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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科3巻1号

1949年01月発行

雑誌目次

Ⅰ綜説

眼科におけるサルファ劑並にペニシリン療法の方向

著者: 庄司義治

ページ範囲:P.1 - P.16

 最近の化學療法の王座を占めるサルフア劑及びペニシリンは眼科でも廣く應用され日本でも報告が少なくない。サルフア劑は日本で使用され初めてから既に10年餘りを,ペニシリンは5年を經過し,その間に藥劑の進歩,使用法の變遷,學説の變改等もあつて,過去の報告を讃んで見ると可成り雜然たる感じがする。私は今日本に於ける爾劑應用の跡を整理し,之に私の教室での研究を參考にして眼科における爾療法の方向を眺めて見たいと思ふ。

Ⅱ臨牀實驗

老人性蜂巣状黄班變状に就て

著者: 中村康

ページ範囲:P.16 - P.18

 Vogt氏が1918年幼年性網膜色素變性患者の黄斑部中心窩底に帶黄友白色斑點の數が蜂巣状に羅列してゐるのを認め之をBienen-wabenmac—ulaと名稱しKl M. f. A.に報告しStock氏は1908年同樣網膜色素變性眼の組織標本に於て其の構造を明らかにしKl. M. f.A.に記載してゐる。そしてIwenoff氏のsystoide Degenerationと言はれる網膜鋸齒部の變化と同一物である事を指摘してゐる。Leber氏はgraefe-Saemischの眼科全書にzystoide Degeneration in derMaculaとしたため外網織層に浮腫が生じ多數の隙が網膜實質内に生ずるに依ると述べてゐる。Vogt氏は更に1939年此眼底所見を寫眞にとりKl. M. f. A.に記載し虹彩毛樣髄炎,網膜色素變性,網膜剥離,網漠出血等に合併して來り嚢腫樣擴張の減退と共に常態にかへり色素異常も殘さないで治癒すると言ふ。本邦には此方面の報告が尠いので余の得だ處を述べることにする。
 蜂巣状黄班變状と言ふ時は數箇の蜂房の密在を考へるが全てに於て是の如き所見を呈するものでなく單に1箇の事,2ケ以上の事がある。

交感性眼炎の臨床

著者: 弓削經一

ページ範囲:P.18 - P.20

 私が昭和16年初頭にそれ迄の文献を紹介し終つて交感性眼炎の結核論に就て述べた言葉は次の如くである。『今日迄の處其立場は常に交感性眼炎を結核と考へて差支無きやにあつた。結核の中に交感性眼炎を見出した時本問題は終結するであらう』交感性眼炎の結核論は本病が眼結核の一病型として完全に理解せられる樣に組立てられて初めて信頼を得るに到ると考へたのである。
 以後に於ける本病と結核に關する業績としては佐藤得自の葡萄膜親和性結核菌に就ての研究,水川孝の組織の動物接種,患者血液の菌増殖胆止試驗.患者流血中よりの結核菌の證明,伊賀井淸一の本病患者に就ての吉田氏反應,血球沈降速度等による間接的證明の業績がある。

盲斑のヒステリー性變化に就て

著者: 三國政吉 ,   松原俊麿

ページ範囲:P.21 - P.24

 ヒステリーにおいては周邊視野に求心性狹窄,管状視野,色視野における序列の倒錯等の他,疲勞現象として螺旋状視野狹窄,Förster型視野移動,Wilbrandの疲勞型等種々の異常が來るし,暗點としては中心暗點,中心外暗點が起る等,視野障碍として色々のものが知られてゐる。然るに視野計測の正確を期せんがためにはBjerrŭmも述べおる如く先づ生理的暗點たるマ氏盲斑,の大さから決定すべきであるにも不拘,此處のヒステリー性變化については從來記載を見ないのは余等の誠に心外とするところである。
 余等はヒ患者においては盲斑にも種々の變化の起ることを知り得たので,ここに記載するものである。

