icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科15巻5号

1961年05月発行

雑誌目次

連載 眼科図譜・72

網膜色素線兼黄斑変性(Coppez et danis型)に就いて

著者: 小島克 ,   粟屋忍 ,   半田登喜代

ページ範囲:P.627 - P.628

〔症例〕
患者:村○。43歳。男(初診.昭35.5.4)
 家族歴:同胞7名,姉に糖尿病と弾力線維性仮性黄色腫がある。

綜説

隅角所見より見た毛様体解離術の成果

著者: 岸本正雄 ,   永田誠 ,   上野一也

ページ範囲:P.629 - P.633

 最近6年余りの間に実施した毛様体解離術で術後の隅角所見が明瞭に記録されている手術について,隅角部の裂隙形成と眼圧調整状態との関連を調査した。眼圧日動揺曲線,トノグラフィー,暗室試験,水飲試験,須田眼球圧迫試験の各個々の成績と裂隙の有無とは不可欠の平行関係を示さない。眼圧検査の綜合成績と隅角所見との関連では,術後隅角に裂隙形成のあることが望ましいが,これの有無は必ずしも手術奏効状態を反映しているものではなく,裂隙無くして奏効十分な場合,裂隙有つて無効な場合もあることを指摘しなければならない。故に奏効と裂隙の存否とは,Alles-oder-Nichtsgesetzで律し得るものではない。
 因に我々のところでは毛様体解離術は比較的特定の揚合,特に調整困難な難症の再手術として実施することが多く,我々の全般的手術成績は余り良くなかつたことを附記した。
 恩師浅山教授の平素の御指導を深謝する。
 本文は昭和35年6月19日松山市に於ける第10回四国眼科学会「緑内障シンポジウム」口演に添削を加えたものである。

私の経験

ボゥスイノダイナミックス(1)

著者: ツネカズユゲ

ページ範囲:P.635 - P.644

1.ボゥスイ〜ブンピツロンノハッテンノケィカ
 ボゥスイガモゥヨゥタイノブンピツニヨッテツクラレルトイゥカンガエハヒジョゥニフルクカラアッタ23)。Boucheron (1883)ハモウヨウタイヲゼンゴノ2ツノブブンニワケ,ゼンブハボゥスイヲ,コゥブハショゥシタイヲブンピツスルトシタ。Treacher—Collins (1890),Nicati (1890),Mawas(1910)ナド,イズレモブンピツニヨルボゥスイサンセィノカンガエヲシジシテイル。Mawasハブンピツカリユゥヲサエミイダシタトイゥ。ミトコンドリアガセンサイホゥノブンピツキノゥニフカイカンケィガアルトカンガエラレ,マタGolgiブッシツ(Golgi〜シナイモウソウチ)トサイホウノブンピツキノゥトノカンレンガモンダイニサレルニオヨビ,コノホゥメンカラモモゥヨゥタイノボゥスイブンピツキノウガケンキュウセラレタ。Seidel (1918—1920) Carrere (1923),Albrich (1923),Stella (1923),D'amico (1928) Farina (1928),Rotschin (1929)ナドハミトコンドリアノモゥヨウタイノブンピツキノウニタイスルカンヨヲミトメ,モウヨゥタイヲOcular—glandトミナシタ。サイホゥナイクゥホゥノピロカルピンニヨルゾゥカ(Seidel),ゼンボウセンシニヨルソノゾゥリョゥ(Carrere)モカンサツサレテイル。

臨床実験

網膜色素線兼黄斑変性(Coppez et Danis型)に就いて

著者: 小島克 ,   粟屋忍 ,   半田登喜代

ページ範囲:P.645 - P.650

 網膜色素線(St.p.と略す)に黄斑変性のみられることが知られて居る。但,臨床上,屡々経験するとも云えない。私共は最近得た症例について2〜3の点を検討した。

ステロイド糖尿病の1例

著者: 徳田久弥 ,   沢田惇

ページ範囲:P.651 - P.653

 ステロイド糖尿病とは,副腎皮質ホルモンの投与中に発生する糖尿病のことであつて,1948年にConnが,はじめてその臨床例を報告して以来,臨床家の注目を惹いている副腎皮質ホルモンの副作用のひとつである。最近わが国でも,2,3の人が報告しているが,その全部の例が,再生不良性貧血や白血病等の血液疾患の副腎皮質ホルモンによる治療中に発生しており,本邦だけにみられる特異な点として注目されている。
 私達も最近,白血病の副腎皮質ホルモン治療中に発生し,それによつて,眼底出血の増悪を誘発した珍しい例を経験したが,眼底変化を記載した例は今迄に見当らないので,ここに報告する。

