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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科57巻2号

2003年02月発行

雑誌目次

特集 第56回日本臨床眼科学会講演集 (1)

マイクロケラトロン採取による角膜移植の検討

著者: 小嶺大志 ,   隈上武志 ,   谷口寛恭 ,   雨宮次生

ページ範囲:P.173 - P.176

要約 筆者らはポータブル電動トレパン(マイクロケラトロンTM)により,献眼者より直接採取した強角膜片を用いて角膜移植術を施行した14眼の手術成績を検討した。透明治癒したものが50%,やや混濁の残るものが21%,混濁移植片が29%であった。術後視力は,改善57%,悪化7%,不変36%であった。拒絶反応は21%に起こった。強角膜片群,全眼球群における透明治癒率は,それぞれ30%,42%であった。視力改善率は60%,42%であった。マイクロケラトロンで採取した角膜による角膜移植の成績は,よい傾向であった。

鼻涙管形成不全の3症例

著者: 江森亜希 ,   高木郁江

ページ範囲:P.177 - P.181

要約 出生直後から流涙と眼脂が続き,頻回のブジーを行っても治癒しなかった3症例を鼻涙管形成不全と診断した。全例に眼以外の奇形があった。第1例には,指欠損症,外胚葉形成不全症,口唇口蓋裂の合併(ectrodactyly,ectodermal dysplasia,cleft lip-palate syndrome:EEC症候群)があり,鼻涙管閉塞は両側にあった。第2例にはRubinstein-Taybi症候群があり,鼻涙管閉塞は両側にあった。第3例には心室中隔欠損,口蓋裂,披裂部喉頭軟化症があり,鼻涙管閉塞は片則性であった。3症例とも,CT涙道造影で鼻涙管骨異常があり,骨影が不明瞭で下鼻道と連続せず,管腔にも異常陰影があった。全例に涙囊鼻腔吻合術を行い,良好な結果を得た。

過去10年間の先天白内障の術後経過

著者: 津田恭央 ,   田中陽子 ,   山下美和子 ,   出口裕子 ,   雨宮次生

ページ範囲:P.183 - P.187

要約 目的:長崎大学眼科で行った先天白内障手術の成績の評価。対象:1998年までの10年間に手術を行い,術後3年以上の経過を追跡できた先天白内障28例。男性12例,女性16例で,両眼性20例,片眼性8例の48眼である。手術時の年齢は1か月から11歳で平均5.6歳。結果:両眼性20例中4例で両眼ともに1.0以上,11例で0.3以上の最終視力が得られた。両眼ともに0.1以下の最終視力が5例にあり,これらには小角膜症,眼振,緑内障などが術前からあった。片眼性8眼中1眼のみが1.0以上の視力であり,この症例の他眼の視力は0.2であった。他の7例では他眼の視力が良好であり,手術眼の最終視力は不良であった。結論:術前に合併症がない両眼性の先天白内障では,最終視力は比較的良好であった。片眼性では,合併症の有無にかかわらず術後視力は概して不良であった。

糖尿病網膜症における網膜耳側縫線領域の蛍光眼底所見

著者: 根本大志 ,   安藤伸朗

ページ範囲:P.189 - P.193

要約 光凝固未施行の糖尿病網膜症28例54眼に蛍光眼底造影を行い,耳側縫線領域の所見と,眼底全体の所見との関連を検索した。単純網膜症10例,前増殖網膜症10例,増殖網膜症8例である。耳側縫線領域の無灌流野の有無,これ以外の部位での無灌流野の存在範囲,網膜中間周辺部の新生血管の有無の関連を検索の対象とした。耳側縫線領域に無灌流野がない20眼では,これ以外の部位に無灌流野があったのは1象限3眼のみであり,20眼すべてに新生血管はなかった。耳側縫線領域に無灌流野がある34眼では,そのすべてにこれ以外の部位に無灌野があり,2象限10眼,3象限4眼,4象限20眼であった。新生血管は34眼中12眼にあった。以上の所見から,耳側縫線領域の無灌流野の存在は糖尿病網膜症全体の重篤度を反映していると結論される。

