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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科5巻11号

1951年11月発行

雑誌目次

綜説

眼結核の病理と治療に關する研究(1)

著者: 生井浩

ページ範囲:P.695 - P.703

Ⅰ.眼結核の病理に關する研究
 (Ⅰ)結膜フリクテンの組織學的研究,特に細胞學的解析。
 フリクテン(以下フと略)は從來結核アレルギー性疾患と考えられて來たが,其の病因に就ては尚疑義のある點が存在し,且,其の組織像に就ても先人の記載には矛盾がある。從つて我々は其等を解明するため種々の實驗を行つた。

臨床實驗

視標と視認調節(1)/視標と視認調節(2)

著者: 小島克

ページ範囲:P.704 - P.708

 視漂視認に際し−0.5D,−0.75Dの凹レンズを装用して人工的に調節を影響せしめてその視認力の變容を檢索してみたので茲に記載したい。

記憶力減退,冩字困難を伴う右側同側性半盲の1例

著者: 片山太郞

ページ範囲:P.709 - P.710

 同側性半盲に關しては古來幾多の症例が報告されているが,記憶力減退,冩字困難を同時に伴う半盲に關しては關口,塚原,三上等の諸氏の報告を見るのみで,比較的稀有なものである樣である。私は最近上記の如き右側同側性半盲症の1症例を得たので茲に報告し樣と思う。

空氣銃彈に依る眼外傷の1稀例

著者: 井之川善雄

ページ範囲:P.710 - P.712

 室氣銃彈に依る眼外傷に就ては諸氏に依り多數例報告せられておるも,何れも眼瞼内,眼球内,眼窠内,眼球二重穿孔し眼窠内に残存せるもの或は眼窠骨壁に箝入せるものに就ての報告例多し。眼窠以外の部位に留彈せるものは眼窠上壁を貫通し左前頭蓋腔底に,上顎竇に留彈せる報告あり。
 然して余の經驗せるものは,眼球二重穿孔し且つ眼窠後壁の骨壁を貫通し頭蓋腔にて骨壁と腦膜との間に介在し,之が摘出に成功し後遺症状なく治癒せる例にして,斯る報告例なく敢て報告する次第です。

眼窩内空氣銃丸摘出成功例並に位置計測法に就て

著者: 米山高德

ページ範囲:P.713 - P.716

 余は最近空氣銃丸の眼窩内に射入された例に遭遇し普通X線的に行われる諸方法の他テノン氏腔内空氣注入法を併用する事により銃丸の位置を明確に決定し手術摘出に成功した例を經驗したので茲に報告する。

硝子體動脈遺殘の1奇例

著者: 大田良子

ページ範囲:P.716 - P.717

 本症は1856年Müeller氏が牛の眼球でこれを認め,Meissnerが人眼でこれを證明して以來多數の報告があり,日本文献だけでも30餘例を數え尚未報告のものも多い事と思われる。
 私はその異型例を經驗したので茲に追加報告すると共にその興味ある點に就て卑見を述べ度いと思う。

先天性鎌状網膜剥離の1例

著者: 濱田尚子

ページ範囲:P.718 - P.719

緒言
 先天性鎌状網膜剥離は1934年にWeveが,Ablatio faltiformis congenitaとして,又はMannが,Congenital retinal foldの名前で殆ど時を同じくして獨立した1つの先天性眼疾患であるとして報告している。其後多くの學者が新たな見解を持つて本疾患を注目し始め,本邦に於ても既に數10例の報告がある。最近外來に當症例を得たので報告する。

テトラ・エチル・アンモニユーム・ブロマイドの眼科的應用に就て

著者: 本村隆夫

ページ範囲:P.720 - P.723

緒言
 Tetra ethyl ammonium bromideはC2H5C2H5NC2H5C2H5Brの組成を有し白色無臭潮解性の食鹽状結晶であるが水溶性で50%溶液さへも易々と得られる。其の(C2H54Nは自律神經に對しNicotin樣の作用を有し,その神經節に働きSynapsに於て刺戟傳導を遮斷することをAcheson及びMoeが發見した。其の後動物實驗或は臨牀實驗に關しては最近の米誌に種々記載され本邦に於ても木村北本氏等にょり既に紹介且つ興和化學の「テプロン」或は日新化學の「トノブロン」等の製剤として,高血壓症,神經痛,其の他交感神經切除術の效果試驗等に廣く使用されつゝある。然しながら眼科的の使用成積については未だ報告少く且つ甚だ興味深きを以て,茲に臨牀並に實驗的效果に就て述べたい。

