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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科6巻1号

1952年01月発行

雑誌目次

綜説

色感に就て—第5回關東眼科集談會特別講演

著者: 馬詰嘉吉

ページ範囲:P.1 - P.11

 先づ色覺の生理と色彩學の大要を述べて,私の教室に於ける色感に關する仕事に及ぼすこととする。

腦底蜘網膜炎と眼

著者: 淺山亮二

ページ範囲:P.12 - P.14

 脳底の限局性蜘網膜炎は歴史的には1904Nonneの記載にかかるPseudotumor cerehri或は漿液性脳膜炎(1897.Quinke)と稱せられていたものの中に宏く包含せられていたもので,其後1919に至つてLutzは,Pseudotumor cerebriの中には癒着性蜘網膜炎,又は出血によつた生じた嚢腫の存在する都を記載しているが,其後の研究によつて,脳底の限局性蜘網膜炎の全貌が明かとせられ,而も又之は脳外科の發達に負ふ所が多い。
 其好發部位は視交叉槽が最も多く,次で側槽,脚間槽基底槽,小脳延髄槽等である。

銀海餘滴

眼科醫の知識—梅毒蔓延の現況

著者: 北村包彦

ページ範囲:P.11 - P.11

 梅毒の蔓延に關しては以前から多くの統計的觀察があるが戰時中より戰後にかけて一般大衆及性病の最大感染源をなす特殊業態婦其他國民各階層各職業の有毒率を調査したものは次の如し。

日本眼科醫會の誕生

著者: 瀨木本立

ページ範囲:P.16 - P.16

 10月28日,あいにく東京は朝からの雨ふりで,全國各地よりの眼科の先生方がぬれながら駿河台の日本醫師會館に集りました。東京の人はゆつくり,地方の者は早く,それでも黒澤さん中泉さんはじめ,主催地の世話役はずつと早く,赤いリボンに白の名ふだをつけて,階段を上つたり下りたり,用意萬端とどこほりなく,2時半,7,80名ばかり揃つたところで會は開かれました。司會者は三田博士,座長選擧は拍手の中に黒澤準備委員長ときまり,中泉博士の經過報告,次で議題,會則審議に入りました。會則はすでに地方に送られ,愛知縣でも役員の一部にお目にかけたものとほぼ同じで,眞面目な文句を綴つた23條より成つています,小暮(東京)博士の一読の後逐條審議致しまして,會名は日本眼科醫會と致しました。いつも創立總會でもめる所は役員と會費ときまつているようであります。今度も會費1人1ケ年金百圓が討論の對稱となりました。これは全く無理からぬことで,日夜苦しい診療にあたる身から言えば,目に見えない會が出來たから出資がおこつたことは,まことに痛手でありますが,又一方押しせまりつつある眼科醫の社會的經濟的立場をまもる新しい會の仕事の重大性から言えば,相當豐富な資金を中央に與えておかなければ全く無意義なことになり,而かも原案の百圓では通信費もあやぶまれるので,出席者の多くははげしいヂレンマにおちいりました。

眼科醫の知識—高血壓の治療

著者: 佐々廉平

ページ範囲:P.18 - P.18

 血壓亢進症の大體1000分の3が本的態高血壓症であり殘りの大部分のものが糸球體腎炎でありごく少部分が腎炎以外の腎炎疾患其他に基くものである。この4分の3を占める本態的高血壓病の根本原因が解明されていない今日,劃期的療法の出現を望むことは無理である。故に高血壓の治療についてはここ30年,40年足踏み状態で大なる進歩はないといつて過言ではない。
 著者自身が多年にわたり實行して來た治療法について次の項目につき述べている。既ち高血壓患者の生活改善。高血壓患者の日常食養法,特殊食餌療法,藥物療法,理學的療法,外科的療法等を詳細に説明している。

愛知縣眼科醫會々則(昭26.6.24改訂)

