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『聖済総録』
著者: 中泉行弘1 林尋子1 安部郁子1
所属機関: 1研医会
ページ範囲:P.1818 - P.1821
文献購入ページに移動『聖済総録』200巻(1111-1118)は,北宋第8代皇帝徽宗の勅によって成った医書である。当館所蔵の文久元年模写『医籍年表』の政和年間の部分には,本草:『本草衍義』,傷寒:『傷寒活人書』,衆疾方論:『聖済総録』,雑説・記傳・養生・運気:『聖済経』とあり,この時期の医書編纂が盛んだったことを伝えている(図1,2)。
徽宗という皇帝は芸術にかまけ,道教に目を眩ませて政治を誤ったとされる人物である。その悪政ぶりは「政治には熱意がなく,道教を信じ,豪奢な生活をして国費を濫費した」(参考文献6)と表現され,国費を賄うために悪貨を鋳造し,官人ばかりが潤うことになるような新法を施行し,批判を浴びた。さらには道士・劉混康の,宮城東北を高くすれば子孫が繁栄する,という言を入れて風水に適った大規模な造園をするために,全国各地から奇花珍石を集める「花石綱」という事業を行うなど,民を苦しめる要因を次々と作ってしまった。
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