結節状角膜變性の2例

著者: 狩野俊行

ページ範囲:P.724 - P.726

 結節状角膜混濁,或は,結節状角膜變性と稱せられる疾患は,1890年,Grocnouwにより始めて記載せられた比較的稀な疾患であつて,我國に於ては,明治35年,山根氏,明治37年,牛久保氏により招介されて以來,多數の症例が報告されるに至つた。
 Groenouwが報告した同じ年に,Biber格子状角膜混濁なる疾患を報告しているが,1905年,Fleischerは,結節状角膜混濁と格子状角膜混濁とは,相似た疾患であつて,之等を家族性角膜變性と名付くべしと主張した。所謂,家族性角膜變性症なるものは,その臨牀所見は千差萬別であるが,それでも尚,次の樣な共通した特徴を持つている。

網膜の組織化學(其の4)—網膜に於ける過沃度酸反應物質に就て

著者: 山本保固

ページ範囲:P.727 - P.729

緒言
 網膜内グリコーゲンに就ては,1883年Ehrlich氏1)が沃度法を用いて蛙の網膜内で發見して以來カルミン法を用いて其の後幾多の諸氏によつて報告された。
 最近共同研究者の山田氏2)が,鶏網膜に於て中心窩を含む標本を得られ,これをカルミン法に依つて染色し,中心窩を離れて周邊に行くに從つて圓錐體ミオイドに存在する所謂グリコゲーンが淡染することを認め,更に蛙網膜を用いて實驗した結果,所謂グリコゲーンは,視細胞に於て特に圓錐體と關係深いことを指摘された。

Recklinghausen氏病に於ける虹彩前面の所謂多發性小結節の病理組織學的所見

著者: 石井光一 ,   山田儀平

ページ範囲:P.730 - P.731

緒言
 Recklinghausen氏病の眼合併症として虹彩前面に多發性小結節の見られる事は吾國では筒井氏(大]15)の記載以來高僑,松岡,櫻井,廣瀨,松崎,田村,樋口,佐木山,杉本氏等多數の記載があり,レ氏病と何等かの關係あるものと考えられている。病理組織學的所見としてはGoldstein and Wexler (1930)の報告が見られるが吾國には未だ存しないためその本態は今日尚不明とされている。
 余等は最近幸い定形的のレ氏病患者において兩眼の虹彩前面に多數の該小結節を有する症例に遭遇し,死後その眼球を病理組織學的に檢索する機會に惠まれたので以下にその所見を記載しておきたいと思う。

所謂高安氏病に就て

著者: 鈴木宜民

ページ範囲:P.732 - P.735

緒言
 高安氏が明治41年(1908)「奇異なる網膜中心血管の變化の1例」として報告されたのを嚆矢として,大正10年(1921)中島教授が系統的に記載されて以來網膜動静脈の特異な吻合を示し全身的には橈骨動脈の脈搏を觸れる事の出來ない奇異なる疾患に就ては,近年症例を重ねる毎に漸く其の全貌が明らかにされつつある樣である。殊に淸水氏等の検索は其の本態究明に格段の前進をもたらしたもので其の解決される日も近いと思われる。然しBuerger氏病との關係に就ては尚不明の點が残されておる樣である。私は先頃教室所藏の眼病圖譜整理中特異なる網膜血管の吻合を有する1例を見出し當時單にHaemoangiomatssisretinalとして記載されていたものであるが,其の病歴を検討して見るに明らかに其れは所謂高安氏病(是く呼ぶ理由に就ては後述する)である事を確認する事が出來た。而して其の記録を調査中に偶然にも更に本症の1例を見る機會に惠まれた。依つて此處に2例に就て追加報告しておき度いと思う。而して第1例は既に10餘年前の症例で残された病歴から得た所見であり,第2例は當市國立千葉病院に入院中の患者であり詳細なる點に就ての報告の出來ない事は遺憾とする處であるが,中に1,2特異なる所見もあり本症の本態に尚不明の點の有る現在,茲に追加發表して後日の參考に供したいと思う。

視神經萎縮に對するプレホルモンの效果に就て

著者: 田邊一郞 ,   宮下和子

ページ範囲:P.736 - P.738

 陳舊性視神經萎縮に對して腦下垂體前葉ホルモンとビタミンBの併用が有效な事は淺山教授等の述べるところであるが,私共は急性球後視神經炎に由來する視神經萎縮にて從來の療法では視力の回復最早覺束なく思われたものに對しプレホルモン注射を試みたところ以外の效果をもたらしたものを經驗したが,此の際網膜血管經の測微計測をも行い皮下,静脈,動脈,球後注射等種々の場合に就て血管擴大の樣相を比較する事も出來たのでここにそれらの成績も併せて記載しておき度いと思う。

