文献詳細
追悼
文献概要
大寒の日,1月20日午後5時30分,なつかしい中泉行正先生は,遂に80歳の寿命を終られました。晩年,宿痾のため,再三入退院をしておられたので,この度も間もなく,快癒されるものと思つておりました。
病篤しと聞いてその日,午後4時過ぎ上野先生と二人,お見舞に御病室を訪れたのでした。もうその時は,お目にかかる事は出来ませんでした。悲しい極みであります。いつまでも生きて頂きたかつた先生でした。思えば私は公私ともに,30数年来先生にお世話になつたものです。大東亜戦争も落目になつた頃,今のがんセンターである元の海軍々医学校に,戦備用の恩賜の義眼の製造に,都市ガスの増配が必要であると,おいでになつた時からでした。御承知のように,義眼についても権威者でした。
病篤しと聞いてその日,午後4時過ぎ上野先生と二人,お見舞に御病室を訪れたのでした。もうその時は,お目にかかる事は出来ませんでした。悲しい極みであります。いつまでも生きて頂きたかつた先生でした。思えば私は公私ともに,30数年来先生にお世話になつたものです。大東亜戦争も落目になつた頃,今のがんセンターである元の海軍々医学校に,戦備用の恩賜の義眼の製造に,都市ガスの増配が必要であると,おいでになつた時からでした。御承知のように,義眼についても権威者でした。
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