アイソトープによる眼循環の研究—(その5)血管収縮剤

著者: 植村恭夫 ,   橋本省三

ページ範囲:P.655 - P.660

緒言
 著者等は,第3,第4報に於て主として血管拡張剤の眼環循に及ぱす影響に就て検討した。其の結果,末梢性に働く血管拡張剤は,全身的投与の場合には大量を投与し,全身的影響の著明な場合にのみ眼循環血液量は二次的に影響を受けて減少するが,球後注射の場合には,眼循環血液量は著明に増加し且つ其の持続が長いことも判明した。従つて眼治療のためには全身投与法より局所投与(球後注射)によるのが良いと報告した。血管収縮剤は眼科領域では点眼剤として広く使用されているが,一般には外科的ショック或いは類似の循環障碍の時に使用されている。今回は血管収縮剤の中日常使用されている交感神経興奮性アミンの2,3について,全身投与によつて起る血圧上昇に際し,眼循環は如何なる影響を受けるか,又,眼内血管は此等血管収縮剤によつてどの程度に収縮効果がもたらされるか等の点について,検討を試み若干の成績を得たので茲に報告する。

水飲試験の飲水作用機序に関する研究

著者: 相沢芙束 ,   A.Galin ,   M.McLean

ページ範囲:P.661 - P.667

 水飲試験は臨床的に,しばしば単純性緑内障Glaucoma simplex,或いは広隅性緑内障Open angle glaucomaの早期診断に使用されるが,飲水後の眼圧上昇の機転については議論の多い処である。
 飲水後の血液滲透圧の変化が房水,血液間の滲透圧平衡を破つて,これが眼圧上昇の原因であろうというのが,この試験の機転に関する一つの説明である。この場合,飲水後の血液滲透圧の変化は十分考慮さるべき点である。

開頭術後長期間を経て初めて良好な視力を得た球後視神経炎の2例

著者: 浅山亮二 ,   鈴木慶子 ,   足立啓

ページ範囲:P.669 - P.672

緒言
 従来の各種薬物療法に抗する球後視神経炎乃至視神経萎縮には,視交叉部蜘網膜炎と同次元に発症せるものとして又はその後遺症として可成り多く見られる。従つてこの場合開頭術を行い視交叉部の蜘網膜病変を除去することにより視力の改善が期待出来る。最近一連の本疾患に対する開頭治験例も多数報告されその成績の良好なことは広く認められて来ている。然しながら開頭術を行つても尚期待した効果の現われない場合も会々経験するところである。
 ここに述べようとする2症例は,開頭術後長期間その効果が見られず殆んど無効と思われていたものが,術後1年或は数年を経て初めて健常の視力を得ることが出来たと言う我々には希有な経験であり且又極めて幸な症例である。

Neo-Medrol acetate及びMedrol acetate点眼剤の試用成績

著者: 桐沢長徳 ,   小林守治 ,   鬼怒川雄久

ページ範囲:P.673 - P.680

 合成副腎皮質ステロイドの一種であるMedrol(6,α—Methylprednisolone)の眼科に於ける応用については既に臨床眼科(13巻6号,昭和34年6月)その他(日本医事新報1839号,昭和34年7月)に述べたが,最近,点眼薬として特に作られたMedrol acetateの製剤及び抗生物質Neo—mycinとの合剤点眼液(Upjohn社発売)の試用を依頼されたので,その臨床成績について簡単に報告することとする。

談話室

眼鏡随想/アフリカのクリスマス(シュバイツァー病院にて)

著者: 高橋功

ページ範囲:P.682 - P.683

 1958年10月,日本をたつとき,私は老眼に気がつかなかつた。ところがベルリンについて,アテネの音楽学校エグメツオグラウ教授とギター二重奏の練習をする後になつて,にわかに老眼に気がついた。思えばすでに50歳になつているのだから,前もつてそれを考えていなかつたのはうかつなことだつた。ベルリンの3週間は不自由ながら老眼鏡なしですませた。ウィーンで老眼鏡を調製してもらうつもりで,大きな眼鏡店にいつたところが,1週間待つてもらわないとできないとのことだし,それではギュンスバッハを訪ねる予定に間に合わなくなるので,とうとう果たさなかつた。ギュンスバッハのシュワイツァー邸では,ビザの入手に手間どつて18日も長逗留し,その間シュトラスブルグやコルマールなどの都市に出かけたが,老眼鏡を求める時がなく,パリでもその暇がなく,ランバレネまでやつてきた。
 ランバレネでは到着早々,診察や手術の際,老眼鏡がないために不自由し,こまりぬいた。留守宅に連絡し,仙台のA眼鏡店で調製させて送つてきたが,それが私の計算ちがいのせいかどうも合わない。シュワイツァー博士は,シュトラスブルクに知合の眼鏡店があるから,そこに註文して作らせようといつて下さつた。しかし眼鏡処方の様式など日本とちがつて面倒なので,それはおことわりして,又仙台に折返えし,前掛け式のごく簡単な出来合を註文したら,幸いそれが合い,近眼鏡の前に必要に応じてそれを掛け,用が足せるようになつた。

