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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科5巻7号

1951年07月発行

雑誌目次

總説

氣象及び季節變動が眼疾患に及ぼす影響に就て

著者: 萩野鉚太郞

ページ範囲:P.417 - P.423

緒論
 氣象並に季節の變動に對する生體の生理的反應或は之と各種疾患の消長との關係に就ては,近來漸く一般に注意を引くようになって來た。殊に生理的反應に關する基礎的研究或は内科,小兒科,耳鼻咽喉科方面の臨牀的研究には相當見るべきものがある。眼疾患との交渉に就ては本邦では早くから伊東教授等によつて注意されて來たが,まだ一般には關心が薄い樣に思われる。de RudderとかPetersen等の廣汎尨大な研究にも拘わらず眼疾患に就ての研究は甚だ少い。Petersen(1)の大著"The patient and the weather"の中では緑内障と虹彩炎に就て僅に10頁餘を費しているのみである。近頃宇山教授(2)は全身と眼との關係の密接なことを次の樣に強調している。全身諸臓器の病變は眼によつて遠くから且つ早期に捕捉出來る。之は眼と全身の連絡が極めて親密であることが主因であるが,一方眼の感受性が高度に發達しておつて僅かな病變の影響もよく之に反應し,微々たる變化も自覺的に視力,色神,光神等の機能的變化として或は他覺的検査によつて詳しく觀察出來ることにょると言う。萩野(3)は環境條件の變化に伴う視機能の動搖を疲勞と言う概念の下に測定し,身體内外環境の變化は視器に於て鋭敏に現われることを認めた。

臨床實驗

ランドルト氏環の方向と視認力の變容

著者: 小島克

ページ範囲:P.424 - P.425

 「ラ」環の切れ目の方向によつて視認に異動が起るのは屡々經驗される。同一個人が切れ目の方向によつて示す視認差の程度,同一被検群が,それにょつて變動を起す状態,又,順位差からみて方向の異動がどの樣になるか,是等を視標1.0及び視標0.5を以つて調べ,兩者に於ける變容を研究したので茲に記載したい。

側腦室穿刺後の兩側水平上半盲症例

著者: 大石省三

ページ範囲:P.426 - P.429

 兩側水平上半盲症(Hemianopsia horizontalissuperior)は射創の如き場合に,兩側腦半球禽距裂溝下唇印舌状回轉が,兩側同時に傷害された時起り得るものと解釋されているが,かかる損傷は,その附近に置する横靜脈竇,小腦更に深達すれば腦脚等をも同時に傷害し,又下方延髓えのショツクをも伴う事となり,結局死に致らしめる爲,症例として,遭遇するのは極みて珍らしいと云われる。
 既にPagenstecher, Uhthoff 2氏の射創による報告例があり,後頭部受傷と視野變化の關聯に就て解説に役立つてはいるが,現在尚この方面の研究は臨床家の協力を俟つて解決すべき點が少くないと思われる。

慢性葡萄膜炎に見た水晶體表面血管新生に就て

著者: 岸本正雄

ページ範囲:P.429 - P.431

 水晶體は無血管であるということに於て角膜,硝子體と共に特異な組織であるが,特別な病的状態に於て血管を伴うことがあることは古來記載を散見する。先天異常に基くものは暫く措き,後天性のものとしては在來の文献に見られるものは,すべて葡萄膜の炎症に由來するものである。周知の如く葡萄膜就中虹彩毛樣體の炎症に際しては,瞳孔領に大なり小なり滲出物の形成されることは毎常のことであつて,若しこれが多量にして且つ纎維素に富む時は逐に瞳孔僞膜乃至は硬皮を形成して甚しいときは瞳孔閉鎖に至る。