結核性涙骨カリエスの診斷と手術に就て

著者: 大橋孝平

ページ範囲:P.24 - P.26

 涙嚢に原發する結核の報告は内外文献を見るに比較的少く,吾國では10數例の臨床報告を見るのみである。然し實際はそれ程稀な疾患と云ふわけではなくて上野頴一氏によると從來統計上慢性涙嚢炎の7.4%とせられ,Rollet及びBussy氏等の報告によると涙嚢炎100例中で結核菌を證明したものは3%にあり,且つ14%は混合傳染であつたと云はれる如くに,結核性涙嚢炎の初期では單に涙嚢摘出によつて完全に治癒する爲に,單なる慢性涙嚢炎として處理されてゐるものも相當あるのではないかと考へられる。然し從來の記載によると涙嚢摘出後に再發を見たものでは屡々結核菌を發見する事があるとされ,淸澤氏は摘出涙嚢を組織的に檢査した成績によると8%に結核が發見されたと云ひ,藤原氏も72例中に2例を見たと云ふ。
又結核性涙嚢炎の診斷は時には稍々困難であつて,Rollet氏(1911年)は第1型:非壓縮性實質腫脹を特徴として,パスタ樣腫脹があり,排膿がないもの

蛋白尿性網膜炎並に僞性蛋白尿性網膜炎と結節性動脈外層炎との關係

著者: 宇山安夫

ページ範囲:P.27 - P.29

 井街(讓)氏は,京大眼科教室に於て,急性腎炎の末期に尿毒症樣の症状並に高度の視力障碍を訴へる患者を診察し.其眼底に高度の網膜剥離と乳頭附近の出血を認め.其死後之れを剖見して,脈絡膜血管に結節性動脈外層炎の所見を發見した。此患者では尚ほ腎・脾・肝・心臟にも同樣なる血管變状が證明された。氏は更に各種腎炎で死亡し剖檢を終へた貯藏眼球を多數檢査する中に,再び脈膜の中小血管に動脈外層炎結節を證明することが出來た。
 之れに續いて弓削氏は,蛋白尿性網膜炎の臨床像を呈する患者を剖檢して,其脈絡膜血管に矢張り結節性動脈外層炎の所見を認めた。其標本は後に同氏の好意に依つて私も見せて貰ふことが出來た。

マンダラ葉總アルカロイド溶液の散瞳作用に就いて

著者: 藤山英壽

ページ範囲:P.29 - P.31

 戰時中から不足を告げていたアトロピンやホマトロピンは,戰後の今日に至るも未だ少しも充足されぬ。ために日常の診療にも少なからぬ支障を來している始末である。が幸いこの程北大藥理學教室の眞崎教授と田邊助教授とに依つて,マンダラ葉からその總アルカロイドが無色透明の溶液として抽出された。そして今回同教授よりその溶液の提供を受けたので,早速點眼料として使用してみたところ,相當の散瞳作用があつたので,茲に報告する次第である。
 マンダラゲ(Datura Stramonium Linne)は一名チョウセンアサガオ(Datura Alba Nees.,Datura Tatula L.)とも呼ばれ,ベラドンナ(Atropa Belladonna, L.)やハシリドコロ(Sc-opolia Japonica Maxim,等と共に茄科に屬し,幾種かの所謂トロパアルカロイド(Tropaalka-loid)を含有する植物である。

Ⅲ臨牀講義

松果腺腫

著者: 中島實

ページ範囲:P.32 - P.36

患者 岡本節哉 16歳(昭和2年11月10日生)
初診 昭和19年1月17日

Ⅳ私の研究

中心暗點の研究(視力良好なる慢性軸性視神經炎の比較的中心暗點に關する實験)

著者: 吉村善郎

ページ範囲:P.37 - P.40

 從來伊東教授によつて着目せられて來た我國青少年の多數に存在する観力良好なる慢性軸性視神經炎(慢軸炎)は,眼底に乳樣反射等本症特有の變化を示し,黑板法によればラケツト型中心暗點を證明する他最近の教室の精査により,周邊視野,絶對視領,近點,調節時間,動観標視認力等にも機能障碍の在る事が確認せられた。本症の多數は正常視力を有するにも拘らす自覺的に霧視,差明,眼精疲勞,眼球壓迫感,異物感其他の自覺症状を有する。隨つて實生活に於て眼の「はたらき」といふ能率の觀點から閑却出來ないにも拘らす,本症は從來餘り着目されてゐない。教室に於ける本症の研究の一部として余は比較的中心暗點(比中暗)の性状を檢査し,且その除去法に就て實驗した。

