者: 松原廣

ページ範囲:P.126 - P.128

第一章 緒言
 網膜色素線條及び視神經乳頭硝子疣の個々に就ては已に内外多數の報告があるが,後者に就ては其の發生機轉及臨牀的意義等未知なる點が尠くない。就中兩者併存せる症例は稀有であつて茲に共の一例を追加し兩者の發生機轉にも觸れてゐることは強ち無駄ではないと思ふ。

夜盲の遺傳に就て

著者: 安間哲文

ページ範囲:P.128 - P.132

 此處には比較的多い網膜色素變性を除き,狭義先天停止性夜盲症,小口氏病及白點状網膜炎の遺傳に就て論する。
〔A〕狭義先天停止性夜盲症:家系圖(1)-(11)

月經に關係せる片眼内眼筋麻痺の1例

著者: 大原美代子

ページ範囲:P.132 - P.133

 臨牀上月經に關係して,内眼筋麻痺を經驗することはきはめて稀である。故に以下その大要を報告する。

〔Ⅱ〕臨牀講議

黴毒性滲出性網膜脈絡膜炎

著者: 中島實

ページ範囲:P.134 - P.139

 患者は34歳の興業師(水野)で,主訴は兩眼の視力障碍である。昭和21年9月初めから右眼,12日頃から左限の視力障碍に氣付いた。尚10日頃から兩眼に夜盲がある。
 11日にある眼科醫の診察を受けた所,黴毒性の眼病だからとて直にサルバルサンを注射せられたが,視力障碍は益々惡化して來た。全身的には左足關節の捻挫を起して以來約3ケ月續いて居る左の腰及び大腿の鈍痛以外には頭痛も倦怠感も無い。

〔Ⅲ〕私の研究

トラーコーマ病原體の家兎尿道,腟竝に結膜に於ける實驗的研究

著者: 太口正道

ページ範囲:P.139 - P.145

 トラコーマは年々減少の傾向にあるとは云ふけれども,吾が國に於ては未だ等閑視することの出來ない疾患である。そしてその病原に關して最も問題視されるものはプロワツエック氏小體(以下P小體と略記する)である。又P小體は人間の泌尿生殖器粘膜に證明され,且その泌尿生殖器粘膜にP小髄を認める母の初生兒の結膜にもP小髄を認めることのあることも既に明らかである。私は北大眼科教室貯藏のトラコーマ材料(トラコーマの家兎睾丸累代接種によつて反應を呈した家兎睾丸一日眼第39卷,第42卷,第43卷,第44卷等に越智名譽教授,藤山教授が詳述された)を使用して,92頭の成熟した家兎に就いて,トラコーマ病原體は,家兎の泌尿生殖器點膜及び結膜に於て如何なる態度をとるものであらうかとの觀點より實驗的研究を行つた。即ち第一にトラコーマ病原體として,家兎睾丸累代接種に於て反應を呈した睾丸組織(生理的食鹽水乳劑として貯へられたもの及び50%グリセン中に貯藏されたものを使用した。

〔Ⅳ〕私の經驗

小涙管は擴張か切開か

著者: 越智淸蔭

ページ範囲:P.145 - P.146

 流涙を訴へる患者の中で他に何等原因なく單に涙道に變化があつてブヂーを使ひその治療をなした人で涙嚢洗滌によつて普通に液が鼻腔内に流下するにもかゝわらず流涙に悩む患者がある。一方涙道に何等機質的變化なくして機能不全或は無氣力症とでも言ふべきものがあるのであるから當然ブヂー挿入を受けた患者の中にも機能不全と言つた様なものがあることが考へられる。然し一番考へられるのは表題の如く小涙管も切開したか擴張したかと言ふことが一つの問題だと思ふ。結論から先きに言へば私の經驗では小涙管は擴張すべきもので切開すべきのでない。切開が大なれば大なる程流涙は多い様に思へる。漫然たる統計であるけれども少くとも患者の自覺ではそうである。たまたま左右切開の程度が大差あり,涙嚢洗滌のとき流下の程度が同じ位のもの二三につき公炳禹氏の涙道檢査法を試みた結果は切開が大なる方流通不良と言ふことになつた。敢へて二三と言つたのはあつらへ向きの患者が割合ないので少數の患者で連續的に毎日檢査したので檢査囘數に開きがあつたのである。一方ブヂーを挿入したことのある患者であるから色々な程度で涙道に洗滌のみによつては知ることの出來ない變化があることが考へられるから流涙を小涙管の切開にのみ大きく責任をもたせることは適當でないかも知れない。

