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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科55巻7号

2001年07月発行

雑誌目次

連載 今月の話題

人工眼の現状

著者: 鈴木聡

ページ範囲:P.1367 - P.1371

 21世紀に入り,人工臓器の分野は工学技術の進歩に伴いその発展が加速されると思われる。眼科分野でも器械的な眼を代用臓器とする研究が進められ,実際に患者に移植されている。本稿ではその歴史と現状を報告する。

眼の遺伝病・23

XLRSI遺伝子異常と網膜分離症(2)

著者: 和田裕子 ,   玉井信

ページ範囲:P.1374 - P.1376

 今回はXLRS1遺伝子,Arg209His変異を伴った網膜分離症の症例を報告する。この変異を伴った症例は周辺部網膜分離を伴わず,黄斑部に境界鮮明な萎縮巣を示していた。Arg209His変異はドイツおよびオランダの家系で報告されているが,臨床像の詳細な報告はない1)

眼科手術のテクニック・137

Viscocanalostomy・NPTなどの線維柱帯手術の術中穿孔

著者: 山岸和矢

ページ範囲:P.1378 - P.1379

 緑内障手術の中でviscocanalostomy (VCS)や非穿孔性トラベクレクトミー(NPT)などの線維柱帯手術では,線維柱帯を穿孔させずに手術を進めることが肝要で,VCSでは角膜線維柱帯を出すとき,またNPTでは傍シュレム管内皮網組織を剥がすときに線維柱帯を穿孔することが多く,その対処には配慮が必要である。今回,穿孔した場合の筆者の対処法と,穿孔しない工夫について紹介する。

あのころ あのとき・7

犬も歩けば

著者: 清水弘一

ページ範囲:P.1380 - P.1381

 「眼底疾患を見たら,これが顕微鏡標本で見たらどうなっているはずかを考えること」と,医局の新人だったころ,鹿野助教授からよく言われていた。
 まことにもっともな話である。そもそも眼科を志望したのも,インターンの時に医局の図書室にあったFriedenwaldの「眼病理学」(1952)の美しい病理の写真を見たことが,決定的な動機であった。

他科との連携

患者さん中心の治療を進めるために—Nさんのこと,Aさんのこと

著者: 鈴木水音

ページ範囲:P.1438 - P.1439

 15年ほど前,硝子体手術がまだ現在ほど一般的に行われていなかった頃,週3回の人工透析を受けていた65歳男性のNさんの,硝子体出血と牽引性網膜剥離を伴った増殖糖尿病網膜症(片眼は新生血管緑内障・視神経萎縮で既に光覚弁(−),手術予定眼は手動弁)に対して硝子体手術を予定していたところ,内科医からストップがかかった。「こんなに全身状態が悪いのに,4〜6時間の手術と術後腹臥位の姿勢をとらせるのは自殺行為だ。糖尿病で見えなくなるのは仕方がない。見えなくなっても,生きていたほうがいいだろう」,「いや,手術はやる!」,「手術はやらせない!」などと多少感情的になって内科医と衝突してしまった。
 しかし結局,本人の強い希望があり,内科医を説得して,手術に踏み切った。術後矯正視力は0.1。Nさんは,数か月後腎不全,心不全によって亡くなられたが,「これから生きていくためにも,見えるようになりたい!」という強い希望を尊重し,手術に挑戦して,術後数か月ではあったが“明るい光り”を得たことは,Nさんにとって決して無駄ではなかった,と信じている。眼帯を外したときにNさんが涙を流しながら嬉しそうに言った「見えるよ!先生,ありがとう」という言葉が,今でも忘れられない。