ラタノプロスト長期投与による黄斑浮腫の1例

著者: 中村護 ,   小野尚子 ,   藤原りつ子 ,   毛利祐介

ページ範囲:P.195 - P.199

要約 70歳女性が左眼視力低下で受診した。14年前に原発開放隅角緑内障と診断され,右眼に1回,左眼に4回の対緑内障と対白内障などの手術を受けていた。約1年前から両眼にラタノプロストを点眼していた。受診時の矯正視力は右1.2,左0.2であった。眼底検査で左眼に黄斑浮腫があり,光干渉断層計で両眼に囊胞様黄斑浮腫が検出された。ラタノプロスト点眼を中止し,左眼にブロムフェナック点眼と炭酸脱水酵素阻害薬の内服を開始した。8週後に両眼の囊胞様黄斑浮腫は消失し,左眼視力は0.6に回復した。内眼手術の既往があるとき,ラタノプロスト点眼が囊胞様黄斑浮腫の原因になる可能性を示す症例である。

連載 今月の話題

硝子体手術後の視野欠損

著者: 平田憲

ページ範囲:P.103 - P.108

 本稿では筆者らの経験した臨床症例をもとに硝子体手術の術後合併症の1つである術後視野欠損の発生機序を考察する。特発性黄斑円孔100眼に対して,硝子体手術の前後に視野検査を行い,視野欠損の発生率および手術方法による影響について検討した。100眼中18眼に術後視野欠損を認め,視野欠損は常に灌流カニューラの対側に一致してみられ,灌流空気圧を下げた場合,視野欠損の発生率は有意に低下した。視野欠損例の長期観察で,灌流カニューラの対側の網膜に,網膜色素上皮の変性を主とする類円形の病巣を認めた。

眼の遺伝病 42

ハーバード便り(2)

著者: 和田裕子

ページ範囲:P.110 - P.111

 2002年12月31日にボストンを経ち,この原稿は日本で書いている。半年間という期間は,過ごし方により長くも短くも感じられると思うが,このたびの渡米では,期間が短いなりに濃縮した留学生活を送ることができたような気がしている。

 今回は実験とは少し離れて,このシリーズを読んでくださっている先生方が,実際の臨床,研究の場で少しでもお役に立つような情報を提供したいと思う。

 2002年12月14日に,Paul Sieving教授にNEI(National Eye Institute)で“日本人網膜色素変性の遺伝子異常”についてお話しする機会をいただいた。そこで,公演前にいろいろなラボを見学し,genetic counselingの担当の方からはDNAの収集方法を教えていただいた。NEIでも私の留学していたラボと同じような体制を確立していたので紹介したい。

眼科図譜378

硝子体囊腫の1例

著者: 鈴木崇 ,   鳥飼治彦 ,   川崎史朗 ,   大橋裕一

ページ範囲:P.114 - P.115

 緒 言

 硝子体囊腫は比較的稀な疾患で,自覚症状に乏しく,視力も一般に良好なため偶然発見されることが多い1)。今回経過中に,硝子体の液化に伴って囊腫が硝子体中に浮遊,移動した症例を経験したので若干の知見を加えて報告する。

あのころ あのとき 26

早期発見のためのスクリーニング

著者: 湖崎克

ページ範囲:P.116 - P.118

 何故スクリーニングに打ち込んだか

 私が,わが国で始まったばかりの近代斜視・弱視学に興味を持ち出したのは,昭和34(1959)年頃である。当時この領域では弓削経一先生,中川順一先生などの大御所に加え,原田政美,稲富昭太,足立興一,渡辺好政先生らバリバリの研究者が大活躍の時期で,その方たちの討論を聞いていて,彼らにはとても太刀打ちできず,議論の中に入ることすら自分の力ではかなわないという実感があった。そこで私は自分の存在価値をみつけるために考えたのは,“個々の困難な症例を追求することも大切ではあるが,斜視・弱視の患者を大きなマスでとらえることが多くの患児の幸せになり,この領域の広い発展につながるに違いない”ということだった。そして私は斜視・弱視および小児眼科にかかわるスクリーニング,集団検診に自分の仕事の軸足を置くことにした。

他科との連携

肺炎なのにシェーグレン?