〔Ⅴ〕學會感想斷片

國際眼科學會隨想/四月學會傍聴小感

著者: 中村文平 ,   大塚任 ,   清水新一 ,   神鳥文雄

ページ範囲:P.147 - P.150

 今年(昭和22年,1947)は例年より時候が遅れ,肌寒い日の續く事が多かつたが,漸く昨今初夏らしい,スガスガしい天候となつた。今日(5月31日)アルプスの殘雪を望み,庭の若葉に埋もれ,點綴する様々の躑躅を眺めて居る矢先に,阪大から轉送された對書が着いた。共書状の裏にはストックホルム・ノルデンゾンと書いてある。
 夫れは國際眼科學會の會頭であり,其理事會議長であるノルデンゾン氏及び共名譽秘書エーレルス氏よりの,本年5月17日17時に,パリの醫學部會議室で國際眼科學會理事會があると云ふ召集状であつた。

〔Ⅵ〕學會特別講演

慢性涙嚢炎に就て(其一 臨牀的觀察)

著者: 藤原謙造

ページ範囲:P.151 - P.154

第一 緒言
 慢性涙嚢炎は吾々眼科臨牀家の日常屡々遭遇する疾患であつて,其臨牀的竝びに病理學的研究の今日迄發表せられたもの枚擧に遑がない。殊に吾國に於て中村康,佐古博愛,石黑元治,下山忠典,鴨川章,三井幸彦等諸氏の業積は特に重要なものである。
 吾教室では昭和5年佐古の研究發表後にも,私は引續き更に罹患涙嚢を集めて病理組織學的檢査を行ひ,今日に及んだので,今茲に其所見の大要を集録するに先立ち臨牀的の僅少な觀察を述ぶることゝする。

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〔Ⅶ〕醫局だより

ページ範囲:P.154 - P.154

 久留米醫科大學眼科醫局。現在の久留米醫科大學に就て述べる前に.先づ其の前身である九州醫學專門學校以來の沿革に就て少しく述べてみたい。
 昭和3年4月1日.九州醫學專門學校創立,開校と同時に久留米市京町一丁目(中學明善校西側の高台)に在つた久留米市立病院の敷地,家屋診療機械及び引續き診療中の患者とを繼承して.其の日より眼科學教室としての業務を開始した。教授は久留米市立病院眼科醫長より引繼き在職された吉村郁三醫學士が昭和3年4月1日より昭和4年6月15日(死亡)まで在職,昭和4年6月15日より昭和5年12月31日までは今井良平博士.江浦榮山博士.田中徳博士夫々講師として眼科醫長を勤められた。次で昭和5年12月31日廣瀬金之助博士 九州醫學專門學校教授となり眼科學教室主任.眼科醫長となられた。昭和7年5月 悠々たる筑後川の清流 小森野を洗ふ處,篠山城の石垣に對して 白堊の醫學殿堂即ち九州醫學專門學校本館及び附屬病院新築竣工したので 即ち久留米市小森野町(現在・久留米市旭町と改稱・)の附屬病院に移轉し,新病院の威容と共に眼科學教室の内容も充實し,昭和7年3月26日第1囘卒業生を出すと共に新卒業生入局し,其後.卒業の囘を重ねる毎に 入局者も多く.眼科學教室益々隆盛に赴き又教室出身者は或は就職或は開業にと社會的に活躍した。

〔Ⅷ〕外國文獻抄録

著者: 中島章

ページ範囲:P.155 - P.158

The Journal of the American medical As-sociation Vol.132.No 7.(1946)
1.先天梅毒性角膜實質炎に封するペニシリンの效果
 J.Yampolsky and A.Heyman. 9例の角膜實質炎をペニシリンで治療した。その内4例は中等症5例は重症で全部の患者に體重1kg當り5萬單位を3時間置き,7日半にわたつて注射した。4例では角膜炎は惡化し熱療法が必要となつた。他の3例で症状は幾分好轉し,他の療法の必要がなかつた。非常に效いたのは唯1例で,周擁充血は急速に減少し角膜溷濁も消失したが,2週間後再燃し,他眼に及んだが再びペニシリン療法を行ひ,有效であつた。殆んどの患者で血清反應が輕くなつたが陰性になつた者はなかつた。數例にペニシリン液の點眼を行つたが效果はなかつた。

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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