ネオミノフアーゲンAT (NAT)による眼結核の治驗

著者: 森田四郞

ページ範囲:P.739 - P.741

 ネオミノフアーゲンAT (NAT)は,リヂンを主體とする鹽基性アミノ酸の2%溶液で,結核菌に對しては,その菌體成分であるリポイドを鹸化分解し,而も單核球の喰作用を昂進させ,結核菌の發育を阻止し,それを死滅させる作用があると言われている。このNATによる治驗例は他科領域に於ては屡々報告されているが,我が眼科領域に於ては未だこれを見ない。私は本剤を眼結核患者に使用してみて,甚だ好結果を得たのでその結果を報告し,御批判を仰ぎたいと思う次第である。

石原氏綜合色盲檢査表の色に就て

著者: 關亮

ページ範囲:P.742 - P.743

 私は先に石原氏國際色盲検査表(以下舊版と記す)の色を測定して,之に色彩論的検討を加えた。然るに最近發賣された綜合色盲検査表(以下新版と記す)を見ると,各所に於てその色が私の測定した舊版と異つている。そこで新版の色を測定して再検討をした。

家兎保生眼球角膜の位相差顯微鏡像

著者: 横山實

ページ範囲:P.744 - P.745

緒言
 角膜移植の問題と關連して,保生角膜の變化については,生理學的並に組織學的な研究が多々爲されている。殊に屍體角膜の透明度或は組織呼吸と,その保生條件との關係については,中村教授,笠原氏等の詳細な研究發表を見る。
 私は,摘出家兎眼球角膜の變化を位相差顯微鏡によつて追究すべく,下記の如き小實驗を試みた。

瞳孔閉鎖の前房針手術による治驗例

著者: 佐藤勉

ページ範囲:P.746 - P.747

 第1例 68歳女子兩眼虹彩後癒着を伴う續發白内障,兩眼共ウエンツエル氏法により水晶體摘出並びに瞳孔形成手術を行う。左眼は無事0.7の視力を得たが,右眼が瞳孔閉鎖となり,第1圖の如く上方に偏位した。そこで改めて瞳孔を造らなければならなくなつた。從來の常識ならばさしずめイリドカプスロトミーを行う所である。しかしこれは手術も小さくないし,加減のむつかしいものであるし,出血の危險もある。また硝子體を傷つけなければならぬ。もし第1圖の點線が示すようにかぎの手に瞳孔内のシユワルテだけを切ることが出來れば,虹彩も硝子體も傷つけずに充分な光線を眼底まで入れることが出來るはずである。
 このような技術は余の前房針1)と余の角膜刀2)を用いて始めて實行し得る。(余の前房針による後發白内障手術の論文1)參照)第1圖のように耳側輪部より1mmほど内側の角膜に前房針を刺し(輪部より外方では小さい瞳孔領を刺すとき針が使いにくくなる)閉鎖している瞳孔の下端a點に先端を差込んだ。これを第2圖のように上方に動かして行くと,下方のシユワルテは軟いと見えて一部分は針の力で破れて來た。針の先端を充分上方へ廻してb點に達した時,そのまま送り込んでシユワルテの裏をとおつて,第3圖のP點へ到達せしめた。そこで先端を可及的に前房の方に向け,やや鏡い一突きを與えると先端がシユワルテを裏から表へ通して前房に出て來た。

カラーフイルムによる眼底冩眞撮影に就て

著者: 馬詰嘉吉 ,   林一男 ,   松尾治亘

ページ範囲:P.748 - P.751

 眼底を撮影する冩眞機には有名なZeiss-Nord-ensonの眼底冩眞機がある。最近の米國の文献を見ても,矢張りこの機械を用い,光源又はカメラのホルダーを改良して,カヲーフイルムの撮影を行つている。我が國でこの機械を備える所は,私達の知る範圍では九州と新潟の眼科教室である。本邦に於けるこの方面の文献を尋ねると誠に寥々たるもので,新潟の眼科教室に於てこの機械によりモノクロームの冩眞を撮り綱膜の血管の計測を行つている。カラー・フイルムによる撮影に至つては寡聞ではあるが未だその報告に接しないのである。馬詰と松尾は,1昨年來内藤式の固定検眼鏡と電氣検眼鏡を用い眼底の撮影を企圖していたが種々の事情で行き悩んでいた。偶々昨年の4月東京眼科集談會の席上に於て,Bedell氏の作成したカラー・フイルムによる立派な眼底冩眞を,Hull氏が供覽した。夫によつて一層我が國に於けるこの方面の開拓の必要を痛感した。
 昨年の9月以來,著者の1人である林と共同研究を行うに至り今日に及んだのであるが,その結果は,パンクロ・フイルムによる白黒の冩眞は相當の成果を擧げることが出來た。然しカラー・フィルムによるものは,未だ滿足と云う點には至らないが一應の成果を得たので茲に報告する次第である。

