文献詳細
連載 あのころ あのとき 33
文献概要
蛍光眼底撮影の黎明期
筆者が蛍光眼底造影にかかわったのは,慶應の眼科にいた昭和30年代後半である。当時 教室にあったZeissの眼底カメラを蛍光眼底造影用に改造しようと,フィルターを入れるためカメラ側面に開口部を作ったりしていた。このあと間もなく日大駿河台病院へ移り,引き続き蛍光眼底造影を始めるべく研究を続けた。光源光度の増加,閃光間隔の短縮,フィルターの改造といったたびに,自分自身が試験台になって実験を繰り返した。筆者自身おそらく蛍光眼底造影を受けたのは20回では済まないと思う。
1960年後半に普及が始まった蛍光眼底造影の普及は速く,最初のシンポジウムが1968年,フランスのアルビで,当地の眼科医Pierre Amalicが開催した。このときに私は「日本の眼底カメラ」という演題で発表を行ったが,これが私の国際会議への初めての出席であった。
筆者が蛍光眼底造影にかかわったのは,慶應の眼科にいた昭和30年代後半である。当時 教室にあったZeissの眼底カメラを蛍光眼底造影用に改造しようと,フィルターを入れるためカメラ側面に開口部を作ったりしていた。このあと間もなく日大駿河台病院へ移り,引き続き蛍光眼底造影を始めるべく研究を続けた。光源光度の増加,閃光間隔の短縮,フィルターの改造といったたびに,自分自身が試験台になって実験を繰り返した。筆者自身おそらく蛍光眼底造影を受けたのは20回では済まないと思う。
1960年後半に普及が始まった蛍光眼底造影の普及は速く,最初のシンポジウムが1968年,フランスのアルビで,当地の眼科医Pierre Amalicが開催した。このときに私は「日本の眼底カメラ」という演題で発表を行ったが,これが私の国際会議への初めての出席であった。
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