ページ範囲:P.21 - P.21

第1條 名稱及事務所
本會を愛知縣眼科醫會と稱し事務所を名古屋に置く
第2條 目的
本會は本縣眼科醫師相互の懇親を計ることを目的とする

檢眼レンズ—日本工業規格

ページ範囲:P.26 - P.26

 1.適用範圍 この規格は檢眼および眼鏡送定に用いる檢眼レンズ(以下檢眼レンズと呼ぶ)に適用する。
 2.種別檢眼レンズはレンズの數により1種および2種に分ける。

東京眼科醫會會則

ページ範囲:P.47 - P.47

第1條 本會は東京眼科醫會と稱し,日本眼科醫會の東京都支部を兼ねる
第2條 本會の目的 醫道の昂揚,公衆衞生の啓發指導,醫學醫術の向上發展,社會保險の健全な發達,會員相互の親睦及び福祉増進

眼科醫の知識—グルタミン酸

著者: 杉靖三郎

ページ範囲:P.56 - P.56

 これは蛋白質をつくる重要なアミノ酸の一つである。魚や肉其他すべての食物のおいしい味の本體はこのグルタミン酸のナトリウム鹽である。このグルタミン酸ソーダが所謂味の素として發賣されているものである。
 この味の素は明治末年頃池田菊苗博士がコンブのうまみを研究してさらにうまみのあるものうまみのあるものと化學的に分析して行つてついに發見したものである。

消息

ページ範囲:P.65 - P.65

 ◇病院の臨床檢査の運營について基礎となる事項に關する知識を交換する目的で,東一の坂口,橋本聖路加,加藤東醫大各病院長が發起人となつて,「臨床病理懇談會」が出來た。これは現在東京都下に限定されているが,やがては全國の病院に普及する豫定で,年に4回位例會を開いて報告するとの事で,第2回を1月下旬に開く。暫定的の會長には橋本聖路加病院長が推された。
 ◇醫師法第6條第3項に基いて毎年12月31日現在を以て届け出るべき醫師のいわゆる現状屆の樣式が,本年末の分から改正されて厚生省令で公布された。今回からその用紙は厚生省にて一括作製し,都道府縣廳に送付された。開業醫たるも,病院の勤務醫,官公廳に勤務する醫師たるとを問わず,1月15日迄に住居地の保健所を經て都道府縣知事に屆け出でなければならないことになつているから,醫師の有資格者は注意を要する。

臨床實驗

一卵性双生兒の一方に現われた網膜色素變性

著者: 靑木豊

ページ範囲:P.15 - P.16

はしがき
 近年遺傳學,優生學の立場から双生兒の研究が活溌になり,三谷氏は一卵性双生児と色神異常との關係,吉村氏は單性緑内障,松原,宮下氏は双生兒のヒステリー性視野,鹽路氏は夜盲症及び共働性斜視,江原氏は双生兒の兩方に來た網膜色素變性,倉知氏は共働性外斜視,水谷氏は調節の類似性,又大塚氏は双生兒の屈折異常,眼瞼裂の遺傳學的觀察を行い,何れもその遺傳性を強調している。
 私は明らかに一卵性双生兒であるにも拘らず,その一方にのみ定型的な而もかなり重症の網膜色素變性を認め他方は全く正常である興味ある症例を經驗したので,その大要を報告する。

診斷の難しかつた角膜疾患の1例に就いて

著者: 岩田千代子

ページ範囲:P.17 - P.18

 僞膜性結膜炎に角膜潰瘍を伴つた症例は文献的には比較的稀である。最近經驗した1例はその角膜症状が甚だ稀に見られるもので診斷治療共に困難を極めたが以下大要を記して大方の御示教を仰ぎたい。
 症例:滿2才。男兒。

接眼レンズによる圓錐角膜の治療

著者: 水谷豊

ページ範囲:P.19 - P.21

緒言
 圓錐角膜の治療法に就ては,古來多數の方法が考案され且實施されて來たが,いずれも確實な効果は期待出來ず,最近吾國に於ても庄司,佐藤氏等による角膜切開手術が主として採用されているが,技巧的な手技を要し,結果的に完全な効果の期待出來ない場合も多い。圓錐角膜そのものゝ發生原因に就ては植物神經系異常,内分泌障碍等いろいろの説があるが,尚不明の點が多く從つて菲薄となり突出した角膜を發生原因的に消腿させる治療法は現在全く考えられない。故にその治療法は當然局所的治療に求めなければならない。著者は結果の不正確な手術的療法よりも,光學理論的に完全である接眼レンズの使用に依る治療を計畫した。吾國に於ては現在迄接眼レンズの入手が困難であつたので,著者自身の考察に依り合成樹脂による接眼レンズを作製し使用した。この新作接眼レンズに依り圓錐角膜患者に豫期以上の成果を得たので,こゝに數例を報告し御參考に供したいと思う。