著者: 北川和子

ページ範囲:P.148 - P.149

 10年ほど前,顔なじみの看護師さんがドライアイの検査を受けるために眼科を受診された。肺炎で入院されており,病名はシェーグレン症候群とのことだった。その看護師さんは,受診の1年ほど前より関節炎を認めていたのだが,どの医師でも原因はわからず,今回肺炎を発症して内科に入院となり,精査の結果シェーグレン症候群と確定診断されたとのことだった。

 シェーグレン症候群といえば重症ドライアイをきたす病気としか認識がなく,なんでシェーグレン症候群で肺炎なの?,と頭の上に“?”が山ほど浮かんだ。しかし,その後多数のシェーグレン症候群の患者さんを診察する機会に恵まれ,今では“?”は消えている。これはひとえに金沢医科大学血液免疫内科教授の菅井進先生のおかげである。

臨床報告

膠原病患者における緑内障発症とステロイド長期内服の影響

著者: 永山幹夫 ,   田村直之 ,   楳田知子 ,   大月洋 ,   山口樹一郎 ,   宮脇昌二

ページ範囲:P.119 - P.123

要約 膠原病患者244名に対し,緑内障の有無とその病型を検索した。正常眼圧緑内障が4名(1.6%),開放隅角緑内障が3名(1.2%)にみられた。1年以上副腎皮質ステロイド薬(ステロイド薬)を内服していた172名のうち,ステロイド薬が原因で眼圧が上昇した可能性があるものは6名(3.5%)であった。平均1日内服量は,眼圧上昇群ではプレドニゾロン換算7.5±2.25mg,非眼圧上昇群では7.5±2.9mgであり,両群間に有意差はなかった。内服期間は,上昇群が11±9.9年,非上昇群が11±6.5年であり,有意差はなかった。膠原病患者全体における正常眼圧緑内障の有病率は特に高くなかったが,シェーグレン症候群では正常眼圧緑内障がみられなかったのに対し,慢性関節リウマチと強皮症ではいずれも3%台と高かった。また長期のステロイド薬内服は,1日10mg程度の維持量であれば眼圧が上昇する可能性は低いと判断された。

網膜剝離を合併した朝顔症候群の1例

著者: 横山光伸 ,   木村徹 ,   木村亘 ,   木谷聡 ,   山村基成 ,   中川泰典

ページ範囲:P.125 - P.129

要約 14歳男児の右眼に扁平な網膜剝離が発症した。右眼は生後8か月のときに朝顔症候群と診断されていた。左眼は正常であった。右眼に硝子体手術を行い,朝顔状の乳頭内に裂孔を確認した。網膜剝離は再発を繰り返し,4回目の硝子体手術の際に裂孔の閉鎖が確認できたにもかかわらず,胞状の剝離が再発し,右眼は失明した。朝顔症候群に合併した網膜剝離の原因は,朝顔部の網膜裂孔と,視神経を介してのクモ膜下腔から網膜下への髄液の流入があると推定される。このような網膜剝離には,裂孔を閉鎖せずに乳頭周囲の網膜を眼球壁に固定する方法か,裂孔を閉鎖してクモ膜下腔と網膜下腔との連絡を遮断する方法があると判断した。

PEA+IOL+トラベクロトミーとシヌソトミー併用手術との長期成績の比較

著者: 落合優子 ,   落合春幸

ページ範囲:P.131 - P.135

要約 シヌソトミー併用トラベクロトミー(SIN+LOT),超音波乳化吸引術(PEA),眼内レンズ挿入術(IOL)(S群)102眼とLOT+PEA+IOL(L群)224眼の術後眼圧の比較検討を行った。L群の術翌日以外は全ての眼圧が術前に比し有意に低下しており,投薬点数も有意に低下していた。両群間では,術翌日から有意にS群が低下していた。術後18mmHg以下の生存率は術後42か月で,S群98%,L群64%,術後16mmHg以下の場合は,S群72%,L群21%であり,どちらも全ての期間でS群が有意に高かった。SIN+LOT+PEA+IOLは視神経障害の進行した緑内障眼に有用な手術法と考えられた。

