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特集 ICG螢光造影
第2回ICG螢光造影国際シンポジウムを主催するにあたって
著者: 三木徳彦1
所属機関: 1大阪市立大学医学部眼科
ページ範囲:P.46 - P.46
文献購入ページに移動 第1回ICG螢光造影国際シンポジウムは1993年1月にニューヨーク(Yannuzzi博士)で開催され,この度,第2回ICG螢光造影国際シンポジウムが1995年4月5日〜8日,奈良県新公会堂で開催する運びとなった。この時季は,奈良公園の桜が満開の時期で,新公会堂内にある能舞台とともに,海外からの出席者に喜んでいただけるものと思っている。
シンポジウム開催を思いたったのは,1990年,ベニスでの螢光造影国際シンポジウム(ISFA’90)の際に林一彦博士(花巻厚生病院)と話し合ったのがきっかけで,二人で第2回日本ICG螢光造影研究会頃から具体的な行動を始めた。その後,Puliafito, Yannuzzi, Delaey, Bran—cato, Coscas, Flowerらの,ICG螢光造影について関心の深い欧米の諸先生方に折を見て国際シンポジウム日本開催を働きかけてきた。当初,1994年春を目標とし,1993年1月に,“第2回は日本での開催にしたい”との日本側関係者の了解のもとにニューヨークの第1回の国際シンポジウムに参加した。そして,第2回シンポジウムの開催は約2年間の間隔をおいたほうがよかろうと,第1回国際組織委員会の席上,「1994年秋,日本」を提案し,林と私が担当する旨も併せて了解を得た。この時,第2回日本ICG螢光造影研究会に招待したPuliafitoは,「次は日本で」と折に触れて積極的に発言してくれた。これは,日本に来てみて,研究会の一般講演のレベルが高かったことも影響していると聞いている。また会場は清水弘一教授のすすめもあって,環境の整った奈良県新公会堂に決定した。また,1993年6月に盛岡で開催された第4回日本ICG螢光造影研究会の世話人会で国際シンポジウム開催に当っての協力をお願いした。
その後,紆余曲折はあったが,国際組織委員は第1回シンポジウムの時のメンバーをほぼ引継ぎ,OrganizingCommittee(chairman)として松井瑞夫教授(日大駿河台),Secretary Generalとして三木徳彦(大阪市大),Scientific Committee(chairman)として林一彦博士(花巻厚生病院)からなる組織が決定した。
シンポジウム開催を思いたったのは,1990年,ベニスでの螢光造影国際シンポジウム(ISFA’90)の際に林一彦博士(花巻厚生病院)と話し合ったのがきっかけで,二人で第2回日本ICG螢光造影研究会頃から具体的な行動を始めた。その後,Puliafito, Yannuzzi, Delaey, Bran—cato, Coscas, Flowerらの,ICG螢光造影について関心の深い欧米の諸先生方に折を見て国際シンポジウム日本開催を働きかけてきた。当初,1994年春を目標とし,1993年1月に,“第2回は日本での開催にしたい”との日本側関係者の了解のもとにニューヨークの第1回の国際シンポジウムに参加した。そして,第2回シンポジウムの開催は約2年間の間隔をおいたほうがよかろうと,第1回国際組織委員会の席上,「1994年秋,日本」を提案し,林と私が担当する旨も併せて了解を得た。この時,第2回日本ICG螢光造影研究会に招待したPuliafitoは,「次は日本で」と折に触れて積極的に発言してくれた。これは,日本に来てみて,研究会の一般講演のレベルが高かったことも影響していると聞いている。また会場は清水弘一教授のすすめもあって,環境の整った奈良県新公会堂に決定した。また,1993年6月に盛岡で開催された第4回日本ICG螢光造影研究会の世話人会で国際シンポジウム開催に当っての協力をお願いした。
その後,紆余曲折はあったが,国際組織委員は第1回シンポジウムの時のメンバーをほぼ引継ぎ,OrganizingCommittee(chairman)として松井瑞夫教授(日大駿河台),Secretary Generalとして三木徳彦(大阪市大),Scientific Committee(chairman)として林一彦博士(花巻厚生病院)からなる組織が決定した。
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