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連載 あのころ あのとき51
不等像を追って
著者: 加藤桂一郎1
所属機関: 1㈶仁泉会医学研究所介護老人保健施設プライムケア桃花林
ページ範囲:P.426 - P.429
文献購入ページに移動 私が福島県立医科大学の眼科に入局したのは昭和37年(1962)で,教室員も故梶浦睦雄教授を含め数名という非常にこじんまりとした教室であった。ご承知のごとく,梶浦睦雄教授は眼科医というより眼科医療器機の開発に精力的に取り組まれており,日本光学(現・ニコン)の技術陣が教室によく出入りしていたものであった。
保坂明郎先生との出逢い
保坂明郎先生(横浜赤十字病院勤務)に初めてお逢いしたのは入局した昭和37年であり,札幌(北日本眼科学会)で梶浦教授に紹介されて一緒に酒を飲んだ記憶がある。どうも,翌年福島に助教授として招くための布石であったようにも思う。ともあれ,昭和38年に福島に赴任されることとなり,先生との長いお付き合いが始まった。と,同時に個人的な研究テーマとして不等像(保坂先生の学位論文)1)が提示され,個人レベルにおいて眼機能学への関心が育まれることともなった。
保坂明郎先生との出逢い
保坂明郎先生(横浜赤十字病院勤務)に初めてお逢いしたのは入局した昭和37年であり,札幌(北日本眼科学会)で梶浦教授に紹介されて一緒に酒を飲んだ記憶がある。どうも,翌年福島に助教授として招くための布石であったようにも思う。ともあれ,昭和38年に福島に赴任されることとなり,先生との長いお付き合いが始まった。と,同時に個人的な研究テーマとして不等像(保坂先生の学位論文)1)が提示され,個人レベルにおいて眼機能学への関心が育まれることともなった。
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