眼局所免疫不全状態において経験した非定型的な上皮型角膜ヘルペスの3例

著者: 鈴木正和 ,   宇野敏彦 ,   大橋裕一

ページ範囲:P.137 - P.141

要約 副腎皮質ステロイド剤やシクロスポリンなどによる全身および点眼治療中の3症例に,上皮型角膜ヘルペスが発症した。症例は,全層角膜移植を2回受けた76歳女性,角膜ジストロフィに対して表層角膜移植を受けた46歳女性,全層角膜移植を受けた74歳男性である。いずれの症例も,上皮欠損が大きく辺縁が不整形であり,充血などの炎症所見は乏しかった。上皮欠損の形が日々変化することと,一部に樹枝状角膜炎様の所見があり,角膜ヘルペスが疑われた。全例で涙液PCR(polymerase chain reaction)により,患眼にのみ単純ヘルペスウイルスが検出され,アシクロビル投与で上皮欠損は治癒した。眼局所の免疫不全状態での遷延化する不整形の巨大角膜上皮欠損が,上皮型角膜ヘルペスによることを示した症例群である。

非虚血型網膜中心静脈閉塞症と網膜動脈分枝閉塞症の合併に硝子体出血をきたした1例

著者: 大萩豊 ,   阪上祐志 ,   藤谷知余美 ,   飯田英史 ,   松浦豊明 ,   原嘉昭

ページ範囲:P.143 - P.147

要約 45歳男性に左眼の霧視と視野異常が突発し,その翌日に受診した。左眼の矯正視力は1.0であった。視神経乳頭前に出血があり,網膜静脈が拡張,蛇行していた。黄斑部下方に網膜混濁と動静脈の循環遅延があり,非虚血型の網膜中心静脈閉塞症と網膜動脈分枝閉塞症の合併と診断した。ただちに線溶療法を開始したが,その翌日に硝子体出血と黄斑前出血が発症し,線溶療法を中止した。10週後に硝子体出血と動静脈閉塞は寛解し,視力は1.0に改善した。経過中に新生血管の発症はなく,後部硝子体剝離もなかった。経過中の所見から,硝子体と網膜前出血が視神経乳頭から起こったことと,これが網膜動脈循環障害または線溶療法に続発した可能性が考えられた。

極大連続環状囊切開(CCC)を行った白内障手術後の後囊混濁

著者: 高瀬正郎 ,   小原真樹夫

ページ範囲:P.159 - P.164

要約 白内障手術で極大の連続環状囊切開(continuous curvilinear capsulorrhexis:CCC)を1か月間に行い,術後3か月でCCCが維持されている50眼を検索した。術中のCCCは,眼内レンズ光学部を超え,虹彩縁を超える大きさであった。全例に後囊混濁があり,すべてがfibrosis型(線維性混濁)でElschnig pearl型(硝子体混濁)はなかった。前後囊接着部のfibrosisが19眼にあり,眼内レンズ光学部の孤立したfibrosisのみが6眼にあった。これら25眼では,CCCは散瞳下でも見えない大きなものであった。18眼には,fibrosisが前後囊接着部,眼内レンズ光学部,または支持部に沿ってあった。これら18眼でのCCCの大きさは,その他の眼よりも概して小さかった。眼内レンズ光学部を超える極大CCCは,fibrosis型の後発白内障を有意に抑制できると結論される。

網膜細動脈瘤による出血に光干渉断層計を用いた観察が有用であった1例

著者: 田下亜佐子 ,   今泉寛子 ,   竹田宗泰

ページ範囲:P.165 - P.170

要約 73歳女性に右眼視力障害が突発し,眼底出血として即日近医より紹介され当院を受診した。右眼矯正視力は0.01であった。硝子体出血,網膜前,網膜下出血があり,網膜細動脈瘤破裂が疑われた。1か月後に硝子体出血は吸収され,黄斑部に内境界膜と思われる膜がドーム状に剝離し,ニボーを呈する網膜前出血があった。光干渉断層計(optical coherence tomography:OCT)では,網膜下出血が黄斑部上方で急に隆起し,その部位にドーム状の膜剝離が続き,内部に多数の点状反射があった。白内障と硝子体の同時手術を行った。術中に内境界膜のドーム状剝離を確認し,内境界膜下出血とともに除去した。手術3日後に矯正視力が0.2に回復し,8か月後に0.6pになった。視力低下の原因は,内境界膜剝離内部にある貯留液の混濁と網膜の圧排によると推定した。

