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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科25巻2号

1971年02月発行

雑誌目次

連載 眼科図譜・159

Wegener肉芽腫症の壊死性強角膜炎

著者: 升田義次 ,   堀ヤエ子 ,   宝田雅子

ページ範囲:P.141 - P.142

〔解説〕
 重篤な副鼻腔炎で始まり,全身の血管炎を起こし,尿毒症で死亡する疾患はKlinger(1931)により初めて報告されたが,Wegener (1936,1939)が一つの疾患(rhinogeneGranulomatosis)として3例の詳細な報告をして以来,一般にはWegener肉芽腫症と呼ばれている。この疾患は(1)上気道または肺の壊死性肉芽腫症,(2)全身性の壊死性血管炎,(3)糸球体炎を3主徴とし,その原因としては一般には免疫反応の異常が考えられている。
 眼の病変は鼻,副鼻腔から連続的に眼窩内に波及して生ずる眼窩の炎症(眼球突出,眼筋麻痺,視神経萎縮など)と全身撒布的に生ずる壊死性強角膜炎などがあるが,明確に区別できない場合もある。

臨床実験

慢性眼科疾患に対するIsoxsuprine療法の検討

著者: 太根節直 ,   横山葉子 ,   武本信年

ページ範囲:P.143 - P.150

はじめに
 血管平滑筋の薬物受容体へ直接働き,末梢血行動態改善を行なうIsoxsuprine hydrochloride(塩酸イソクスプリン)製剤であるズファジランの慢性眼科疾患に対する使用経験を得たのでここに大要を報告する。筆者は本剤の薬効検定に二重盲検法と推計学的検討を行なつて,従来の主観的に流れやすかつた判定を客観的に行ない得るように努力した。

ステロイド緑内障と思われる1症例の剖検所見

著者: 佐野豊子 ,   宮田ユキ

ページ範囲:P.153 - P.160

緒言
 Steroid hormon (ステロイドと略す)が,高眼圧を発生する機序については,臨床医学的に,また病態生理学的に,種々の研究が行なわれている。しかしその昇圧機転に関しては,流出抵抗の増加が認められているが,それのみでは解決されず,他方,房水産生の代謝異常に関しても,種々の研究がなされているが,いまだ統一をみないようである。また一方,遺伝的素因についても解明されなければならない問題が多々残つているようである。
 われわれは今回,リウマチ性肺炎(剖検でハンマンリッチ症候群と判明)で3年間ステロイドを経口投与した結果,眼圧上昇をきたした症例に遭遇した.その症例はステロイドを減量すると眼圧が下降するが,全身状態悪化のためにステロイド投与量を増量するとまた眼圧が上昇するという悪循環をくり返し,ついに視力10cm手動となつた。その隅角所見を組織学的に検索する機会を得たので,ここに報告する。

Rieger症候群に合併した網膜剥離の1例

著者: 中村三彦 ,   吉岡久春

ページ範囲:P.161 - P.164

緒言
 虹彩の前葉,前房隅角ならびに角膜後面の形成不全,すなわち,虹彩強角膜線維柱帯の硝子様肥厚,角膜後面胎生環,非円形瞳孔,索状虹彩等の症状を示す前房の中胚葉性形成不全が,1935年Rieger18)によりはじめて報告されて以来,同様の報告が多数なされているが,本症候群に網膜剥離を合併した症例の報告はまだないようである。われわれはこのたび,Rieger症候群に合併した特発性網膜剥離症例を経験したので報告する。

眼トキソプラズマ症の螢光眼底所見

著者: 横山葉子

ページ範囲:P.165 - P.170

緒言
 眼トキソプラズマ症の臨床像については,鬼木らの詳細な報告がある5)。しかし,その螢光眼底像についてはまだ詳細が明かではない。
 著者は,今回本症の螢光眼底撮影を行ない,その写真を立体的に観察し,2〜3の知見を得たので報告する。

Fuchs'症候群(Heterochromic Cyclitis)の白内障水晶体における乳酸脱水素酵素アイソザイム

著者: 山中妙子 ,   亀山和子 ,   小林加世子 ,   小峰仙一

ページ範囲:P.171 - P.176

緒言
 Heterochromic cyclitisは,虹彩異色,特有な慢性虹彩毛様体炎,白内障をTriasとする疾患で,古くから知られていたが,Fuchs1)が1906年にこの症状を詳細に記載して以来,Fuchs症候群と呼ばれるようになつた。ヨーロッパでは,今までに多くの報告がみられる2)〜7)。アメリカでもその症例が少なくないことはKimura8)らが,日本でもまれな疾患でないことは内田ら9)がのべている。
 その虹彩毛様体炎は特徴的で,まず一般の炎症性変化であるところの毛様充血がみられない。無痛性で,非常に慢性に経過する。虹彩異色,白内障は,これから二次的に起こつてくるものと思われるが,炎症の自覚症がないため,視力がなくなつてはじめて気づくのが普通である。角膜後面沈降物,前房の浮遊物,虹彩の萎縮も特有であり,虹彩癒着はまつたく生じないとされている。原因は不明であるが,一般の炎症(局所の感染,アレルギー等)よりも,むしろ,循環の異常10),血管自体の異常11)あるいは発生時の異常によつて生ずるstatusdysraphicus12)が考えられたりしている。自律神経系の異常に成因を置くものも13)ある。また,遺伝因子の存在を考え得る例14)もある。

