文献詳細
文献概要
連載 公開講座・炎症性眼疾患の診療・14
交感性眼炎
著者: 北市伸義1 北明大洲1 大野重昭1
所属機関: 1北海道大学大学院医学研究科病態制御学専攻感覚器病学講座眼科学分野
ページ範囲:P.650 - P.655
文献購入ページに移動交感性眼炎は片眼の穿孔性眼外傷,または内眼手術を契機として発症する両眼性汎ぶどう膜炎である。本症と思われる記載はヒポクラテスの時代からあるが,文献としては1830年のマッケンズィ(William MacKenzie)の記載が最初である1)。この原著には「外傷性眼症」として「一眼の外傷後,非受傷眼に交感性に重篤な眼炎症が起こることがある」との記載があり(図1),1835年の同書第2版ではより詳細な病像が記載されている。
その後19~20世紀にかけて,戦争の規模拡大に伴って眼外傷が急増した。特に1854~56年にかけて黒海沿岸のクリミア半島,バルカン半島,バルト海を舞台にフランス帝国(第2帝政)・大英帝国・オスマントルコ帝国・サルディーニア王国の4か国同盟軍と,ロシア帝国・ブルガリア義勇軍とが激しく戦ったクリミア戦争は,多数の交感性眼炎患者が出た最初の戦争である(図2)。日本ではちょうどアメリカのペリー提督,続いてロシアのプチャーチン提督が江戸幕府に開国を要求していた時期である。そのロシア艦隊はフィリピン・マニラ沖でフランス艦隊と遭遇,さらにイギリス艦隊が後を追って長崎に迫る緊迫した状況下で江戸幕府は日米,日露和親条約を締結しており,この戦争は幕末のわが国にも大きな政治的影響を与えた。後述するとおり,交感性眼炎の発症にはHLA-DR4(HLA-DRB1*0405)遺伝子が関与していると考えられているが,地中海のサルディーニア島出身者にはHLA-DR4保有者が多く,サルディーニア王国の参戦もこの戦争で多数の発症者が出た一因である可能性がある。
参考文献
掲載誌情報