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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科2巻1号

1948年02月発行

雑誌目次

〔Ⅰ〕綜説

アレルギー性眼疾患の相互關係

著者: 宇山安夫

ページ範囲:P.1 - P.3

 結核梅毒其他各種の傳染性病原は,日常接する眼疾患の主要なる原因をなして居ると申しても過言ではない。それは,斯る病原が生體に感染して,其臓器又は局所組織に,直接病竈を作るためでもあるが,生體内に於ける病竈の發生は,單に病原の感染に依る直接の障碍のみに歸することは出來ない。若し病原が,感染の當初初期病竈に於て,一擧に撲滅されないか,或は生體との闘爭が,相當長引いて居る時には,生體は之れに打ち勝つために,更に全身又は局所組織に,特種の變調を惹起して,病竈を治癒せしめる許りでなく,同一病原の再感染に對して,防禦する能力を獲得する。
 然し斯る生體の防禦能力は,感染に應じて常に,迅速に完成されるものではない,完全なる防禦能力(免疫)の獲得される途上には,其能力の質及び量に於て,相當廣い範圍の動揺がある。斯る免疫完成までの過程に於ける,生體の防禦能力の變化,換言すると病原の再感染に對する,生體の反應能力の變化が,畢竟アレルギー現象に他ならない從つて,生體のアレルギー自身は,究極に於て,免疫完成に到達しやうとする,合目的性の現象であるが,其過程に於ける,生體内の異常反應は,屡々生體に有害なる病竈を形成する。斯様にして發生する,病變がアレルギー性疾患である。

〔Ⅱ〕原著

四世代に現はれた遺傳性の反復性角膜上皮剥離症に就いて

著者: 丹羽源之助

ページ範囲:P.4 - P.6

緒言
 私が報告する疾患は1889年Fuchsが反復性角膜上皮剥離症(Erosio corneae recidiva)と記載し,1900年にv.Szilyは角膜と皮分離(Disj nc-tio epithelii)と稱した疾患で,Hanoenに依つて1872年初めて報告されたものである。我國報告例としては12例餘で此の内家族的に見られたものは須澤(綜眼36卷)梶(眼臨34卷)兩氏の例のみである。私は4世代にわたり遺傳的に本症が現はれた例を觀察したので追加報毎する。

網膜血管炎を以て始りたる特發性葡萄膜炎に兩眼脈絡膜苔癬並に點状角膜實質炎を合併せる症例—特發性萄葡膜炎並に角膜實質炎の本態論に就て

著者: 井街讓

ページ範囲:P.6 - P.12

緒論
 特發性葡萄膜炎の病理は未だに闡明されてゐない。之を臨牀的に血管系變化のみに就て見ても,ある者は初期に於て静脈周圍炎を發見し他の者は動脈周圍炎を認めてゐるが,全く看過され或は證明されなかつたものが多い。
 惟ふに,ある種の病原體或は抗原の個體に對する働き方,又個體め之に對する反應も全く一様ではない。他方,病理學的に種々の原因に依り起る疾病過程に於ける或種の病相が全く酷似する事もあり得る。この特異な病相を呈すべき共通の因子を發見する事は各々の疾病の本態を解明するに役立ち,又ある個體の特殊な反應の態度を解析する事に依つて複雜な一般の場合を究明し得る事もあり得る。

稀有なる眼窠腫瘍例(其の二)—淋巴管内及腫性圓柱腫 Lymphangioendothelioma cylindrosum

著者: 神鳥文雄

ページ範囲:P.12 - P.14

 本例は先年神崎をして同仁會醫學雜誌(18卷)に發表せしめたれども,今回病理組織學的に精査するの機會を與へられたれば茲に再び報告せんとす。
 圓柱腫は1856年Biilrothが涙腺に發生したる腫瘍組織中に圓柱状の形成物を認めて命令したるに始まり,其後Lagrange, van Duyse, Ribbert,Borst, Moissonier, Lapersonne, Valude等又本邦にても池田外2例の報告有れども比較的稀なる腫瘍なり。

「アレコリン」の調節.縮瞳竝に眼壓に及ぼす影響

著者: 新美保三 ,   松原廣

ページ範囲:P.14 - P.17

〔1〕緒言
 近時「ピロカルピン」の缺乏に伴ひ,之と同系の薬理作用を有する「アレコリン」(以下「ア」と記す。)使用の必要を感じ,先ず人眼調節機に及ぼす影響,縮瞳並に減壓效果に就き聊か試みる所ありたれば,茲に報告することとせり。

外傷性近視と産後に起れる一過性近視

著者: 上原有城

ページ範囲:P.17 - P.20

〔1〕緒言
 近視が一過性に招來することは吾人の時に經驗する所で今日迄その報告例も尠なからず。余は最近外傷性近視と産後に起れる一過性近観とに遭遇したれば,夫等の症例を報告し,併せて成立機轉に就き少しく卑見を述べんと欲す。

眼科での「ズルフォンアミド」劑の使用法

著者: 淸水新一

ページ範囲:P.20 - P.21

 「ペニシリン」の結晶を使つて居る今日「ズルフォンアミド」劑(以下「ズ」劑と書く)の使用は舊聞に屬する樣であるが,我々は諸種の事情から捨て難い所のあるのは御承知の通りである。從つて此の使用法に就てはもつと研究しなければならない所があると思ふのである。まして「ズ」劑の作用機轉が今尚明確を缺いて居るに於ておやである。
 然しKuhn及Wood等の研究にあつて「ズ」劑は細菌の發育に絶對必要な要素である「パラアミノ」安息香酸と結合して細菌の發育が阻害される事や,本校山中教授の精細な研究によつて内服,皮下注射,静脈内注射,動脈内注射,局所浸潤注射等の後,全身や病竈に於ける分布状態,尿路への排泄状態が明確にされたので,「ズ」劑の使用法に就て一抹の光明を得たのである,即ち病竈で「ズ」劑の濃度を出來るだけ高くし併も此を出來るだけ長く保持させるのが理想的であり又最有效な事が明かになつたのである。