今月の表紙

多発性網膜前出血の1例

著者: 野田裕 ,   三方修 ,   谷野洸 ,   三宅養三

ページ範囲:P.1373 - P.1373

 症例は44歳の女性で,2時間前に右眼が真っ暗に見えたため当科を初診。右視力0.1(矯正不能),左矯正視力1.5,右眼圧21mmHg,左眼圧14mmHg,左眼に異常は認められなかった。右眼底の後極から中間部にかけて,3〜5乳頭径の長円形で硝子体側に隆起した網膜前出血が4か所に見られた。1つは黄斑部を覆い,出血部の赤血球境界が水平面を形成し,ニボー所見を呈していた。2日後に硝子体剥離が広がり,出血は拡散し各網膜前出血の面積は縮小した。右矯正視力は0.06に低下した。約2か月後に網膜前出血は吸収され硝子体出血も軽快,右矯正視力は1.2に改善した。血算,血液凝固系,生化学検査に異常はなく,循環器疾患,糖尿病も認められていない。
 写真はデジタルカメラを接続した眼底カメラ(興和PRO III)にて撮影を行い,画像ファイリング装置(興和VK2)に保存した。出血の範囲が広いので画像編集アプリケーションAdobe Photoshop®を用いて6枚の写真を1枚に合成した。

臨床報告

ハイデルベルグレチナトモグラフにおける新しい視神経乳頭変化判定プログラムを用いた乳頭形態の経過観察

著者: 鈴木淳子 ,   富田剛司 ,   国松志保 ,   鈴木康之 ,   新家眞

ページ範囲:P.1391 - P.1396

 ハイデルベルグレチナトモグラフ(以下,HRT)の測定画像に対して,近年開発された計測の測定変動に基づく乳頭変化の判定プログラムを用いて,1年以上経過観察した慢性開放隅角緑内障患者35例35眼における乳頭変化を定性的に判定した。判定プログラムでの診断に基づき「悪化」,「不変」,「改善」の3群に分け,各群ごとに乳頭パラメータ値の変化を評価したところ,改善群(5眼)においてのみ,cup area, C/D ratio, rim areaで有意な改善がみられ(p<0.05),判定結果と整合性がみられた。新しく開発されたHRTの変化判定プログラムは,少なくとも乳頭形態の改善の判定には有効である可能性があった。

多彩な眼異常を伴ったPeters奇形の病理組織学的検討

著者: 松永紀子 ,   尾関年則 ,   小島麻由 ,   野崎実穂 ,   小椋祐一郎

ページ範囲:P.1397 - P.1400

 前部ぶどう腫を呈したPeters奇形を組織学的に検討した。症例は生後11日の女児で,出生時から右眼白色瞳孔,左眼角膜混濁があり,当科を受診した。初診時,右眼の虹彩実質は菲薄で,色素上皮が外反し,水晶体後面の白色塊,延長した毛様体突起,網膜襞がみられた。左眼にびまん性角膜混濁,前房形成不全を認め,角膜は前方に突出して前部ぶどう腫を呈していた。左眼前部ぶどう腫は増悪し,生後4週に摘出した。左眼はPeters奇形,後部胎生環,虹彩・毛様体形成不全,先天性ぶどう膜外反,隅角形成不全と組織学的に,右眼は虹彩形成不全,先天性ぶどう膜外反,第一次硝子体過形成遺残と臨床的に診断した。多彩な眼異常は,すべて神経堤細胞の発生異常と考えられた。

中心視野が消失しつつある最末期緑内障における線維柱帯切除術

著者: 石橋健 ,   国松志保 ,   新家眞

ページ範囲:P.1401 - P.1406

 固視点にほとんど達する視野障害と視力低下があり,視野が消失する寸前にある最末期緑内障4症例4眼に,マイトマイシンCを併用した線維柱帯切除術を行い,7〜14か月間の経過を評価した。全4眼で良好な眼圧コントロールが得られた。視力は1眼で大幅に低下し,3眼で維持または改善された。視力低下眼では,術前のfoveal thresholdが9dBで他の3眼での19〜33dBよりも著しく低く,術翌日の眼圧が2mmHgで他の3眼での12〜20mmHgよりも著しく低かった。

ラタノプロスト点眼後,急性緑内障を起こした小眼球の1例

著者: 渡辺善則 ,   谷藤泰寛

ページ範囲:P.1407 - P.1410

 62歳の女性が11年前に右眼打撲で受診した。矯正視力は右光覚弁,左0.3で,+7.5Dの遠視であった。角膜径は両眼とも10.5mmで,眼軸長は右17.2mm,左16.8mmの小眼球であった。7年前に水晶体亜脱臼による閉塞隅角緑内障が左眼に発症した。レーザー虹彩切開術で隅角閉塞は解除された。2年前に白内障手術と眼内レンズ挿入を行った。11か月前に眼圧が上昇し,ドルゾラミド点眼で眼圧が正常化した。全周に虹彩前癒着があったが前房は深かった。7か月前にラタノプロスト点眼に変更した。4か月前に膨隆虹彩による急性閉塞緑内障が発症した。レーザー虹彩切開とドルゾラミド点眼に切り替えて眼圧は安定化した。全周に隅角閉塞のある小眼球では,ラタノプロスト点眼によって急性閉塞緑内障を誘発する可能性がある。

