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『金匱玉函経』
著者: 中泉行弘1 林尋子1 安部郁子1
所属機関: 1研医会
ページ範囲:P.406 - P.408
文献購入ページに移動『金匱玉函経』は『傷寒論』と表裏をなす書といわれ,『金匱要略』を加えた3書は,張仲景医書として後漢の頃から今に伝えられる貴重な書物である。宋臣・林億らの手によって治平3年(1066)に初刊本が出されており,その林億の序にはこの書が『傷寒論』と同体別名で,やはり王叔和(3世紀)の撰次したものであるが,晋の時代から800年をへだてているので誤りが多い。その文理は『傷寒論』とは不同の点もあるが,その意義はみな通じるからあえて臆断せず,旧によって8巻,29篇,115方として,『傷寒論』とともにこれを存す,としている。
実際,林億らは『傷寒論』に引き続き翌年にこの『金匱玉函経』を世に送り出しており,その重要性を認識していたと思われる。だが,この宋改版が出た後,清朝の康煕56年(1717)上海の陳世傑が刊行するまで650年以上にわたり,この書が出された記録は見つかっていない。我が国においても延享3年(1746),清水敬長によって翻刻されただけで,流布した本は少ないと言われている。ちなみに,この清水敬長は山脇東洋の実弟で,実家を継いだ弟であり,敬長が『金匱玉函経』を翻刻した同じ年に東洋は『外台秘要方』を翻刻している。
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