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わが国の和蘭医方は幕末に及んで漢方に代わって著明な発達を遂げ,蘭医方をもって塚をなす医家もますます多くなった。また,諸家の間では翻訳の業を起こし,西洋の医学を翻訳書によって学ぼうとするものも次第に増加した。
こうした時期,天保5(1834)年5月,林洞海(豊前,小倉の人,名は彊,字は健卿,洞海,また新斎,また冬皐と号す,佐藤泰然の女婿,1813〜1895)は医学修行のため江戸に出て,足立長雋(1776〜1836)の塾に入門した。
こうした時期,天保5(1834)年5月,林洞海(豊前,小倉の人,名は彊,字は健卿,洞海,また新斎,また冬皐と号す,佐藤泰然の女婿,1813〜1895)は医学修行のため江戸に出て,足立長雋(1776〜1836)の塾に入門した。
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