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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科12巻10号

1958年10月発行

雑誌目次

日本トラホーム予防協会々誌

トラコーマの初発症候に関する問題に寄せて

著者: 鈴木宜民

ページ範囲:P.67 - P.68

緒言
 三井氏1)がトは感染後約1週間の潜伏期の後,急性濾胞性結膜炎の症状で始まるもので,従来慢性に発病しその発病の初期を知らないとされていたが,それは全く誤りである事が証明された云々と,本邦眼科学会に大きな波紋を投じ,又その後の宿題報告2)に於いても更にこの点を強調し,多くの人の支持を得た事は一般の記憶する処であるが,私がそれに対して疑義を唱え,又反対して来た事も周知の処である。而してその何れがトの真の姿をうたつたものであるか,この点を明らかにする事は吾々に課せられた重要な課題と云うべきであるが,私は数年来トの症候名説を主張しておる立場から私の強調する処を更に明らかにしておきたいと思う。

連載 眼科図譜・46

先天性涙腺瘻の1例

著者: 鈴江正 ,   若山秀二 ,   三木敏夫

ページ範囲:P.1257 - P.1258

解説
第1図
〔症例〕先天性涙腺瘻(左)9歳,女
 初診日:32.5.11.

綜説

トラコーマの個々の症例について—トラコーマ検診メモより Ⅱ

著者: 国友曻 ,   鳥海しのぶ

ページ範囲:P.1259 - P.1271

 御承知の様に我国のトラコーマ(以下トと略す)の診断基準というのは,今迄はあつてもない様でありましたが,2〜3年前から桐沢教授を班長とするト研究班におきまして,とにかく1つ診断基準というものを,たとえ人為的でもよいから作つて,それにのっとって日本全体の眼科医がやつていこうではないかという様な話になりました。何回かdiscussionの場を与えられて,お互いにdiscussion致したのでありますが,その結果出て参りました結論と申しますのは,ト研究班の中に入つている班員の考えの最大公約数みたいなものになつてしまつて,おのおののそれに参画した委員達がいいました意見が,全部通つたという訳ではなかつたのであります。従つて10人おりますと,10人が違つた考えを持つているのは,現在皆さんがいろんな本をお読みになりましたり,或は又いろんな会でトに対するみんなの考えがいろいろ違つているということを,よく御存じの通りであります。然し乍ら,とにかく1つのカタログを作りまして,しかもそれをcolourの図譜に出しまして皆様のお手許に届ければ,大体に於て従来よりはやはり1つのある型にはまつた,或は程度の比較的近まつた診断が出来るのではないかという様な意味では成功であつたと思います。

臨床実験

先天性涙腺瘻の1例

著者: 鈴江正 ,   若山秀二 ,   三木敏夫

ページ範囲:P.1273 - P.1275

 先天性涙腺瘻の報告はMackenzie (1830)に始まる10数例1)が散見されるのみであり,本邦においても吉川2),三宅3)の2例をみるにすぎない。最近私達は先天性涙腺瘻の1例を経験したので報告し,併せて本瘻より湧出する涙液の性状を排泄量,蛋白量及び食塩量等により検討し,興味ある知見を得たので報告する。

視野感度計について

著者: 菅原淳 ,   浜田正和

ページ範囲:P.1275 - P.1277

I.緒言
 通常の視野測定は,その範囲を数値的に表現することは出来ても,その見え方を数値的に表現することは出来ない。そこで視野の測定と同時に各部位の感度を測定することが出来れば一層精確になると思う。此の様な検査法として臨界融合頻度の測定があるが,これは暗調応状態の機能検査で一定値を得るには検査に長時間を必要とする。
 私達は明調応状態の機能検査で,而も通常の視野検査と同じ位置で各部位の感度を測定する目的で視野感度計を作り,短時間で一定値が得られ,更に検査に長時間を要しないので臨床上簡単に使用出来,而も価値のあることを知つたので,中心視野に就いて興味ある数例に就いて大要を報告する次第である。

T・M・C色覚検査表(東京医大式)の使用経験

著者: 谷宏

ページ範囲:P.1279 - P.1282

緒言
 本年四月東京医大馬詰教授及びその共同研究の方々に依り作製された仮性同色表,即ちT・M・C表を同教室の御好意に依り使用することが出来たので,それに就いて症例は僅かではあるが検討し,一応の結果を得たので取り纒め茲に報告する。

ラジオアイソトープP32の眼科診断学的応用

著者: 中泉行信 ,   長塚晃

ページ範囲:P.1282 - P.1285

緒言
ラヂオアイソトープ(R.I.)の疾病診断面への応用は最近特に進歩し将来は更にその範囲が拡がる傾向にある。放射性沃度(I131)による甲状腺疾患の診断,その化合物による脳腫瘍の診断(Moo-re,1948),放射性燐(P32)による乳腺の悪性腫瘍(Low-Beer,1946),脳腫瘍(Selverstone, G.E.Moore, Ashkinazy, Davis),消化管の悪性腫瘍(Gray, Schulman and Falkenheim, 1948),子宮癌(Schubert,1954)などの診断に関してはすでに多くの報告があり且つ可成り普及している。診断にR.I.を用いるには次のような条件が備わつていなければならない。即ち
 1)腫瘍組織に対する親和性が健常組織のそれに対して量的或いは質的に異ること

