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眼科諸流派の秘伝書(32)
著者: 中泉行信1 中泉行史1 斉藤仁男1
所属機関: 1研医会
ページ範囲:P.918 - P.919
文献購入ページに移動わが国におけるオランダ医学は安永3年(1774)杉田玄白らによって訳出された「解体新書」により基礎ができ,柚木太淳の「眼科精義」や衣関順庵の「眼目明弁」杉田立卿の「眼科新書」等が著わされるに及び,漢蘭混合眼科が漸く試みられるようになった。文政6年(1823)シーボルトの来日により,高良斉,土生玄碩,馬嶋円如等がその直接,間接の指導を受け,漢蘭混合眼科が実地に行われるようになった。こうしてオランダ眼科を採り入れて著わされたものに,山田大円の「眼科提要」(1817),樋口子星の「眼科撰要」(1826),土生玄昌の「銀海療法」,あるいは本庄普一の「眼科錦嚢」4巻(1831),同じく「続眼科錦嚢」2巻(1837)等があるが,その正続眼科錦嚢は漢蘭折衷眼科を最も詳細に記述していたものとして知られている。
延文2年(1357)清眼僧都によって再興された馬嶋明眼院(寛永9年寺号賜る)はその法灯第28世馬嶋円如僧正(字,忍甲,号,復明堂,1802〜1855)が立つにおよんで,流祖清眼僧都以来引き継がれた中国(明代)眼科を主軸としたいわゆる馬嶋流眼科の学風が一変され,治療法や器械に改良が加えられ,漢蘭折衷による実験重視型の眼科へ移向して時勢の潮流に遅れず当時日本眼科の主要な位置を保った。こうした在来馬嶋流眼科の改変によって著わされたのが馬嶋円如撰述の「限科集要折衷大全」である。
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