Ⅴ私の經驗

ブロム水素酸アレコリン特異體質

著者: 福島義一

ページ範囲:P.40 - P.40

 「アレコリン」は檳榔の種子中に含有せられるアルカロイドであつて,最近は「ピロカルピン」,「フイゾスチグミン」などの代用點眼料として縮瞳並に眼壓下降の目的に使用せられてゐる。最近「アレコリン」液を點眼すると,急激な中毒性眼瞼炎を發生する1患者を診る機會を得たので概報してみよう。
 患者は39歳男(船員)で,昭和23年5月5日初診。眼科的には,兩眼の網膜剥離並に續發性緑内障と診斷せられる所見が認められるので,減壓の目的を以てエリオツト氏鞏膜管錐術を施行し,1%「アレコリン」液(以下「ア」液と呼ぶ)を點眼しつゞけた。數日後,輕度な頭痛と外皆部附近の皮膚に輕度なエロヂオンを認めたが,同樣に「ア」液を1日3囘點眼しつゞけた。5月21日囘診してみると,患者は兩眼瞼を中心として顔面全體が強く發赤腫脹して,假面樣の顔貌を呈し,眼瞼部には相當廣範圍にわたつてエロヂオンが發生してゐる。また,著明な頭痛並に全身倦怠感を訴へるが嘔吐は缺く。眼壓は,正常より稍低くなつてゐる。そこで,はじめて「ア」に對する特異體質に氣付いて「ア」液の點眼を中止した。症状は,その翌日から次第に輕快し,5月31日には殆んど正常に復した。6月3日,5%「ア」液を作つて之れを上膊部に塗布し,更らに,硝子棒を以てその上から充分にすり込み,後にガーゼをあてゞ繃帯した。

Ⅵ外文抄録

EXCERPTA MEDICA

著者: 關亮

ページ範囲:P.41 - P.43

1947年5月Amsterdam大學眼科教授W.P.Zee-man等によつて創刊された世界醫學文献英文抄録誌Excerpta Medicaの第12部Ophthalmology (月刊)より更に抄録す。(譯者)

Ⅶ温故知新

村上俊泰先生の近況

著者: 芥川靖治

ページ範囲:P.43 - P.44

 村上先生にここ數年も御目にかからない弟子なら誰でも驚くであろうが,近頃の先生には悟りと言つた樣なものが感じられ又先生の身邊からは慈愛が溢れてどこかに菩薩を彷彿しておられる樣にさえ思われる。
 近頃の村上先生を知るために故きを温ねるならば,先生が慈惠醫大え着任されたのは大正11年2月であられたが,間も無く襲い來た關東大震災のため勿論疎開などあろう筈もなく全校と共に眼科教室も亦灰燼に歸してしまつた。先生はこの殆ど無にひとしいバラツクの中で子弟の御指導と教室の再建に鋭意遭進されて着々とその賓を舉げられ,今では110名の門下生を擁する慈眼會や色々な教室の設備も出來た譯であるが,その途上に於ける先生の御辛苦の程は到底私共の想像し及ばぬところである。從つて教室に於ける先生の御態度は全く嚴格そのものであつて,教室は學問すると同時に人間を創る道場であると言われ教室員の夫々の個性を良く把えて陶冶された。然し先生の嚴格さは神經質や潔癖からでなく,正しくあつて確かであれと言ふ先生の信念から由來するものであるから先生に酷く御叱りを受けてもその理路整然たる前には誰も頭を垂れすにはおれない。月例會での研究報告や抄讀でもあくまで正確さを要望され一字一句決して勿せにされず喋る者の緊張たるや一通りでなかつた。又論文を見て頂く時も全く同樣で先生の透徹した頭腦には感歎の聲を放たないものは無い。

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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