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私の経験
70年をかえりみて(2)
著者: 中村文平
所属機関:
ページ範囲:P.819 - P.824
文献購入ページに移動私の研究生活
私は眼科医局に入る頃から,自分の興味を持つ眼科の研究に一生を捧げようと決心し,大いに励んだのであつたが,大正2年5月に柱と頼む水尾源太郞先生の御逝去に遭い,その意気粗衷し,郷里で眼科を開業しようと思つて準備を始めたところ,楠本長三郞先生から,「富山赤十字病院の眼科医長として奉職してはどうか」との御勧誘があり,自分としてもまだ若いのだから,今暫く奉職してからでも遅くはないと思い,富山へ行く事にして赴任した。
富山日赤の院長は内科の市川行章氏で,婦人科には現在迄長く侍医をして居る塚原伊勢松氏,外科には内藤靖氏等が居り,皆兄弟同様に親しく交際し,富山に開業の田上清貞氏は親身も及ばぬ程の面倒を見てくれるし,坂井氏に謠曲を習つたり,玉を突いたり,研究もしたりして,愉快に2年は過ぎた。病院の研究室は自分1人で占領して眼科の研究を続ける事の出来たのは幸であつた。かかるうちに大阪大学からは,佐多愛彦先生,及び宮下左右輔先生の十数回に達するお勧めがあり,私自身も研究を続けたい希望もあつたので,開業を思い切り,母校に帰つて研究する事とした。
私は眼科医局に入る頃から,自分の興味を持つ眼科の研究に一生を捧げようと決心し,大いに励んだのであつたが,大正2年5月に柱と頼む水尾源太郞先生の御逝去に遭い,その意気粗衷し,郷里で眼科を開業しようと思つて準備を始めたところ,楠本長三郞先生から,「富山赤十字病院の眼科医長として奉職してはどうか」との御勧誘があり,自分としてもまだ若いのだから,今暫く奉職してからでも遅くはないと思い,富山へ行く事にして赴任した。
富山日赤の院長は内科の市川行章氏で,婦人科には現在迄長く侍医をして居る塚原伊勢松氏,外科には内藤靖氏等が居り,皆兄弟同様に親しく交際し,富山に開業の田上清貞氏は親身も及ばぬ程の面倒を見てくれるし,坂井氏に謠曲を習つたり,玉を突いたり,研究もしたりして,愉快に2年は過ぎた。病院の研究室は自分1人で占領して眼科の研究を続ける事の出来たのは幸であつた。かかるうちに大阪大学からは,佐多愛彦先生,及び宮下左右輔先生の十数回に達するお勧めがあり,私自身も研究を続けたい希望もあつたので,開業を思い切り,母校に帰つて研究する事とした。
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