文献詳細
第3回日本眼科手術学会シンポジウム:手術による角膜侵襲
文献概要
はじめに
昭和20年代に白内障手術が古典的な嚢外摘出術で行われていた頃を想起してみると,手術翌日肉眼的な角膜混濁いわゆる線状角膜炎の認められる症例が稀ではなかった。これは前嚢切除,核摘出操作のための器械の挿入の他にDaviel匙や,前房横匙など金属性の器具を何回も前房に入れ,更に角膜上からmassageして残留皮質を摘出していたための角膜内皮損傷による害質性角膜浮腫であったと考えられる。
その後獲内摘出が次第に普及するにつれて残留皮質の摘出操作は不要となったが,強角膜創の長さが増大したことや,tumbling法の際の鑷子やErysiphakeの接触による内皮損傷に起因すると思われる術後の線状角膜炎はごく一般的な現象であった。しかしこのような場合でも角膜混濁は数日中に消褪し,水疱性角膜症になって困ったという例はあまり筆者自身の記憶に残っていないことを考えると日本人の角膜は本来かなり強いものであったということはできる。その後Sliding法、冷凍摘出法を手術用顕微鏡下に行うことが普及し,術中ほとんど角膜内皮に触れることなく手術が行われるようになってからは普通の嚢内摘出術の翌日は少なくとも肉眼的に角膜が透明であることが当然のようになってきた。このこと自体は最近20年ないし30年の間に起こった眼科手術学の成果の一つということができる。
昭和20年代に白内障手術が古典的な嚢外摘出術で行われていた頃を想起してみると,手術翌日肉眼的な角膜混濁いわゆる線状角膜炎の認められる症例が稀ではなかった。これは前嚢切除,核摘出操作のための器械の挿入の他にDaviel匙や,前房横匙など金属性の器具を何回も前房に入れ,更に角膜上からmassageして残留皮質を摘出していたための角膜内皮損傷による害質性角膜浮腫であったと考えられる。
その後獲内摘出が次第に普及するにつれて残留皮質の摘出操作は不要となったが,強角膜創の長さが増大したことや,tumbling法の際の鑷子やErysiphakeの接触による内皮損傷に起因すると思われる術後の線状角膜炎はごく一般的な現象であった。しかしこのような場合でも角膜混濁は数日中に消褪し,水疱性角膜症になって困ったという例はあまり筆者自身の記憶に残っていないことを考えると日本人の角膜は本来かなり強いものであったということはできる。その後Sliding法、冷凍摘出法を手術用顕微鏡下に行うことが普及し,術中ほとんど角膜内皮に触れることなく手術が行われるようになってからは普通の嚢内摘出術の翌日は少なくとも肉眼的に角膜が透明であることが当然のようになってきた。このこと自体は最近20年ないし30年の間に起こった眼科手術学の成果の一つということができる。
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