今月の表紙

Congenital Grouped Pigmentation of the RPE“Bear Tracks”

著者: 福井勝彦

ページ範囲:P.113 - P.113

 11歳の男児。養育センターの学校検診で眼底異常を指摘され,網膜色素変性の疑いで視野および網膜電位図などの精査目的で受診した症例である。視力は右0.2(0.7),左0.5(1.0),ゴールドマン視野計による動的視野検査,網膜電位図には異常が認められず,暗順応検査は錐体の閾値と屈曲点までの時間は正常で,杆体は最終の閾値がやや低下していた。眼底所見は,両眼の後極部から周辺部にかけて網膜の辺縁部のはっきりした大小さまざまな大きさの色素斑が集合し沈着しているのが認められた。黄斑部領域には色素斑の沈着は認められない。眼底所見的にCongenital Grouped Pigmentation of the RPE“Bear Tracks”であった。母親の眼底には,異常は認められなかった。(KOWA-PROIII眼底カメラ,フィルムは,Kadak-Ektachrome 100)

やさしい目で きびしい目で 38

多くの人との出会い

著者: 岩瀬愛子

ページ範囲:P.151 - P.151

 日本緑内障学会は,平成12(2000)年から13(2001)年に,岐阜県多治見市で,緑内障の疫学調査を兼ねた大規模な眼科検診を実施した。この検診は,1人でも多くの方の検診を受ける機会になれば,という眼科医としての切なる思いを込めると同時に,疫学調査として「無作為抽出対象者」の受診率を国際基準以上(最低でも75%以上)にするという課題を持って準備が進められた。啓蒙活動として,三嶋弘先生,阿部春樹先生には市民シンポジウムにご参加いただき,また,新家眞先生,桑山泰明先生には市民講座を実施していただく,という夢のようなイベントも実行した。広報活動にはあらゆる手段を使った。検診器材は無散瞳眼底カメラ4台をはじめ,1日に約650人を検診できる体制を整えた。いざ開始してみると,整理券の配布は午前8時半から始まるにもかかわらず,早朝5時から希望者の列ができ始め,受診希望に添えない人もでるほどの盛況ぶりであった。しかしながら,日が経つにつれて無作為抽出対象者にあたる方の受診率は伸び悩み,半年経った時点で26.4%と目標にはほど遠い数値であった。また,朝から並んで検診に来られた熱心な検診希望者ほど,自覚症状の強い眼の疾患のある方が多く,有病率にバイアスがかかっているのは明らかであった。無作為対象者への受診のお願いは,手紙などで何度も行い,忙しい人には夜間診療で対応した。しかし検診に興味のない人からはさまざまな理由で受診を拒否され,期間後半には,100人に声をかけたとすると,やっと1人が受診するといった状況もあった。そんな中では,たとえ1人の希望者であっても貴重であった。

 住民票は市内にあるが,家族の都合で県外の介護施設で暮らしているという方から検診の希望があった。片道3時間かけて器械を持って伺った。「もう3年帰ってない。自宅に帰りたい。」などの会話を交わしながら所定の検査を行った。検査を終えて帰ってくる時には,名残惜しそうであった。結果がnpだったのが幸いだった。

ことば・ことば・ことば

部屋

ページ範囲:P.153 - P.153

 日本のカメラの優秀性が国際的に認められたのは,朝鮮戦争(1950~53年)がきっかけでした。その多くはニコンでしたが,戦場で乱暴に扱われても,ちゃんと機能したのが評価されたといいます。

 当時の日本のカメラはライカを模範にしていました。現在でも名機として評判が高いライカIII型です。映画用の35ミリフィルムを採用することで小型化し,写りがよく,頑丈で,しかも当時としてはかなり安価でした。III型が出たのは1933年ですが,以後8年間で25万台が製造され,当時はカメラの約50%がこれだったそうです。

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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