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Siesta
明治の国産義眼
著者: 三島済一
所属機関:
ページ範囲:P.197 - P.197
文献購入ページに移動 姫路の眼科医,高橋江春が明治18年,国産最初の義眼を作り,『義眼要弁』という本を著した。曾孫の高橋先生,京都の奥沢先生からその実物を送って頂いて,見ると素晴らしい出来ばえで,お椀のような形をし,眼球の上にかぶせるようになっている。当時は風眼,旬行性角膜潰瘍が非常に多く,角膜ぶどう腫や眼球萎縮などになったので,前者では眼球縮小術をしてこの義眼をかぶせると,よく動き,容貌が改善し,喜ばれたことはまちがいない。
明治28年,日清戦争で負傷した元兵士に対し,恩賜の義手,義足,義眼が下賜されている。当時の義眼には輸入されたものもあったが,この恩賜の義眼は高橋義眼であろうと思っている。当時の陸軍軍医学校の図書室には眼科の本として,保利真直著3冊,伊東元春訳1冊と『義眼要弁』があった。したがって陸軍は高橋義眼をよく知っており,これを用いたに違いない。
明治28年,日清戦争で負傷した元兵士に対し,恩賜の義手,義足,義眼が下賜されている。当時の義眼には輸入されたものもあったが,この恩賜の義眼は高橋義眼であろうと思っている。当時の陸軍軍医学校の図書室には眼科の本として,保利真直著3冊,伊東元春訳1冊と『義眼要弁』があった。したがって陸軍は高橋義眼をよく知っており,これを用いたに違いない。
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