成人T細胞白血病にみられたサイトメガロウイルス網膜炎の1例

著者: 岸川泰宏 ,   出口裕子 ,   三島一晃 ,   北岡隆 ,   雨宮次生 ,   森弘幸 ,   朝長万左男

ページ範囲:P.1411 - P.1415

 63歳の男性の両眼に霧視が生じた。10か月前から,成人T細胞白血病,カリニ肺炎,サイトメガロウイルス(CMV)肺炎に対して加療中であった。左眼の前眼部に炎症細胞,両眼の眼底に滲出斑とトマトケチャップ様の出血があり,CMV網膜炎と診断してガンシクロビル点滴投与を開始した。その後一時的に抗原値が低下して眼底所見が軽快したが,抗原値が再度上昇し,滲出斑と出血が増加した。以後のホスカルネット投与は持続的効果を示さなかった。本症例は多剤耐性のCMVによる感染であると考えられた。

日本人における年齢別緑内障有病率および発症率の推定

著者: 中村弘 ,   鈴木康之 ,   山田幸永 ,   大原國俊

ページ範囲:P.1417 - P.1421

 過去に発表された4文献を統計学的に処理して,本邦での緑内障の年齢別有病率,発生率,年齢別患者数を推定した。解析にはSAS Mixed Procedureを用いた。原発開放隅角緑内障,正常眼圧緑内障,両者を合わせた開放隅角緑内障(OAG)の有病率は,いずれも加齢とともに増加し,高眼圧症は減少していた。OAGの新規発症率は加齢とともに漸減していた。40歳以上75歳未満のOAGの本邦での総患者数は約1,490,000人,有病率は2.66%で,有病率は白人と黒人の中間であった。複数の疫学調査を統計学的手法で解析することは可能であり,緑内障の医療行政の有益な情報となりうる。

高齢男性に発症した増殖性サルコイドーシスぶどう膜炎の2症例

著者: 甲田倫子 ,   佐々木洋 ,   原田幸子

ページ範囲:P.1423 - P.1428

 78歳と67歳の男性の両眼に霧視が生じ,ぶどう膜炎とサルコイドーシスと診断した。ステロイド薬の全身投与などを行った。1例では再燃を繰り返し,硝子体混濁と新生血管が生じた。両眼に網膜光凝固を行ったのち,硝子体混濁が軽減し,血管新生は消失した。他の1例ではステロイド薬の漸減時に再燃し,両眼に硝子体混濁,顕著な持続性の網膜静脈周囲炎,新生血管が起こった。左眼に硝子体出血が生じ,硝子体手術を行った。術後硝子体混濁は消失し,網膜静脈周囲炎は軽快した。手術を行わない右眼には網膜静脈周囲炎と硝子体混濁が残存している。光凝固または硝子体手術が増殖性サルコイドーシス網膜症に有効であることを示す症例である。

角膜屈折矯正手術後の白内障手術における眼内レンズ度数の計算法

著者: 武国恩 ,   謝立信 ,   劉後倉 ,   應良

ページ範囲:P.1429 - P.1432

 角膜屈折矯正手術後,従来のSRK II式では白内障手術時の眼内レンズ度数は遠視化する傾向にあるため,筆者らは3例4眼の臨床例と屈折学の理論に基づき,SRK II補正式として,Pを従来のSRKII式を基に正視を目指した場合の眼内レンズ度数,P1をその補正値,補正後の眼内レンズ度数をPcとずるPc=P+P1を想定した。
 P1,P2を角膜屈折矯正手術前後の眼屈折度を予想屈折度として,SRK II式で計算される眼内レンズ度数とすると,P1=P1-P2が成り立ち,また,K1,K2を角膜屈折矯正手術前後のケラトメーターによる角膜屈折力とずると,P1=C (K1-K2)が成立する。このSRK II補正式によって,眼内レンズ度数および予想屈折度の誤差を減少させる結果が得られた。