結核性眼疾眼に對するビタミンC及びK治療(第1編)—壯年反覆性網膜硝子體出血治驗例/結核性眼疾患に對するビタミンC及びK治療(第2篇)—結核性網膜脈絡膜炎治驗例

著者: 淺山亮二 ,   山根甫夫 ,   今野信一

ページ範囲:P.22 - P.26

緒言
 1934年ReichsteinがビタミンC (以下V.Cと略記す)を合成し,又1935年DamがビタミンK (以下V.Kと略記す)を發見以來,次第に藥理作用及びその構造が明らかにせられ,現今諸種の疾患に廣く應用される樣になつた。
 吾々はこのV.C及びV.Kを伴用し,出血,滲出を伴なう種々の結核性眼疾患に應用した。依つて總括してその効果觀察を報告する。

「コーヌス」に關する研究

著者: 百瀨光子

ページ範囲:P.27 - P.47

緒言
 コーヌス(以下「コ」と略記す)は近視眼に密接な關係を有し,從つて近視眼の成因論即ち,眼軸延長説又は屈折説を論ずる際に,「コ」が重要な意義を有するものゝ樣である。換言すれば眼軸延長の結果として「コ」が生ずると考えている樣である。所が「コ」は近視眼のみならず正遠視眼にも見られる。從つて正遠視眼にみられる「コ」を追究しなければならないのであるが,案外廣範圍且詳細な研究はされていない。一般に「コ」に關する研究は,18世紀頃より研究されているが,何れも混然一體的に記述されている場合が多く,「コ」の種類に就て比較検討した文献は殆んど見受けられない。そこで私は各年齡を通じ,主として正遠視の「コ」(以下正遠「コ」と略記す)の形,大いさ,位置,色調等臨床所見を検索分類し且これを統計學的に検討し,更に又組織學的に追究し,いさゝか新知見を得たのでこゝに述べ,皆樣の御批判を仰ぎ度いと思う。

Behcet症候群と思われる前房蓄膿性出血性虹彩炎の1例及びその組織學的所見

著者: 小口昌美 ,   河瀨澄男 ,   吉川史郞

ページ範囲:P.48 - P.50

 Behcetは1927に口腔粘膜のアフタ樣潰瘍陰嚢皮膚の潰瘍及び前房出血性再發性虹彩炎を1つの症候群としヴィールス性疾患とした。本邦に於ては原田氏等の1例,田坂,淸水氏の1例,三宅友松氏の1例の報告がある。又三方氏はTibione使用中現われた同樣疾患を報告しているが比較的稀な疾患に屬する。一方本症候群と類似症状を呈するものに開口部糜爛性外皮症があるが,本症は症状が急劇重篤なるに不拘經過早く豫後も良好で再發はないとされている。所がBehcet症候群として報告されたものは何れも經過極めて慢性で再發の傾向強く難治のもので開口部糜爛性外皮症とは可成りの異つた症候群と解される。
 私共は本症候群と思われる1例を經驗し種々の治療にも不拘再三再發し遂に續發性緑内障を併發し一眼を摘出,その組織學的所見を得たので茲に報告する。

過熟白内障の轉歸に就て

著者: 桑島治三郞

ページ範囲:P.51 - P.53

 通常白内障は4期に區別し手術を適應とするのは成熟期とされているが,手術法細部の改良によつて今日では之と説を異にする人が多い。即ち未熟期の膨脹白内障及び成熟白内障は固より,嚢内全摘出を行うならば敢て期を選ぶ必要もない。唯過熟期になると水晶體の收縮の爲に前房は深くなり,更に一層古くなれば水晶體質の一部石灰沈着乳状化或いは液化が起り,液化した中に核だけが沈降して所謂Morgagni氏白内障と呼ばれ,時には内容が吸收されて不透明な膜だけが残つて膜状白内障を呈することがあり,斯る時期には同時に硝子體の液化,虹彩振盪,水晶體の脱臼,更に續發緑内障などを伴うことがあり,手術に際しても偶發事故に遭遇すること多くその轉歸は端倪すべからざるものがある。

