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文献詳細

雑誌文献

臨床眼科20巻3号

1966年03月発行

文献概要

特集 第19回日本臨床眼科学会講演集 (その2) 学会講演集

球後視神経炎を乳頭黄斑線維束炎と改称することを提案する

著者: 須田経宇1

所属機関: 1熊本大学医学部眼科

ページ範囲:P.385 - P.388

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 そもそも,病名はそれが固有名詞的であれ,症候的又は病理組織学的であれ,理屈にあつたものでなければならないのは論をまたないが,又国際的に通用しなければ意味をなさない。その上出来れば,その病名を見て誰にでも直に理解されたものが望ましい。理論によつて病名が変つて来た例の1,2を挙げれば,蛋白尿性網膜炎Retini—tis albuminuricaが腎炎性網膜炎Retinitis nephriticaとなり更に腎炎性網膜症Retinopathia nephriticaになつた例であり,又色素性網膜炎Retinitis pigmen—tosaが網膜色素変性Degeneratio pigmentosa retinaeに変つた例であろう。国際的に通用しない例としてはHemeralopia, Nyctalopia, Iridectomia basalisが代表として挙げられる。これから述べる球後視神経炎は欧米でも理論的に異論があり,又我が国の多くの人々の考えている定義と欧米の多くの人々の考えている定義とが可成り異なる様に思われ,このままでは国際的に通用しない恐れがあると私は心配しているので標題のことを提案したいと思う。
 球後視神経炎はA.v.Graefe (1866)がretrobul—bäre Neuritisと唱え出してから,一般に用いられる様になつた(小口1),桑島1),弓削2)等による)。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1308

印刷版ISSN:0370-5579

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