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文献詳細

雑誌文献

臨床眼科22巻7号

1968年07月発行

文献概要

談話室

ネパールにおける眼科の集団治療—ネパールの民族と歴史(その2)

著者: 神谷貞義1

所属機関: 1奈良県立医科大学眼科教室

ページ範囲:P.1039 - P.1043

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第2部ネパールの中世史
タクール王朝とチベット開国
 これから以後の日本と,チベットおよびネパールのとつた歴史は,すべて似ており,どれを先に話しても同じであるが,ネパールおよびチベットから話を進めよう。
 ネパールは紀元前350年から始まつたリッチャヴィ時代が,その黄金時代を築き,カドマンズー盆地に華やかな古代文化を開花させていた時,インドから侵入してきたタクール族は,それらのネワールの文化を吸収して,タクール王朝を建てた。当時チベットでは,チベットの最初の国王,ソン・ツェン・ガンボーが出て,武力国家としてのチベットを着々と統合して,国家を確立しようとしていた。これを知つたタクール王,アムシュ・ウアル・マンは,娘ブビクチイをソン・ツェン・ガンボーの妃として嫁した。そして引出物として沢山の仏教の聖典と,金銀の彫刻家および建築技士を娘に併わせて贈つた。当時ネパールでは,美術,金銀の細工,建築技術は高度に発達していたので,ネパールの文化は,チベットに伝えられ,そしてこの時にチベットに伴われていつたネパール人の子孫は,長く今日までも,チベットの技術者としてとどまつているのである。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1308

印刷版ISSN:0370-5579

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