第1回アジア・太平洋眼科学会に出席して

著者: 藤山英寿

ページ範囲:P.684 - P.688

 会期は10月10日から同13日までの4日間。場所はフィリッピン大学の医学部講堂。構成国はAustralia,Burma,Ceylon,China,India,Indonesia,Japan,Korea,Malaya,New Zeaiand,Pakistan,Philip—pines,Thailand及びU.S.A.の14カ国。出席者は200人をちよつと超えた位だつた。一番多いのは勿論フィリッピン人であるが,各国の参加人員は,アメリカ25人,オーストラリア19人,インド14人,香港9人,台湾6人,日本5人,タイ3人,朝鮮2人,インドネシア2人,その他アフリカ,スペイン,ビルマ,ボルネオ,パキスタン各1人というような数であつた。マニラ・タイムスをみたところ日本まではbig delegatesを送つた国に数えていた。
 Presidentはフィリッピン大学のDr.G.De OcampoVice—presidentはインドのDr.V.K.ChitnisとオーストラリアのDr.Ida Mannであつた。

印象記 第65回日本眼科学会総会印象記

1.学会の周辺

著者: 桐沢長徳

ページ範囲:P.689 - P.690

 今年の目本眼科学会総会は4月6,7,8の3日間,東京医大の主催の下に東京,文京公会堂で開催された。講演の内容については大島,徳田,浦山の三助教授の健筆に期待し,著者は今回の総会の全体についてその印象を読者にお伝えしたい。
 学会の前日.即ち5日には新装の東京医大(新宿区淀橋,の6階会議室で役員会,次いで同窓会館で評議員会が開かれたが,その議題は庶務,会計,渉外,次期及び次々期総会に関する事柄等で,会議は和やかに終始した。会員数は現在2372人であるが,論文は旧学位制度の終了のあと漸減の傾向にあるとのことで,会費も印刷費高騰のために今年度から300円値上げ(従来1500円)と決つた。

(2)第1日

著者: 大島祐之

ページ範囲:P.690 - P.692

 今年の日眼総会は4月6,7,8の3日間,東京,文京公会堂において開催された。会場は2年前の建築になるが,地下鉄後楽園駅の間際に威容を示す公会堂内部の諸施設には目を見張らさせる豪華さがあり,2重ドア,通路に敷きつめられた赤い絨氈,定員2000名を収容する快適な椅子,独特な照明設計のどれを取上げても,従来の学会会場とは格段のものがあつた。そして交通至便な都心にあるとは思われぬほど外部の騒音から全く隔絶された静寂さが保たれ,豪華な上にも学会らしい落着いた雰囲気がかもし出されていた。今度の学会では特別講演,宿題報告,一般講演89題(1題病欠),外人招待講演2題のほか,新しい試みとして示説4題が加えられたが,その運営は終始スムースに行われ,馬詰教授,桑原教授はじめ東京医大眼科の方々の周到な準備,配慮の様がうかがわれた。欲をいえば器械展示場が狭く非常に混雑していたのが難であつたけれども,それが講演会場の間近かに設けられていたことは適切であつた。以下,学会第1日の模様と示説についての印象を綴るが,要点の聞ぎ洩らし,誤記については御海容あらんことをお願いする。
 定刻午前8時の開会時間には例年並の参会者が揃つていたのではあるが,何分会場が広いため閑散とした感じを受けた。馬詰会長の開会の辞,植村理事長の会務報告に引きつづき一般講演が開始された。

--------------------

眼科ニユース/人事消息

ページ範囲:P.693 - P.693

第4回北日本眼科学会総会
 北日本眼科学会の第4回総会がさる6月24日〜26日の3日間,福島県立医科大学で開催された。
 第1日は評議員会に次いで午後1時より一般講演・シンポジウムにはいつた。

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?