両眼水晶体偏位を伴つた巨端症の1例

著者: 山代睦美

ページ範囲:P.1285 - P.1288

 巨端症は,脳下垂体前葉のヱオジン好性細胞の増生に基く機能亢進によつて起ることは周知の事実であり,その眼変状については多数の報告がある。私はこの巨端症と両眼水晶体偏位及び合趾症とを併せ呈する非常に稀有な症例を加療する機会を得たので報告する。

横浜市に於ける2〜3の眼疾の統計的観察

著者: 横浜眼科医会

ページ範囲:P.1288 - P.1297

緒言
 特定地域に於ける特定疾患の分布状態,発生率等所謂疾病の動的観察を行う事は,社会公衆衛生学上有意義な事であるが,従来斯る眼科学的調査には大学病院の眼科教室や,特定病院を中心とした報告が多く,従つて調査範囲も限られて居た。横浜市眼科医会(会員数64名)では横浜市衛生局後援の下に同会員の協力により昭和30年から横浜市に発生した流行性角結膜炎(以下流角と略称),トラコーマ(以下トラと略称)眼外傷,眼徴毒等につき種々の調査をし,己にその一部は昭和31年2月元会員八来博士により神奈川眼科集談会及び横浜保健時報に報告発表せられた,其後も引続き調査を進めて居たので此度昭和30年3月より昭和32年12月迄の分を一括集計し,茲にそれを報告する。

Dextromycinの眼科的応用—其の1,抗菌力試験(附 デキストロマイシン,レギオンナトリウム溶液併用の試み)

著者: 浅山亮二 ,   三浦寬一 ,   白紙敏之 ,   不破晶 ,   掛見喜一郞

ページ範囲:P.1299 - P.1304

I.緒言
Dextrolnycin(以下DM)は緒方氏が土壤から分離した放線菌の一種たるStreptomyces fra-diaeの産生する塩基性抗生物質で,1949年同氏により命名されたもである。其の後,同氏及び立岡等により本品の精製研究が進められ其の理化学的特性が明らかになつたが,更に荒木等は本抗生物質の抗菌作用及び薬理学的諸問題に就て,詳細なる検討を加へ,主な特性として
 1.其の硫酸塩は水に易溶,アルカリ側で強い抗菌性を示し,且つ水溶状態では熱に安定で長期の保存に耐へ,血液成分による抗菌力減弱は見られない。

Dextromycinの眼科的応用—其の2 臨床実験

著者: 岸本正雄 ,   三浦寬一 ,   白紙敏之 ,   不破晶

ページ範囲:P.1307 - P.1314

I.緒言
 1929年FlemmingがPenicillinを発見し,幾多の細菌性疾患に卓効を奏して以来,Strepto-mycinを始めとして多くの抗生物質が医用に供されて居る。
 眼科領域に於ては外眼部疾患殊に結膜炎はその病原菌が多種多様にわたり,且つ罹患率も高いので,抗菌帯が広く易溶で,しかも安定性が大で耐性菌の生じ難い治療剤が要求されて居る。

プレドニンの奏効した網膜剥離を伴う前房蓋膿性萄葡膜炎の1例

著者: 保坂明郎 ,   高垣益子 ,   長南常男

ページ範囲:P.1317 - P.1319

 他の治療法の無効であつた原因不明の葡萄膜炎の1例にプレドニン(プレドニソロン製剤塩野義)の内服及び結膜下注射が有効に作用した例を経験したので報告する。

反覆再発を繰返した球後視束炎

著者: 長南常男 ,   能登富士也

ページ範囲:P.1321 - P.1325

 1866年Von Graefeが始めてretrobulbareNeuritisという名称を使用して以来,欧米諸国に於ても,又わが国に於ても種々論議されつゝ,未解決のまゝ現在に至つている。その病因として一般に挙げられているものは,感冒,伝染病,副鼻腔疾患,眼窩先端部疾患,脳底疾患,視束脊髄炎,多発性硬化症,散在性脳脊髄炎,汎発性軸索周囲脳炎,視交叉部蜘網膜炎等である。
 我々は臨床的に球後視束炎と診断された症例に於て,開頭した結果,視交叉部蜘網膜炎を確認した一例を経験し,所謂鼻性球後視束炎との関連につき些か考按するところがあつたので報告する。

