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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科20巻12号

1966年12月発行

雑誌目次

創刊20周年記念特集 眼科最近の進歩 綜説

角膜移植

著者: 桑原安治

ページ範囲:P.1489 - P.1494

I.はしがき
 臨床眼科が創刊されて20年になる由であるが創立者の一人である故中村康教授が創刊号の第1頁の巻頭論文に私の開頭術に関する論文を掲載されたことにいたく感激した覚えがある。その当時中村教授は本邦に始めて角膜移植を系統的に行ない大いに眼科学会並びに社会を啓蒙された。中村教授の常に強調されたことは角膜移植は開眼手術であつて決して視力改善手術ではないということである。即ち光覚あるいは眼前手動弁程度の視力障害者を角膜移植により自分で用の足りる程度に視力回復させることであつて0.1視力のものを1.0に視力改善させるものではないということである。その後20年の歳月を経た今日においては開眼手術の領域を脱して視力改善手術にまで生長発展してきた。ここに至るまでには多くの障害を乗り越えて来たのであるが数ある障害の中の問題点は第一に眼球の入手難であつた。国民感情として屍体より眼球摘出を遺族が承諾しないのは勿論のこと法律的にも死後短時間に摘出する事は許されておらなかつた。従来行なつておつたのは勿論善意に基づくものであるが厳密には法律違反である。盲人のために行なう善意の角膜移植という行為が堂々と行なうことができず極端にいうならば法を侵して行なうという精神的負担は眼球入手難と相俟って角膜移植の発展を阻害していたものである。この問題は眼球銀行の設立によつて解決した。

トラコーマ

著者: 杉浦清治

ページ範囲:P.1495 - P.1502

I.はじめに
 トラコーマの研究には随分長い歴史があるが,1957年を境にこの研究は様相を全く一変した。それは周知のごとくT'ang1)らによつてその病原体が孵化鶏卵のYolk sacに分離されたからである。感染症の研究にあつては病原体分離の成功は一つの大きな峠を越えたことになる。果せるかな,トラコーマ病原体をめぐるウイルス学の研究は大河の堰を切つたような勢いで進み正に目をみはるものがあるが,トラコーマ病学はまだこれらの成果を駆使して,従来の難問を明らかにするところまでいつていない。つまりトラコーマウイルス学はかなり進歩したが,トラコーマ病学は未だこれからといつてもよかろう。以下述べるところも,主としてトラコーマウイルス学における進歩の概略を語ることになる。

緑内障

著者: 河本正一

ページ範囲:P.1503 - P.1508

I.緑内障の統計と遺伝
 成人の集団的な眼圧検査が行なわれることが多くなつたが,それによれば緑内障の罹患率は略々2%に当るようである。少い罹患率でも1%をこえている。年齢が増すに従つて%が高くなり,60才以上では6%以上の緑内障が認められる報告が多い。74〜92才の老人男子では13%に見られたという。
 眼精疲労を訴える患者では,9.6,10.6%の高率に緑内障が発見せられた。これらの検査には,全員にRigidity(5.5gと10gの重錘による測定),飲水試験,トノグラフィー等を施行したものがある。

黄斑部疾患

著者: 鹿野信一 ,   荒木誉達

ページ範囲:P.1509 - P.1519

I.緒言
 十年一昔とはよく云つたもので,全ゆる領域に於けるこの間の目まぐるしい変化は瞠目に値する。殊に日進月歩の医学の中にあり,眼科学もその例外ではない。各分野はそれぞれ益々細分化され,究められつつあり,その全てに通暁することは,まさに至難の業と云う他はあるまい。
 臨床面からみても,予防,治療等の進歩により年々減少の一途を辿る疾患もある反面,新しい疾患が登場し,脚光をあびているが,これはやはり診断方法の進歩によるところが大きいと思われる。因みに,昭和30年発行の「眼科最近の進歩」1)と題する成書をひらいてみるに,耳新らしい眼疾患として,鹿野はBehçet病,真菌症,Sjφgrenssyndrome及びKeratoconjunctivitis sicca,Kimmelstiel-Wilson氏病,Retrolental fibro—plasia,Brucellosis,Sarcoidosis,Exophthalmicophthalmoplegia等を挙げ,近い将来,我が国眼科教科書中の大きなSpaceを占めるものであろうことを予言した。周知の如く,これらの疾患の殆んどが,今日最も重要な眼疾患の一つとして臨床上,常に念頭に入れねばならなくなつている。更にBehçet病の如きは,その高度の失明率及び全身症との関係から既に社会問題となつている。

