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文献詳細

雑誌文献

臨床眼科62巻9号

2008年09月発行

文献概要

やさしい目で きびしい目で・105

帰国子女随想

著者: 五嶋摩理1

所属機関: 1東京女子医科大学東医療センター

ページ範囲:P.1571 - P.1571

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 私が産まれ育ったのはニューヨーク市内である。小学校は,リバーデールの公立小学校(皇太子妃雅子様が一時通っておられた)で,1学年5クラスあり,2年生からは学力別クラス編成であった。さまざまな人種が集まっていたが,大体ユダヤ系が3割,アフリカ系が1~2割,アジア系が1割ほどで,当時ヒスパニック系は少なかった。日本人は1学年に数人いた。授業中,高学年の生徒が低学年の生徒を1人ずつ担当して勉強を教える時間があり,みんな張り切って教えていた。休み時間も“big sister”と呼ばれる中・高学年のボランテイアが低学年の教室に出張して,先生の指示のもとで面倒をみていた。給食はカフェテリア方式で,余ったらアイスクリームのおかわりができるのが楽しみだった。放課後は,ユダヤ人の子はJewish schoolへ行き,プロテスタントの子は聖書の勉強会があり,それぞれバスで送迎があった。カトリックの子は日曜日に教会に行き,聖歌隊に参列した。宗教や民族が違っても,クラス代表として全校集会のときに米国の国旗をもって壇上で国歌を歌う“color guard”になるのが最高の名誉で,私も6年生になってやっと“color guard”に指名されたのが一番の思い出である。

 地元の公立中学校では,小学校で一定以上の成績であれば(上位4分の1程度)2年で中学を卒業できるクラス(SPと呼ばれていた)に進学するかを自分で決めることができた。ゆっくりと中学校生活を送りたいと考える人のほうが多かったが,私はSPを選び,そのおかげで2年後に日本に帰国するときにぎりぎりで卒業できた。成績表は,日本と違い,テストの点数以上に授業中の積極的な発言が重視されていたので,悔しい思いもした。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1308

印刷版ISSN:0370-5579

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