文献詳細
連載 あのころ あのとき・6
文献概要
1964年(昭和39年)の7月に東大眼科の講師になった。鹿野信一先生がこの年の4月に東大教授に就任され,このお話をいただいた。1958年(昭和33年)の入局なので,医局の7年生になってすぐの時期である。
臨床の教授になると,出版社が押し寄せてきて,「教科書を書いてください」という。たまたま南山堂がそのような目的で設営した席に一緒に招かれた。鹿野先生は江戸っ子らしく,いつもはっきりものを言われる。「お前たちは儲かる話しか持ってこないけれども,まず儲からない仕事をさせれば教科書を考えてもよい」と言われた。
臨床の教授になると,出版社が押し寄せてきて,「教科書を書いてください」という。たまたま南山堂がそのような目的で設営した席に一緒に招かれた。鹿野先生は江戸っ子らしく,いつもはっきりものを言われる。「お前たちは儲かる話しか持ってこないけれども,まず儲からない仕事をさせれば教科書を考えてもよい」と言われた。
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