腫瘍状を呈した内直筋炎

著者: 山岸久夫

ページ範囲:P.54 - P.56

 外眼筋の筋炎は稀な疾患で,教科書にもあまり記載がなく,文献上にも病理組織學的に炎症性變化の證明されたものは極めて少い。殊に外眼筋の結核は,著者の探索せる限りでは外國に僅か3例を見るのみで,本邦にはまだ報告を見ない樣である著者は最近,眼窩僞腫瘍の診斷のもとに摘出した組織が,病理組織學的に筋炎であることを確認し,更に組織内結核菌染色法により抗酸性桿菌を検出し,結核性筋炎ではないかと思われる稀例を經驗したので報告する。

臨床講義

眼疾とコーチゾン

著者: 倉知與志

ページ範囲:P.57 - P.59

 最近,腦下垂體前葉ホルモンの1つであるACTH (adreno cortico tropic hormon)とアクスにより刺激されて分泌される副腎皮質ホルモンの1つであるコーチゾンCortisoneとが世界の醫學界の注目を浴びて居り,これらの研究を行つたHench,Kendall,Reichstein諸氏に1950年度のノーベル醫學賞が與えられたことは,諸君が既に御承知の通りである。
 これらのホルモンは,當然のことながら,眼科領域でも利用され出し,當教室でも目下その應用經驗を重ねつつあるが,本日はその中から症例をとり上げ,この新しい藥剤がそれらに對し如何樣な効力を發揮したかを述べ併せてこれまでに得た經驗についても略述してみたいと思う。

談話室

石原先生をお訪ねして

著者: 中泉正行 ,   中村康

ページ範囲:P.60 - P.61

 秋晴れの一日あまり御無沙汰して居りましたので,中泉,中村兩人が相談し醫學書院社長金原市郞氏と共に石原先生の近況をおたづねし,又御高説を拜聽しようと思い早朝東京驛を發し伊東から自動車を馳せて午前10時頃谷津のお宅へ向つたのであります。先生は白哲の老人と言われる御容姿になられたが元氣は依然としてお變りなく午後2時迄次に記しましたような有益なお話しをして下さいました。お庭には赤い百日紅,彼岸花,等が咲きカジカが鳴くと言う小川をひかえ高い裏山を背景にした靜寂な中に心ゆくまで患うものの診療に心をそそぎ又「文化の家」に村の青年の指導に餘生を送られているのであります。
先生は毎日女中さん一人を相手として何から何迄ただ一人で早朝から夕暗せまる頃迄熱心に一人きりて診療に從事して居られます。それで其の模樣を伺いました。

眼科雜誌の初め

著者: 山賀勇

ページ範囲:P.62 - P.65

1)1802年イエナ大學外科教授で翌年からゲッチンゲン大學眼科兼一般治療學教授となつたKarl Himly (1772−1837)はAdam Schmidt (ウィーンJosephin陸軍々醫學校眼科教授)と共にOphthalmologische Bibliot-hekを發刊した。これが世界における眼科雑誌の初めであつたが,同誌は1807年までの間に3部册を出したのみで廢刊の止むなきに至り,
2)更にHimlyは1816年にBibliothek fur Op-hthalmologieの名の下に發刊したけれども,これまた1819年に廢刊となつた。

外文抄緑

Archives of Ophthalmology '51 January-June

著者: 初田博司

ページ範囲:P.66 - P.67

1)網膜剥離と無水晶體眼(C.L.Schepens)
2)輕度の斜視を伴う患者の網膜像融合點(A.Jampo-lsky)

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讀書寸感

著者: 中村康

ページ範囲:P.68 - P.69

 英語の教科書はParson,Duke Elder氏共著のDese.ases of the eye;Gifford Adler氏著のTextbook ofophthalmology;Beren氏篇のThe eye and its de-seases及びDuke Elder氏著Textbook of ophtha-lmologyとが良書として推薦出來る。
1) Deseases of the eyes (H.Parson and S.DukeElder氏著)1948年版(11版)512頁,凡2500圓

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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