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文献概要
追悼
桐沢長徳先生を偲んで
著者: 三島済一1
所属機関: 1東京大学
ページ範囲:P.270 - P.270
文献購入ページに移動 私どもの日頃敬愛していた桐沢長徳先生には1月4日早朝,突然ご逝去になり,わが国のみならず,世界の眼科にとつても,大きな損失で,誠に悲しいことである。特に先生には,昭和31年以来,臨床眼科編集の中軸となつて,本誌の発展に貢献されてこられ本年の第一回編集委員会には,編集顧問としてご出席下さる予定であつたのに,突然お亡くなりになつたので,第一回編集会議は,先生の追悼の会となつた。先生のご功績をたたえ,この号を桐沢先生追悼号にすることとなつた。私個人は,30年来,先生の直接のご指導を受けていたので,先生の思い出などを述べ,心からご冥福をお祈りしたい。
昭和25年,私どもが眼科の勉強をはじめた頃桐沢先生は,東大助教授,分院科長として,毎週1回,本院の外来をご覧になり,また,本院で手術指導をされた。当時の白内障手術はグレーフェ刀で切りあげ,角膜を縫わない術式であつたが,はじめて桐沢先生のされた手術の助手をし,患者さんの受け持ちになつて,手術の翌日診察すると,どちらの眼を手術したのかわからない位きれいであり,他の症例と全然様子が違つていることを発見して驚いたことを今でも忘れることができない。それ程,先生の手術は見事なもので,先生のピンセットのさばき方,刀の運び方,などを見ながら,これが我々世代の手術に対する考え方の基本になつていつたものと,非常に感謝している。
昭和25年,私どもが眼科の勉強をはじめた頃桐沢先生は,東大助教授,分院科長として,毎週1回,本院の外来をご覧になり,また,本院で手術指導をされた。当時の白内障手術はグレーフェ刀で切りあげ,角膜を縫わない術式であつたが,はじめて桐沢先生のされた手術の助手をし,患者さんの受け持ちになつて,手術の翌日診察すると,どちらの眼を手術したのかわからない位きれいであり,他の症例と全然様子が違つていることを発見して驚いたことを今でも忘れることができない。それ程,先生の手術は見事なもので,先生のピンセットのさばき方,刀の運び方,などを見ながら,これが我々世代の手術に対する考え方の基本になつていつたものと,非常に感謝している。
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