肺結核症のみられたmultifocal choroiditisの1例

著者: 村中公正 ,   上甲覚 ,   沼賀二郎 ,   蕪城俊克 ,   川島秀俊 ,   藤野雄次郎

ページ範囲:P.1441 - P.1445

 73歳男性が3か月前からの両眼の視力低下で受診した。14か月前に肺結核と診断され,治療中であった。両眼とも眼内レンズ挿入眼で,矯正視力は右0.5,左0.1であった。左右眼とも前房に虹彩炎の所見があり,眼底の後極部を中心として黄白色斑が散在し,乳頭が発赤していた。左眼には黄斑下出血があった。多発性脈絡膜炎multifocal choroiditisと診断した。眼底の黄白色斑の部位は,光干渉断層計(OCT)ではこれに相当する異常所見がなく,フルオレセイン蛍光造影では過蛍光,インドシアニングリーン蛍光造影では低蛍光を呈した。左眼黄斑部のOCT像では,嚢胞様黄斑浮腫と黄斑下出血に相当する網膜下の高信号領域が検出された。肺結核と多発性脈絡膜炎との関係は不明であった。

内因性細菌性眼内炎の3例

著者: 福本太郎 ,   平形明人 ,   岡田アナベル ,   小田仁 ,   三木大二郎 ,   樋田哲夫

ページ範囲:P.1447 - P.1451

 内因性細菌性眼内炎3例4眼を経験した。感染源は肝膿瘍が1例にあり,他の2例では不明であった。素因として糖尿病が1例にあった。全例に硝子体手術を行った。採取した硝子体または前房から,1眼にEscherichia coli,1眼にStaphylococcus aureus,2眼1例にKlebsiella pneumoniaeが検出された。手術後に3眼が眼球癆になり,他の1眼では視力が0.04に回復した。前房蓄膿を伴う急性進行性眼内炎をみた場合には,明らかな既往歴がなくても,内因性細菌性眼内炎の可能性を考えて,全身検索と早期の診断的硝子体手術を検討する必要がある。

正常眼圧緑内障が疑われたempty sella症候群の2症例

著者: 中川里絵 ,   菊地裕美 ,   兒玉安代 ,   庄司信行 ,   吉富健志

ページ範囲:P.1453 - P.1456

 緑内障経過観察中にempty sellaを認めた2症例を経験した。2症例ともに,MRI検査上,極めて類似したempty sellaの所見を認めたが,症例1は両鼻側半盲様の視野変化から頭蓋内病変が主体と考えられ,症例2は視神経・視野変化の様式から緑内障性変化が主体と考えられた。正常眼圧緑内障(NTG)の鑑別疾患の1つとしてempty sella症候群が挙げられるが,NTGを疑った症例にempty sellaを認めた場合,診断や治療方針の決定に際して視神経と視野の所見から総合的に判断するべきで,NTGを一律に除外すべきではないと考えられた。

断裂した眼内レンズのループが角膜内皮障害の原因の1つとして考えられた1例

著者: 馬嶋清如 ,   桐渕恵嗣 ,   糸永興一郎 ,   山本直樹

ページ範囲:P.1457 - P.1461

 59歳の男性が,左眼の皮質白内障に対して超音波乳化吸引術と眼内レンズ(IOL)挿入術を受けた。IOLは光学部がシリコーン,支持部がポリプロピレンであった。皮質吸引中に後嚢が破損し,IOLは嚢外に固定された。術後1週目の矯正視力は0.5であったが,3か月後に0.01に低下した。角膜内皮の細胞密度は748/mm2で,術前の1,500/mm2より低下していた。変動係数(CV)は0.51で術前が0.40,六角形細胞率は23%で術前が35%であった。水疱性角膜症と診断し,全層角膜移植術を行った。この際にIOLが偏位し,破損した支持部の断端が虹彩を穿孔していた。本症例では,断裂したIOLの支持部が虹彩を穿孔し,角膜内皮を障害した可能性があると推定した。