〔Ⅲ〕臨牀講義

角膜實質炎

著者: 中島實

ページ範囲:P.22 - P.25

症例1。渡邊某。23歳,男。22,1,13
主訴。右眼の視曚,羞明,頭痛。

〔Ⅳ〕私の研究

近視に關する研究補遺

著者: 齋藤孝德

ページ範囲:P.26 - P.28

 強度の近視眼球には明かに解剖的變化が認められるものであつて,之に就いては既に幾多の研究業績があるが,弱度の近視眼球の解剖的變化に關しては文献に乏しい。然るに弱度の近視眼に於てもその程度並に頻度は著しく減ずるけれども檢眼鏡的に強度の近視眼に於けるものと同様な眼底變化が認められることがある。そこで私は弱度近視眼球に於ける解剖的變化を研究の對稱として從來の近視に關する研究の補遺とすることとした。
 扨て,所謂近視性眼底變化であるが,これは主として近視の眼底に認められるものであるが,可成り強度の近視であるに拘はらず之が認められないことがあり,反對に左程強度の近視ではないのに著明な眼底變化を呈する場合があつて,この樣な眼底變化の發生には何か素因といふものがありそうに思はれるのである。近視は遺傅するものであるといふことが一時稱へられて居たが今日では近視そのものの遺傅ではなく近視を發生し易い素質が遺傅するのであると云はれて居る。從つて近視性眼底變化の發生にも遣傳が關與して居るのではなからうかと考へられるのである。

〔Ⅴ〕私の經驗

漢方眼科に現はれた眼の構造に就て

著者: 本多傳

ページ範囲:P.29 - P.31

 漢方眼科の最大の缺點は,眼球を解剖學的に詳しく觀察しなかつたと言ふ點で,之は現今に於ても中國に於けそ漢方醫は之に對して一瞥をも與へて居ないのは,要するに漢方眼科の眼疾の觀念が,全く内疾患の一部分症として發現せるものであるとの中國古代に發達せる自然哲學的思想に胚胎せる五輪八廓説を以て眼と五臓六腑との相配を論じ,陰陽五行,相生相剋を以て眼疾患の發生を論じたので,(拙著,内服藥より觀た漢方眼科的治療法參照綜眼第39卷6,7,8,9,10,11號)從つて之以上眼の溝遣に就て追求する必要は全然無かつたのである。然し飜つて遠く明代に刊行された眼科書を繙いて見て,余は彼等が眼球の構造に就て全然無關心ではなかつたといふ事實を見出したのである。以下之に就て少しく述べて見よう。
 先づ目は神膏,神水,神光,眞血,眞氣,眞精の源液に依つて養はれて居るとして居る。

〔Ⅵ〕學會特別講演

慢性涙嚢炎に就て

著者: 藤原謙造

ページ範囲:P.32 - P.38

其二 組織學的觀察
第一 觀察材料及檢査方法
 昭和5年佐古博愛氏が其研究發表後,同年2月より昭和21年9月迄に吾教室で摘出した本病涙嚢491例中の463例と,他より寄贈を受けた53例と,合計516例を觀察材料とする。
 而して其中患者の結膜にTrachomaの有つたもはの193例で,便宜上之を「甲類」とし,Trach-omaの無かつたものは323例で,之を「乙類」とする。其大部分はFormolに,他の一部はZenker氏液に固定,悉くCelloidin包埋,前額斷又は水平斷切片として染色鏡檢した,其組織的所見を述べると次の如くである。

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〔Ⅶ〕外文抄録

著者: 中島章

ページ範囲:P.39 - P.42

American Journal of Ophthalmology.Vol 29.No.8.(1946.)……(1)
 1.第2次世界大戰に於けるイベリツトによる眼傷害George I.Uhde.
 化學兵器工場で或は毒ガス實験中ガス傷に罹つたもの1097名の内1008名はイペリツトによるもので790人,78%は眼損傷を蒙つてゐた。イペリツトによる眼傷の治療豫後を決めるに當つて次の分類が便利である。
 1.輕傷a)症状:異物感,輕度流涙,羞明は無し。b)瞼,普通は腫脹せず。c)眼脂,輕度の流涙のみ。d)結膜は瞼裂に相當して充血を見る。e)角膜透明。フルオレスセインに染らず。f)5〜6日で治癒。g)特別の治療は必要なし。h)勤務繼續。

〔Ⅷ〕温故知新

その後の小柳美三先生

著者: 桑島治三郞

ページ範囲:P.42 - P.44

 『温故知新』欄に小柳先生の御近況を書くやうに,と林先生から命ぜられて,大分,時が經つた。私如きには餘りにも荷が勝ち過ぎることと思つて再三御辭退申し上げたが,強つて,との仰せに從ひ,不敏を省みず敢てペンを取つた。萬一にも先生の御風格を此の駄文の爲に些かでも損ふことのなからんごとのみを念じ乍ら……。
小柳先生は昭和17年の日眼總會に『高血壓と眼との關係に就て』特別講演を擔當され,同年停年御退職になられた。御退職も間近い頃の或る日醫局員に對して次の如く述懐されたことがあつた。『僕の半生を賭けた研究が漸く近頃になつて軌道に乘りかけ,どうやら先の見透しがつきかけたと思つて,不圖,氣がついたら何時の間にか,もう停年が來て了つた。未解決のテーマが山積してゐる感じがして.さあ,これからだ,と言ふのに日暮れて途尚ほ遠しの感慨が正に無量なものがある……』

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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