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文献詳細

雑誌文献

臨床眼科52巻11号

1998年10月発行

文献概要

眼科検査法についての私の考え

眼科検査法についての所感

著者: 馬嶋昭生1

所属機関: 1名古屋市立大学

ページ範囲:P.230 - P.230

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 検査についての思い出や意見を含めてエッセーをということであるが,筆者にはそのような高尚なものを書く才能はないので,日頃思っていることを述べて責を果たしたい。
 思い出といえば,誰でも忘れられないのは苦い悪い思い出であろう。筆者が名大眼科に入局して日も浅い頃,ある他科教授のご夫人が両眼視力低下で受診された。その教授には個人的にお世話になったことがあり,若輩の筆者が予診をとり,教授診を仰ぐことになった。それほど急発した視力障害ではなかったと記憶するが,視力は両眼0.1(n.c.)で,眼圧は正常であった。当時はこれしかなかった河本式倒像検眼鏡で乳頭に異常所見はないように思ったので,まず球後視神経炎を疑い黒板式中心暗点計で20。あたりから20mmの指標を動かし中心暗点を検査したが検出されず,「中心暗点(−)」と記載して患者さんとともに教授診察室に提出した。その結果は,教授から中心暗点の項の丸印が付いたカルテが戻ってきた。これは「中心暗点を再検せよ」ということである。ご夫人を再び検査室に呼び,同様の検査をしてもやはり指標は「全体に見難い」と言われるため,河本式およびU-O (馬詰・太田)中心暗点表でも検査したがやはり出ない。当時はこれだけが中心暗点の検出手段であったので,やむなく教授に報告にいくと,小声で一言「出ないはずがあるか?」とつぶやかれた。こういう教授が当時は多かったのではないかと思うが,筆者の恩師も万事「大学を出た者は自分で勉強せよ」という方針で,手を取って教えられたという記憶はほとんどない。もう一度患者さんにお願いして,今度は黒板の端ぎりぎりの位置から指標を中心に動かしていくと,25°近くで「あ,暗くなりました」という応答があった。予想外に大きい中心暗点であったが,やっと教授の許可が出た次第である。経過観察で,この中心暗点は次第に縮小し,10〜15°に落ち着いたが視力は回復も増悪もなかった。この患者さんは,高名な神経眼科医と神経内科医の診察の結果,診断が多発硬化症と亜急性脊髄視神経症とに分かれて最後まで結論は得られないまま終わってしまった。本当に大きな中心暗点であったか,視力低下のために中心固視ができなかったためかなどと反省したが,単純な検査でも憤重に行わねばならないということを眼科医になって早々に肝に銘じることができ,筆者にとっては誠によい経験であった。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1308

印刷版ISSN:0370-5579

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