周辺型小口病の螢光眼底写真ならびにERGについて

著者: 児嶋守 ,   木村重男 ,   小川一郎

ページ範囲:P.177 - P.183

緒言
 小口病は特異の眼底所見を呈する先天性停止性夜盲疾患である。小口(1970年)によりはじめて記載されて以来,内外ともすでに多数の報告がある。眼底所見,視機能および遺伝についてはかなり詳細な研究があるが,特異の眼底変化の発現機序など,本症の本態は依然として不明の点が多い。
 近年,ERG,螢光眼底撮影法による研究も盛んである。ERGでは長時間暗順応によるERGの変化と水尾・中村現象との関係,桿体機能障害によるERGの変化,photopic ERGなどが検討されている。螢光眼底写真では特異の眼底所見がどのように表現されるかが興味の焦点になっている。

片眼に著明な黄斑変性を伴つた網膜色素線条症の長期観察例

著者: 松浦啓之

ページ範囲:P.185 - P.188

緒言
 初期で,黄斑部に滲出性変化をともなわない,網膜色素線条症では,視力も良好に保たれていて眼科的訴えはないのが普通である。しかし,しばしば黄斑部に出血をともなう滲出性病変をみると,視力は著しく障害される。人によっては一生この変化をみない場合もあろうが,比較的若年で,両眼に高度の視力障害をきたす場合もある。外傷が誘因となるのであろうとの説もあるがたしかなことは不明である。最近になって螢光眼底撮影により,黄斑部の滲出性病変と色素線条との関係を論じた報告もいくつか見られる。1眼に滲出性変化をきたした場合に,他眼にもおよぶ場合には両眼の視力が著しく低下してくるため,重大な問題となる。著者は,最初黄斑部出血として加療を受け後に両眼に色素線条の存在を観察した例で,1眼は黄斑変性のIII度であり,他眼は定期的に経過観察を行なった6年間に滲出性変化をきたさず経過している例を経験しているので報告する。

銀海余滴

なりわい

著者: 初田博司

ページ範囲:P.160 - P.160

 生業と書いてなりわいと読む。古語辞典によれば,五穀が成熟するように勤めるわざ,と出ており,更に転じて生活維持のための一定の仕事とある。しかし一般に,なりわいを楽しむとか,なりわいにつとめはげむとかの表現をするとき,この言葉から一種の快いニュアンスが感じとられるような気がする。
 人が生を受けて一人前の年齢になり,何か仕事をもつて社会に奉仕する。この個々それぞれにふさわしい仕事は,一個の人間としての,生まれついた時から定められたものだという考え方が根底にあつて,そこになりわいということばが出て来たのだと思う。

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「日本眼科学会のあり方に関する答申」について

著者: 松井瑞夫

ページ範囲:P.192 - P.195

まえがき
 昭和44年5月に開催された日本眼科学会評議員会において,日眼あり方委員会の設立が決議され,引続き同年7月の役員会において10名の委員が学会より委嘱された。その経緯については,すでに本誌24巻1号の座談会「日本眼科の将来」にのべられているので,ここでは省略する。委員会は44年9月25日の第1回会合以来,5回の委員会を開催し,いろいろと討議を重ねてきた。その間,この問題について学会員全員にアンケート調査を行ない,その結果は日本眼科学会誌74巻7号に発表されている。筆者は,その間この委員会の世話人として,委員間の連絡,学会事務局との連絡などにあたつてきたが,今回,編集部より依頼があつたので,この委員会が昭和45年10月31日に,日眼鹿野理事あてに提出した「日本眼科学会のあり方に関する答申」の内容を紹介してみたい。ここでお断わりしておきたいことは,この答申は,あくまでわれわれ10名の委員が討議した結果を集約した案であつて,今後評議会において十分な討議をうけた後に,決定案ができて実施に移されるということである。したがつて,記述を簡潔にするため,いちいち……と考える,……が妥当であるなどの語句を省略するが,以上のべたように案であることを御了解頂きたい。すなわち,以下のような学会のあり方が,われわれ10名の委員の考えている学会の姿の公約数的なものであるということになる。

第5回アフリカ・アジア眼科学会の開催について

著者: 三井幸彦

ページ範囲:P.196 - P.196

 アフリカ・アジア眼科学会は1958年に設立された。設立の世話をしたのは主としてアラブ連合の眼科学会で,第1回の学会は1958年3月1日から5日間カイロで開かれた。日本からは萩野教授,中島教援及び私の3人が出席した。当時の記録によると参加者総数は243名であつた。この学会で本部はとりあえずカイロにおくことになつた。本部は現在までカイロにおかれているが,これは学会の度毎に本部役員及び本部の場所について討議され,その都度次の学会まで現況のままということになつたためで,次回の学会で変更することにきまれば,何時までも現在のままということではない。
 日本眼科学会は1959年,本学会に加入した。本学会は4年毎に開かれることになつているが,国際眼科学会の開催年と重複しないようにするため,第2回学会だけは2年後の1960年に開き,以降4年毎で,なるべく1回毎にアフリカ地区とアジア地区と交互に開催ということになつた。しかし第2回はチュニジアが開催を希望したため,チュニスでWHOの参加を得て(TarizzoVirus部長出席) WHO会議場で開催された。我が国からは小口教授及びその教室員と私とが出席した。第3回学会は1964年イスタンブールで開かれ,我が国からは須田教授,河本博士,戸塚博士などが出席した。

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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