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綜説
各種眼底撮影法について
著者: 松井瑞夫1
所属機関: 1日本大学医学部眼科学教室
ページ範囲:P.1045 - P.1051
文献購入ページに移動I.まえがき
眼底撮影の進歩・普及にはめざましいものがあり,現在ではその普及の時期はすぎて,すでに特殊な応用が試みられる段階に入つたとみることができよう。筆者は本稿において,現在行なわれている各種の眼底撮影法を紹介するのであるが,まず,眼底カメラの開発の歴史に少しくふれてみたい。ついで,すべての眼底撮影の基本となる,一般のカラー撮影を行なう際に注意すべき点を,なるべく実際に則してのべ,最後に立体撮影,螢光眼底撮影などの特殊撮影を紹介することとする。
Daguerreが1826年に塩化銀の湿板により,さらに1839年にヨウ化銀の湿板を使用することにより近代写真術の第一歩をきずいたが,一方1850年にはHelmholtzが検眼鏡を発明している。その後10年余たつと,1862年にはNoyesがすでに眼底写真の問題をとりあげている。しかしNoyesの試みは失敗に終り,その後,Rosebrugh (1864),Albertotti (1884)らも眼底撮影を試みたが,鮮明な写真がえられるには至らなかつた。
眼底撮影の進歩・普及にはめざましいものがあり,現在ではその普及の時期はすぎて,すでに特殊な応用が試みられる段階に入つたとみることができよう。筆者は本稿において,現在行なわれている各種の眼底撮影法を紹介するのであるが,まず,眼底カメラの開発の歴史に少しくふれてみたい。ついで,すべての眼底撮影の基本となる,一般のカラー撮影を行なう際に注意すべき点を,なるべく実際に則してのべ,最後に立体撮影,螢光眼底撮影などの特殊撮影を紹介することとする。
Daguerreが1826年に塩化銀の湿板により,さらに1839年にヨウ化銀の湿板を使用することにより近代写真術の第一歩をきずいたが,一方1850年にはHelmholtzが検眼鏡を発明している。その後10年余たつと,1862年にはNoyesがすでに眼底写真の問題をとりあげている。しかしNoyesの試みは失敗に終り,その後,Rosebrugh (1864),Albertotti (1884)らも眼底撮影を試みたが,鮮明な写真がえられるには至らなかつた。
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