眼鏡とコンタクトレンズ

著者: 中島章 ,   木村健

ページ範囲:P.1521 - P.1526

I.はじめに
 コンタクトレンズ(以下コ・レと略す)を含めて眼鏡というものは,視力を矯正,または保護するために,眼前に装用する光学的用具であると定義されており,主に屈折異常の矯正手段として用いられている。最近,わが国に於いてはマスコミ等により,戦時中激減した近視が,戦後再び増加していることが叫ばれ,之に加えて,幼小児に於ける弱視の問題,低視力者の残存視力のひき出し方法--弱視鏡等もからみ,一般の関心を強く惹いており,眼鏡とコ・レの必要性がますます高まつている状態である。特にコ・レは,最近10年の間に著しく発展し,1958年にコンタクト・レンズ学会が設立されて以来,臨床上,或いは基礎的研究が重ねられ,広く一般に普及するようになつた。
 1963年の調査では,全国で約150万の人がコ・レを装用し眼科診療所の80%に於いて,コ・レを取扱つていることが明らかになつており,現在ではこの数字をはるかに上回つていると考えられる。しかし,真の意味での絶対適応に近い,強度近視や,不正乱視等の症例での普及は,まだ充分ではない様に見受けられるし,片眼の無水晶体眼に対する処置も,もつと増加して然るべきであるように思われる。

随想

創刊の頃の思い出

著者: 中泉行正

ページ範囲:P.1529 - P.1529

 創刊の頃(昭和22年4月)の前,即ち戦前には日本には4つの眼科専門雑誌があつた。即ち日本眼科学会雑誌を始めとし,眼科臨床医報,実験眼科雑誌と合計4つの雑誌であつた。
 日本眼科学会雑誌は大西克知博士の眼科雑誌(明治26年7月〜明治29年8月)が根源で,眼科雑誌が発展的解消をして明治30年4月,日本眼科学会雑誌となり,昭和3年5月23日その基礎を強固ならしめる為に財団法人組織として発展をつづけて今日に到つている。眼科臨床医報は日本眼科の証明(第1巻より第6巻迄,明治38年5月〜昭和8年11月刊)を編著発行された桑原勇七郎博士により明治38年第1輯が創刊されたが,大正2年桑原氏から堤友久博士の主筆で継続発行されるようになつた。その後,昭和7年頃からは鹿野武十氏の主筆されることとなつた。実験眼科雑誌は小川剣三郎博士の主宰で大正6年創刊,毎月発行された。

「臨床眼科」20年の歩み

著者: 桐沢長徳

ページ範囲:P.1530 - P.1531

 「臨床眼科」が,わが国における眼科領域の月刊雑誌として発刊されてから,今年で丁度満20年に当るので,その記念として本号を20周年記念号として,本誌20年の歩みを顧みることとなつた。
 本誌の発刊前に,わが国において発刊された眼科専門の月刊雑誌として現在まで続いているのは日本眼科学会雑誌(「日眼」と略称)と臨床眼科医報(臨眼)の2つである。前者は今年で70巻を数え,今秋を期して日眼70周年記念会を行う予定であり,後者は戦時中題名の変更や他誌との統合などがあり,必ずしも一貫した発行とはいえないが,今年で通巻60巻を数えるに至つている。これに対し,本誌は巻数こそ20巻に過ぎず,前記2誌がアバンゲールであるに対し,本誌はアプレゲールに属するとはいえ,その内容は前2誌とはかなり異つているところに本誌の特色があるといえる。