前円錐水晶体の1例について

著者: 安藤郁夫 ,   氏家正夫 ,   村谷力

ページ範囲:P.1325 - P.1328

 前円錐水晶体は1875年Websterが24歳男子の両眼に斜照に依り水晶体前極部が円錐状に前房中に突出しているのを認め,その状態が円錐角膜と類似しているのでこれを前円錐水晶体と称したのが嚆矢である。その後1880年Van der Laanの24歳男子例,1890年Nennemannの20歳女子例,1910年Jaworskiの32歳男子例,1922年Freyの43歳男子例1923年Riedlの36歳男子例と我が国最初の例である石津の2例(1例は22歳男子例で他は19歳女子例)がある。以後Weiss (1927年),Kienecker (1927年),Feigenbaum (1932年)の報告があり我が国に於ても石津のあとに1930年藤原の女子例,同年塚原の2例(1例は1歳男子例,他は17歳男子例),1936年出羽の17歳男子例,1940年美川の30歳男子例,1956年清水の2例,(33歳,30歳各々男子例で更に氏の私信によればその後4症例を数へている由)があり比較的まれな水晶体疾患である。
 私共は重篤な全身症状を呈し,内科にて入院加療中の一患者につき眼底検査を依頼され,偶然に該疾患を発見したのでこゝに報告する。

本邦人胎児の視束の発生学的研究

著者: 中泉行信

ページ範囲:P.1329 - P.1342

第1章 緒論
 眼科領域に於ける人胎児の発生学的研究はわが国に於いては従来誠に少数のものにして,恩師故中村康教授はこれに,着眼されて,本邦人胎児の発生につき,眼科学的研究を始められ,中村眼科教室より,其の後,視器の各部分につき,多くの研究が発表された。
 本論文は,其の多くの大研究の一環をなすものであつて,本邦人胎児の視束の発生につき,組織解剖学的研究をなさんとするものである。

手術

眼科領域に於ける全身麻酔—第1報 小児気管内麻酔

著者: 依田迪子

ページ範囲:P.1343 - P.1348

I.緒言
 眼科領域に於ける全身麻酔法に関しては,吾が国に於いても鴻1),吉田2),湖崎12)氏等の報告がある。特に小児に関しては弓削3),森4),能戸5)氏等の報告が有る。しかしながらどの報告をみても乳児に対する麻酔は皆無もしくは,僅少であつて,全部を合計しても11例しかない。麻酔時間も記載が無いか,またはみじかく,例えば鴻氏の例では最長10分間,平均約3分間に過ぎない。これらの諸氏が行われた麻酔法は,すべて注射または,開放点滴麻酔であるから,多かれ少なかれ副作用の発現をみている。例えば森氏は27例中2例に軽度の呼吸麻痺を経験し,能戸氏の場合は1例に呼吸停止,2例にチアノーゼを起している。弓削氏の用いられた麻酔法は強化麻酔であるから,そればかりでは効果が不充分であつて,必ず充分な局所麻酔の併用を必要としている。どうしても患者の興奮が鎮静せずに,更に開放点滴麻酔を併用したものが,40例中8例に及んでいる。またカクテル分割注射開始から手術開始迄に著しい長時間を要し,最大160分に及んでいる。湖崎氏も強化麻酔は小児の虹彩切除以上の手術には不充分であるから,吸入全身麻酔の併用を必要とすると述べて居る。これらの先覚者が眼科の全身麻酔に早く着目されて,その道を開拓せられた事は,まことに尊敬すべきであるけれども,専門の麻酔医の協力が無かつた為であろうか,厳密にコントロールされた理想的な麻酔法を採られなかつた事は止むを得ないと思う。

新作の鋭鉤による白内障手術

著者: 佐久間勝美 ,   林博

ページ範囲:P.1349 - P.1351

 白内障手術に於いてその水晶体の摘出に当り新しい鉤を考案し,数年来,これを用いて好結果を得たのでここに報告する次第である。
 従来,白内障手術の際に水晶体の摘出法は周知の如く嚢外摘出と嚢内摘出とがある。

談話室

欧米族日記(その8)

著者: 萩原朗

ページ範囲:P.1353 - P.1360

 足かけ3カ月,正味1カ月半のボンに於ける療養生活は,天候と共に心の晴れない日の連続でした。西独の初夏の空は,日本と同様で,西又は南西の風が,灰色の雲を毎日忙しなそうに,東北の空に運んで行きます。Prof.J.K.Müllerの厚意で紹介された外科の教授に,左手のギツブスを当てゝ貫い,眼科教室の二階の未だ塗料の臭いの漲つている小部屋をお借りして,病を養うことになりました。この部屋に最も近い病室を受持つている若い看護婦さんが,朝昼晩の食事を運んで来てくれます。旧いボン大学の病院は,終戦頃までは下町の街中に在つたのですが,市の南郊になだらかな裾を引いたVenusbergの丘の上に,外科,産人科,皮膚科,耳鼻咽喉科などが相次いで移転し,最近に至って眼科が新築されたのです。後から出来る病院程,体裁もよく大きさも大きいのが普通ですが,ボンの大学の眼科教室もその例に洩れず,実に堂々たるものです。浅いコの字型に建てられた4階で,各階の中央を通す一丁余りの長い廊下の両わきには,大小200に上る数の部屋が竝んでいます。正面玄関を入れば,右手の半分は全て病室で,左手の一階は外来,二階は主として精密検査室,三階は手術室で,地下が研究室となつています。

日本視察記(WHO研究旅行報告書)

著者:

ページ範囲:P.1361 - P.1363

 1956年7月26日ローマを出発,7月27日午後マニラに到着。
 7月31日,台風の為,予定より1日遅れマニラを離れ,同日午後東京着。

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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