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中国では元の代になってから,医方に大方脈科,小方脈科,風科,産科兼婦人雑病科,眼科,口歯咽喉科,正骨兼金鏃科および瘡腫科の9科目が採用され,眼科という専門の1科の呼称が顕われている。
わが国においては文武天皇(597〜707)の大宝元年(701)に所謂大宝律令が発布され,その中の医疾令(唐医制に基づく)に,體療(内科),少小(児科),創腫(外科),耳目口歯の4科が設けられているが,眼科は耳口歯の中に入れられ,1部門を1科として取扱い,独立した専門の1科としては認められていなかった。眼科が独立して1科をなし,その専門書(今日私共が見ることのできる)があらわれるようになったのは,中国においてはおよそ明代以降であり,また,わが国では室町時代に入ってからとみられている。
わが国においては文武天皇(597〜707)の大宝元年(701)に所謂大宝律令が発布され,その中の医疾令(唐医制に基づく)に,體療(内科),少小(児科),創腫(外科),耳目口歯の4科が設けられているが,眼科は耳口歯の中に入れられ,1部門を1科として取扱い,独立した専門の1科としては認められていなかった。眼科が独立して1科をなし,その専門書(今日私共が見ることのできる)があらわれるようになったのは,中国においてはおよそ明代以降であり,また,わが国では室町時代に入ってからとみられている。
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