文献詳細
国際眼科学会に向けて
文献概要
1974年に日本開催が本決りになつてから既に3年経ち,本番まであと10カ月となつた。準備も展開を終つていよいよ本格的になつて来た。1982年の第24回国際眼科学会はあと5年後であるが,既に場所(サンフランシスコブルックスホール(収容8000名)),時間(1982年11月1日〜4日,引き続いてAmerican Academy of Ophth-almology Meeting 5〜7日),会長は,A.E.Maumenee副会長はFrank W.Newell,B.Straatsma,SecretaryGeneralはBruce Spiveyという所まで決定している。各委員は京都の学会までに決定する由である。
1974年までに我々も会場,日時,大約の準備委員会の人選は決定していた。その後,予算の編成,技術展示の場所,細目の決定に色々と苦心があつた。京都国際会館が数千名の参加者と数十社もの商業技術展示を予想してつくられていない事から,色々な可能性を検討する必要にせまられた。現在の駐車場に展示場を建てて欲しいと大蔵省や,会館の理事長の松下幸之助さんに直訴に及んだこともあつた。そのためかどうかしらないが,会館の事業部長が交代するということもあつた。当時の高木館長が逝去されて現在の後宮館長に変られた。
1974年までに我々も会場,日時,大約の準備委員会の人選は決定していた。その後,予算の編成,技術展示の場所,細目の決定に色々と苦心があつた。京都国際会館が数千名の参加者と数十社もの商業技術展示を予想してつくられていない事から,色々な可能性を検討する必要にせまられた。現在の駐車場に展示場を建てて欲しいと大蔵省や,会館の理事長の松下幸之助さんに直訴に及んだこともあつた。そのためかどうかしらないが,会館の事業部長が交代するということもあつた。当時の高木館長が逝去されて現在の後宮館長に変られた。
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