中村康先生が「臨床眼科」創刊の頃

著者: 初田博司

ページ範囲:P.1532 - P.1532

 「君,依頼原稿は来ていますか」「はい,,臨床講義が二本入つています」「そう,それじやあそれをいれましよう,こつちの方が早いね,もう一つのは次の号にまわすことにしましよう」「それから,私の研究が一つ」「これはちよつと長いが,ぜんぶ一ぺんに入るでしよう,あとは私の経験と外文抄録ですね,それで何頁になりますか,残り頁は原著を到着順にとつてみて下さい……」
 東大正門前の医学書院の編集室である。いつの間にか先生の編集のお手伝いをする様になつて,だいぶ色々の様子が判つて来た。雑誌のたて頁がきまつているから,依頼原稿などの組頁を合計して差引くと原著がどれ位のるかの見当がつくのである。先生の御指示通りにはめ込んでいくと,雑誌の目次の案が,たちどころに出来上つていく。これも先生の御指示だつたと思うのだが,雑誌社のひとが原稿を到着順に整理した一冊のノートを用意してあり,それには到着原稿の日付け,原稿枚数,題名,著者名,所属,組頁数などが一覧表のようになつて書き込んであるのを机の上に置き,それをみながら,それが何号にのるかを決めてマークしていく。原稿の表題や著者名を目次の順に書いたものを先生にお目にかけると,すぐそばから雑誌社のひとがその順番に原稿をつみ上げてもつて来る。

連載 眼科図譜・118

網膜中心動脈塞栓症

著者: 清水弘一 ,   井上治郎 ,   戸張幾生

ページ範囲:P.1487 - P.1488

〔解説〕
症例
症例は46歳女子(E.U.,66-7578)である.8年前に高血圧を発見されたが継続的な治療は受けていない.他には従来著患を意識していなかつたが,ある土曜日の昼前,目まいのため横になつたところ,青い閃光が左眼に見え,続いて左眼視力が突然失なわれた.翌日(第2病日)来科入院した.
 初診時の視力は右1.0,左手動弁であるが,視野測定は可能で,左眼視野は固視点の左方20°から60°の範囲に島状に残つている.眼底には図に示すような典型的な網膜中心動脈塞栓症の所見が認められる.血管拡張剤を主とする諸治療をおこない,視野の著しい拡大,視力の改善(最終視力60cm/n.d.)を見た.網膜の色調も4週間後に正常化した.

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風見鳥ニュースNo.5

ページ範囲:P.1534 - P.1535

学術集会演題決まる
 プログラム委員会によって検討されておりました第17回日本医学会総会の学術集会の演題と演者ならびにシンポジウムの主題と司会者が、所定の段階を経て正式に下記のごとく決定いたしました。より多くのご参加ご聴講賜わりますことをお願いかたがたご報告申しあげます。

臨床眼科 第20巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

談話室

眼鏡店検眼に対する批判とその対策

著者: 野村穆

ページ範囲:P.1537 - P.1555

I.緒言
 私達が日常外来に於いて視力の矯正,屈折検査及び眼鏡の処方を行う場合,現に所持せる既製の眼鏡を知ることは,視力並びに屈折状態の経過を察知する上に甚だ有意義かつ診療能率上にも便利である。
 私は約10年前から屈折検査を目的とする場合だけでなく,眼精疲労,調節衰弱を訴える際,或いは飛蚊症・視朦・充血・眼脂・流涙・自覚暗点など況ゆる場合に努めて患者の所持する眼鏡度を検し,特に眼鏡店にて検眼作製されたものに就いて調査し,その中から適当でないと考えられるものを選出して次に述べる結果を得た。視力並びに矯正視力は徳大式試視力表照明装置を用い5米の距離から万国式環状試視力表にて測定した。

第19回臨眼グループディスカッション

遺伝性眼疾患,特に網膜色素変性(第3回)

著者: 青木平八

ページ範囲:P.1557 - P.1562

1.膠様滴状角膜変性症の家系とその病理組織像について
 3家系5例の中,家族歴に2代続きの血族結婚を認めたもの,両親が従兄妹のものが各1例で,他は従兄妹同志の間に生れた同胞6名の中3例に発病した。組織学的に調べた例には,共に広義の硝子様変性物質を認めた。
 質問水野勝義:角膜移植の術式の適応は?

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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