球後視束炎の概念とその發現機序に對する1考察

著者: 桑島治三郞

ページ範囲:P.432 - P.434

 球後(球外)視束炎の呼稱は球内視束炎に對するもので,主として眼底の檢眼鏡的所見の有無,ないし輕重の觀點から分類したものに屬し,庄司の引用によれば,要するに主要病變が多くは眼球より後方の視束にあると考えられる視束炎を意味する。然しよく考えて見ると逆に,檢眼鏡的に乳頭炎の著明な所見が認められるから球内視束炎であるということには問題があると思う。なぜなら例えば局所解剖的に見ても,視束の眼球内に屬する部分はおよそ1mmの長さに過ぎない。その他の部分は眼窩内20〜30mm,視束管内4〜6mm,及び頭蓋内3〜16mm,平均10mmといわれる(Walsh)即ち視束の大部分が明かに球後にある。これは至極當然なことであるが,從つてこの觀點から視束炎を考える時,特に球内視束炎として區別しなければならないような限局された視束炎が原發することありや否やということは相當吟味を要するところである。
 視束炎の所見として檢眼鏡的に觀察の對象となるのは視束乳頭がその病機に與つている場合であり,視束病變の原發性ないし續發性を問わず,それが乳頭に達した時には檢眼鏡的に乳頭に病變を認めることができる。即ち假りに球後深部の視束に炎症の原發した球後視束炎の場合,初め檢眼鏡的乳頭所見が正常であつても,周知の如く,その經過中に炎症の擴大または初發位の神經線維および竈鞘の續發變性が下行することにより,檢眼鏡的病變を認めるようになることが多い(Behr, Fuchs)。

トラコーマ固定病毒に關する研究—第1報 トラコーマ及び流行性角結膜炎の材料を以てのマウス腦内接種實驗

著者: 上野弘 ,   後藤忠子

ページ範囲:P.435 - P.438

1.緒論
 弓削並に私は,トラコーマ(以下トと略す)の疾病本態が廣義のアレルギー(以下アと略す)性疾患であろう事を,トの症候學的研究を基礎として推論して以來,此理論的假説を確證せんが爲,私はトの細胞形態學的,病理組織學的検索を行い,其所にア性反應を窺わしめる所見を捕捉し,次で土田は動物實驗より結膜の一般組織ア性變状の基本形式を追求して,其成果としてトの病理組織學的變状にア性變化が關與するものでないかと推定した。以上の如く,トえのア學説導入の妥當性に就て,順次實驗を進め,茲に免疫血清學的立場より實證が當然必要となつて來た。今回の私共の研究倭未だ初歩的段階に在るが,トに關して,抗原抗體間の反應と見做し得可き過程の存する事が判明し,私共の研究目的の道が拓かれた。
 トの諸研究,就中免疫血清學的部面よりのそれが,非統一的で或限界内に停頓して進歩しない最大の理曲の1つとして,好適なる實驗動物が容易には得難い點に在る事は自明の事實である。從來,諸種の動物を對象として,其腦内えのト病毒の接種實驗が諸家に依て實施せられてはいるが,決定的な結論が樹てられていない。最近此方両に於て注目に値する報告として,Braley (1949)の包括體性膿漏眼病毒のマウス腦内接種實驗があるが,荒川,北村(1950)はト病毒を同樣なる方法で分離固定する事に成功した。私共も荒川の方法に從つて固定病毒作成に成功し,トの免疫血清學的研究えの應用が可能となつた。

慢性軸性視神經炎の經過—特に中心暗點形状に就て

著者: 荻野裕

ページ範囲:P.439 - P.445

 慢性軸性視神經炎に(以下慢軸と略す)關しては從來主として視力低下を伴うものとして取扱われて來た。斯かる低下視力を有する慢軸の中心點に就ては精しい報告があるが,伊東教授に依つて指摘されだ處の本邦青少年に頻發する視力良好な所謂輕症慢軸に關しては未だ其の報告はない。
 私は慢軸患者に就て主として中心暗點の形状と其の段階に就て検討し,又其の臨床症状發展經過に就て研究したので茲に報告したいと思う。

學校トラコーマの集團治療効果—第1報テラマイシン,オーレオマイシン,クロロマイセチン及びプロミン軟膏の比較

著者: 今泉龜撤 ,   服部而立

ページ範囲:P.446 - P.450

緒言
 最近トラコーマに關する病原採究,治療方面に就ての新知見陸績として現われ,長年に亘つての懸案であつたトラコーマ問題も,漸く曙光を見出した感かある。吾々は昨年晩夏以降テラマイシンオーレオマイシン,クロロマイセチン及びプロミンの4種化學劑によるトラコーマ集團治療を實施し,其の或績が判明したので茲に報告する。

