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文献詳細

雑誌文献

臨床眼科63巻12号

2009年11月発行

文献概要

文庫の窓から

『聖済総録』

著者: 中泉行弘1 林尋子1 安部郁子1

所属機関: 1研医会

ページ範囲:P.1818 - P.1821

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掠奪された勅撰医書

 『聖済総録』200巻(1111-1118)は,北宋第8代皇帝徽宗の勅によって成った医書である。当館所蔵の文久元年模写『医籍年表』の政和年間の部分には,本草:『本草衍義』,傷寒:『傷寒活人書』,衆疾方論:『聖済総録』,雑説・記傳・養生・運気:『聖済経』とあり,この時期の医書編纂が盛んだったことを伝えている(図1,2)。

 徽宗という皇帝は芸術にかまけ,道教に目を眩ませて政治を誤ったとされる人物である。その悪政ぶりは「政治には熱意がなく,道教を信じ,豪奢な生活をして国費を濫費した」(参考文献6)と表現され,国費を賄うために悪貨を鋳造し,官人ばかりが潤うことになるような新法を施行し,批判を浴びた。さらには道士・劉混康の,宮城東北を高くすれば子孫が繁栄する,という言を入れて風水に適った大規模な造園をするために,全国各地から奇花珍石を集める「花石綱」という事業を行うなど,民を苦しめる要因を次々と作ってしまった。

参考文献

1)岡西為人:宋以前醫藉攷 三 経方(下).古亭書屋,台北,1936
2)岡西為人:中国醫書本草考.井上書店,1974
3)小曽戸洋:中国医学古典と日本.塙書房,1996
4)傳維康・呉鴻洲(編),川井正久(編訳):中国医学の歴史.東洋学術出版社,1997
5)アジア遊学.No. 64.特集 徽宗とその時代.勉誠出版,2004
6)周藤吉之・中嶋 敏:五代と宋の興亡.講談社学術文庫,2004

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1308

印刷版ISSN:0370-5579

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