眼瞼に螫口を有する恙虫病に就て

著者: 米山高道 ,   茨木政夫

ページ範囲:P.752 - P.753

 恙虫病は新潟縣に於ては信濃川及び阿賀川,山形縣では最上川,秋田縣では皆瀬川の沿岸において毎夏流行的に發生する地方病で,恙虫或は赤虫と呼ばれる1種の蝨(Trombicula akamushi)に螫されて起る急性發疹性の熱病で,これがRickettsia tsutsugamushiにょり起るものである事は今日周知の事柄である。
 螫口は通常皮膚の比較的柔軟な鼠蹊部,陰部,腋窩腰腹部等にあることが多く,眼瞼に螫口を有する例としては恙虫病第1回調査報告48例(明37)中に1例左内眥鼻涙管開口部の稍々外方にあった例と,川村教授(大14)の90症例中1例右側上眼瞼の右側眼眥に近き處を螫された例を見るのみである。

Mikulicz症候群の1例

著者: 池田正敏 ,   今井一雄

ページ範囲:P.754 - P.756

 Mikulicz (1892)が涙腺及び唾液腺の相對性慢性無痛性腫脹を呈する疾患を1獨立疾患として記載して以來内外共多數の報告があり,今日では單に局所の變化に止まる所謂狭義のMikulicz病と全身の變化を合併するMikulicz症候群に分けられている。本症候群を呈する疾患としては結核,Sarcoid,梅毒,淋毒,痛風,ロイマチスムス,中毒,淋巴肉腫,Uveoparotid Fever,白血病,Hodgkih氏病,内分泌障碍等種々のものが擧げられているが,余等は最近Hebra氏紅色粃糠疹を伴う症例に遭遇したのでここに簡單に記載する。

臨床講義

鐵片外傷

著者: 加藤靜一

ページ範囲:P.757 - P.760

緒言
 私の臨床講義は殆んど患者を講堂へつれて行くことはありません。眼科の微細な所見を講堂で大勢の學生に供覽することは不可能ですし,田舎の患者は特に學生に見られることを極度に嫌うからです。眼科學の講義を一通り濟した最上級の學生に對して私は毎週のテーマを選んで,それに關連した患者の病歴や材料を揃え,5名位のプラクチカントを相手に討論しながら今迄に習つた所を復習總括させる一方に多少新しい研究面も加味すると言つた方式を取つています。

私の經驗

昭和25年度石川縣盲人開眼檢診の成積

著者: 倉知與志 ,   栖田晃 ,   南後龍一

ページ範囲:P.761 - P.762

 私等は石川縣民生部厚生課の依頼により,昭和25年10月10日より22日までの間,石川縣下の盲人開眼檢診に從事したので,その結果を報告したいと思う。
 はじめ,被檢者の選定は大體昭和24年度の富山,福井兩縣下の盲人開眼檢診に於ける方法(臨床眼科5卷,280頁,346頁參照)に準じて石川縣厚生課がこれを行つたが,愈々檢診を開始すると,前例にもれず,豫定に比し受診者が著しく増加し,然もその中には盲人開眼檢診の對照とはならない者,即ち一般眼疾患者が相當數に達した。

談話室

百年前の眼科の革新をかえりみる

著者: 山賀勇

ページ範囲:P.763 - P.766

 19世紀は實に諸科學興隆の時代である。これと共にわが眼科に於てもその前半期より先ずウィーンではBeer,JagerプラッハV.ArltパリーにはSichel, Desmarresがあり,ロンドンにはBowman, Critchett等が出て,次でケーニヒスベルヒのH.v.Helmholtz (1821-1894)は1850年末檢眼鏡を發明し,又オランダ・ユトレヒトのF. C. Donders (1818-1889)は特に屈折と調節に關する殆ど完全な業績をつみ,更にこゝにすい星の如くあらわれてわずか42年の生涯に近代眼科の祖と仰がれるに至つたA. v. Graefe (1828-1870)が眼科臨床上に多くの不滅の業績をのこした。この3偉人が同時にこの世にめぐり合つてわが眼科の革新(Reform derAugenheilkunde)をなしとげたことは誠に單なる偶然ではないと考えられる。こゝに丁度百年前を回想して當時をしのぶことも決して無意義とは思われない。

外文抄録

Klinische Monatsblätter fur Aügenheilkunde 116 Band. 1950

ページ範囲:P.767 - P.767

1)檢眼鏡發見の歴史(Albert Esser)
2)不同視眼は役立ち得るや(W.Comberg)

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讀書寸感

著者: 中村康

ページ範囲:P.768 - P.769

 現在私の手許に3冊の獨乙教科書が入つたので其に就て述べることにする。
1) Lehrbueh der Augenheilkunne,初版(1948年版)(M.Amsler, A.Brüichner, A.Franceschetti,H. Goldman, E.B.Streiff共編)850頁,凡8500圓

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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