再び近視と齲齒との關係に就て

著者: 保坂明郞

ページ範囲:P.451 - P.453

緒言竝に文献的考察
 近視の本態が眼軸延長であるか,水晶體屈折力の増加に依るかは議論のある所であるが,大塚教授は兩者共に關係し,只眼軸延長が主で,水晶體屈折力の増加が從であることを立證された。眼軸延長が如何なるメカニズムで起るかは今後の問題であるが,眼球後極部の鞏膜が何等かの理由に依つて薄弱となり伸展せられることは古來考えられかゝる原因として全身的或は局所的のacidosisがその1として擧げられている。一方齲齒の發生原因として口腔内部の條件竝に全身的素因が考慮され,何れにしてもエナメル質の脱灰が行われて發生すると言われている。そこで近視と齲齒が何等かの關聯があるであろうとは誰しも考える所で以前より種々なる人々に依つて報告されている。即ち久保田三郞氏は女學生405名に就て近視者に齲齒多しとは言えないが,近視者で齲齒を有する者は多少進行度大であると言い,林勝三氏は朝鮮學童1195名に就き調査し,近視者には齲齒の發生が多いと述べ,柏谷三郞は龍川の邦人及滿人學童2000名に就いて検しacidosisの結果として近視及齲齒を多發することを認め,郡山勇氏は京阪地方の學童3813名,朝鮮學童2514名奄美大島の學童2798名に就いて調査し,後2者では關係あり,検査總員9152名に就いても近視者に齲齒の多いことを述べている。

テラマイシン軟膏の眼疾患に對する效果に就て

著者: 田地野正輝 ,   中島德三郞

ページ範囲:P.454 - P.458

 1950年Finlayにより「テラマイシン」と稱せられる新しい抗生物質がStreptomyces rimosusより分離され該物質は「グラム」陽生及陰性菌,好氣性及嫌氣性菌のみならす「リケッチア」及び或種の「ヴィールス」をも含む極めて廣範圍の多種多樣の生物による疾患に對して有效であるとされた。
 「テラマイシン」は現今内科的及外科的方面で主として經口的に使用されている樣であるが,眼科領域に於ては三井氏等(6)が初めて軟膏として局部的に應用し,殊に從來極めて難治とされている,「トラコーマ」に對し興味ある顯著な治療成績を報告された。其後桐澤(3),筒井(5),中島(11),入野田(12)氏等の學會報告によつても優秀な結果を得ている。

網膜色素變性症に合併する眼球振盪症—特に頸動脈毬X線照射による視力増進に伴いその消失せる症例に就て

著者: 松元壽

ページ範囲:P.459 - P.461

 綱膜色素變性症に眼球振盪症の合併は左程稀な事ではないが,治療による視力増進に伴い之の消失した例に就ては未だ殆んど記載を見ないところとする。
 網膜色素變性症に對して頸動賑毬X線照射の有效な事は當教室より屡々報告したところであるが余は今回偶々本療法により視力増進すると共に之に合併した眼球振盪症も消失した興味ある症例を經驗したのでこゝに報告する。

臨床講義

腦下垂體惡液質

著者: 馬詰嘉吉 ,   橋本豊島

ページ範囲:P.462 - P.465

患者 原田某女 17才(昭7,11,29生)
初診 昭和25年10月11日

私の經驗

頭部外傷と眼所見

著者: 桑島治三郞

ページ範囲:P.465 - P.467

〔Ⅰ〕
 少し大げさに言えば自殺未遂か他殺未遂かが問題になつて話題を賑わした事件で,眼科所見が決定的役割を演じたと言う私の經驗である。
 事件は1950年9月18目(月曜)の早朝,急患だと言うので内科當直醫が叩き起された事に始まる。正私服3名の警官に擔ぎ込まれたのは,まだ童顔の殘つている若者で,汚れたシヤツにズボン姿で昏々として眠つている。警官の語る處によると,今朝未明市内の廣瀬川あたご橋の土堤に,兩眼を眼かくしゝて膝を繩で結んだ儘,樹の幹に倚り腰を下した姿勢で昏睡している此の若者を發見し,取敢ず附近の内科醫に診せたがアドルム自殺未遂だろうとの事で,助かるまいと言われたと言う。