カラー臨床報告

Liposomal doxorubicinが奏効したエイズ関連結膜カポジ肉腫の1例

著者: 八代成子 ,   菊池嘉 ,   永田洋一 ,   長瀧重智 ,   岡慎一

ページ範囲:P.1385 - P.1390

 40歳男性が右眼の充血で受診した。8か月前にHIV抗体陽性が発見された。1か月前にカリニ肺炎があり,後天性免疫不全症候群(エイズ)と診断された。舌に赤色の隆起性病変があり,生検でカポジ肉腫と診断された。カポジ肉腫はさらに上部消化管に進展した。通常の各種化学療法とビンブラスチンの局所投与が行われたが効果は一過性であった。初診から13か月後に両眼の球結膜にカポジ肉腫が発症した。Liposomal doxorubicinを3週ごとに点滴した。5回の投与後に結膜肉腫は著明に縮小し,12回の投与で舌と上部消化管を含む病変は消失した。投与中に骨髄抑制などの副作用はなかった。最終投与から12か月が経過した現在まで再発はない。Liposomal doxorubicinがカポジ肉腫に有効であった症例である。

第54回日本臨床眼科学会専門別研究会2000.11.3 東京

「画像診断」印象記

著者: 中尾雄三

ページ範囲:P.1464 - P.1465

 年々,本研究会は盛会となり,今年度も超音波,CT—scan, MRIなどの画像検査法を用いた眼科疾患の原因,発生機序,病態に向かっての興味あるアプローチが展開された。いずれも検査機器の特性を習熟し,深い眼科臨床の経験から考察された内容ばかりであった。今回も,各セッションを担当された座長に口演と講演の印象を語っていただいた(世話人:中尾雄三)。

やさしい目で きびしい目で・19

21世紀は電子カルテの時代?

著者: 北川和子

ページ範囲:P.1433 - P.1433

 朝9時外来開始。看護婦さんが立ち上げておいてくれたコンピュータ液晶画面の電子カルテシステムのアイコンを,ダブルクリックすることから始まる。電子カルテが起動したらID,パスワードの入力を行う。そして予約患者さん一覧の画面にして,最初の患者さんをクリック。次にオーダリングと電子カルテの選択画面で電子カルテを選択。これまでの経過はロールペーパ画面に切り替えて日付の付いたタブをめくっていく。そして患者さんのアウトラインをチェックしたところで,「○○さん,お待たせしました!」と声をかける…という作業を,昨年秋から行っている。全国の大学病院の中で最も早く電子カルテシステムが導入されているのである。
 とにかく時間がかかる。数か月の経過のカルテであるが,その患者さんの電子カルテが立ち上がるのに40秒以上かかることもある。眼底などのスケッチはペンタブレットで入力しているが,美しい絵にはほど遠い。レフ値,視野,スペキュラ画像,角膜形状,ほかもろもろの検査は現時点ではスキャナで読み込むしかない。画像ファイリングシステムとのネットワーク化が不可欠である。ペーパレスをうたった電子カルテだが,回診では本当に苦労する。内科では三側表を印刷して,それを主治医がベッドサイドで提示しているとか。眼科暗室にも端末を引いてあるが,画面を立ち上げて経過を読み,そしてコメントをキーボードで打ち込む操作が患者さんの出入りに追いつかない。あらためてアナログカルテの良さを痛感している。ぱらぱらめくって情報を収集するという操作がこんなに重要なことだとは知らなかった。

文庫の窓から

謨私篤治療集成と謨私篤黒障眼

著者: 中泉行史 ,   中泉行弘 ,   斎藤仁男

ページ範囲:P.1467 - P.1470

 わが国の和蘭医方は幕末に及んで漢方に代わって著明な発達を遂げ,蘭医方をもって塚をなす医家もますます多くなった。また,諸家の間では翻訳の業を起こし,西洋の医学を翻訳書によって学ぼうとするものも次第に増加した。
 こうした時期,天保5(1834)年5月,林洞海(豊前,小倉の人,名は彊,字は健卿,洞海,また新斎,また冬皐と号す,佐藤泰然の女婿,1813〜1895)は医学修行のため江戸に出て,足立長雋(1776〜1836)の塾に入門した。

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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