談話室

白内障剔出手術の歴史

著者: 山賀勇

ページ範囲:P.468 - P.470

 先に白内障前史として剔出術以前のあらましを述べたので,今回は近代眼科の第1にあぐべきジャック・ダビエルの剔出術(1745年)に筆を進めたい。即ち歐洲の長い中世紀の暗黒時代をすぎ,漸く16世紀に入って文藝復興の氣運に向い諸科學の進歩を見るに及んで,わが眼科にも初めて新しい息吹きが通い始めたのである。そのさきがけをなすものは,正しい近世の解剖學的知識に基かなければならないことは云うまでもない所であって,1575年初めて眼球は1つのガラスのレンズと同様であるとシシリー島の1僧侶Maurolicus (1494-1577)が唱えた。彼は水晶體によつて眼底に倒像が出來るべきだと言つたが,然しまだ網膜については述べていない。次で1600年頃バーゼルの解剖學者F.Plater(1536-1614)初めて水晶體は光線屈折のレンズであつて,網膜が視機能の主要器官であることを説明し,又この頃ナポリのPor-ta(1538-1615)は眼を暗箱にたとえた。但し光線は角膜によつて屈折し瞳孔を通じて水晶體に像を結ぶとした次でパドアのFahricius(1537-1619)は,初めて水晶體の解剖的位置を正しく記載した。併し未だ白内障については正しい知識が得られなかった所,1640年頃パリーのQuarre及びLasnier等によつて白内障が水晶體の變化であることが,發表された。けれどもこれは當時一般の注意を引かずに忘れられてしまった。

外文抄録

神經眼科學(年鑑)

著者: 金田招重

ページ範囲:P.471 - P.473

C.Wilbur Ruchker(Arch.Ophth. 44: 733-743, 1950)
 Leinfelder(Misconception in Neuro-Ophthalm-ology, Wiseonsin M.J.49: 297-298, 1950.)によると視神經乳頭の浮腫が頭蓋内壓亢進の重要な症状であることに昔も今もかわりはない。しかし25年前の統計によると腦腫瘍患者の80%が鬱血乳頭を認めることになつているが,腦腫傷の早期診斷が進歩した今日では40-50%が鬱血乳頭を認めることになつている。彼はまた術後の鬱血乳頭の消退は緩徐であつて浮腫は2-3週持續することを注意している。浮腫消退の速度は人によつてまちまちであるが,亞急性型のものでは10日につき約1Dの割合に消退し,急性型ではこれよりはやく慢性型ではこれより遲い。彼はまた視神經乳頭が蒼白だからといつて直ちに萎縮とはいえず,視神經萎縮の診斷には必ず視野の状態を參考にしなければならぬと説いている。
 Chamlin (Minimal defects in visual field studiles,Arch. Aphth.42:126-139,1949.)は腦損傷では普通のものより小さい視標で視野を檢査すべきだといつている。彼は2mの距離で1mmの視標を使い視野を檢査している。

British Journal of Ophthalmology— vol.34.January.1950.P.1〜64.

著者: 初田博司

ページ範囲:P.473 - P.474

1)實驗動物の網膜電流に就て(Waters, J.W.)
2)100萬單位ペニシリン結膜下注射による角膜感染潰瘍の治療(Sorsby, A.,and Burn, R.A.)

手術メモ・ⅩⅩⅡ

角膜潰瘍手術

著者: 中村康

ページ範囲:P.475 - P.476

 角膜潰瘍で手術的療法を行うのは難治の場合である。一般には藥劑療法,理學的療法で治癒する。
 後療法:術後激しい疼痛を訴えるものでは鎭痛劑を投與する。術後3日頃から蒸氣罨法をする。

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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