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連載 網膜硝子体手術手技・26
裂孔原性網膜剝離(1)―強膜内陥術(1)
著者: 浅見哲1 寺崎浩子1
所属機関: 1名古屋大学大学院医学系研究科頭頸部・感覚器外科学講座眼科学
ページ範囲:P.180 - P.184
文献購入ページに移動はじめに
今日われわれが,ほとんどいかなる網膜剝離をも治癒させることが可能になったのも,先人達の治療法の開発に注いできた,たゆまぬ努力の恩恵を受けているからである。裂孔原性網膜剝離の治療を述べるにあたり,その歴史を振り返ることは意義のあることと思われるので,本題に入る前に簡潔にその歴史を述べたい。
近代的な網膜剝離の治療は,硝子体の牽引により生じた網膜裂孔が網膜剝離の発生機序であると考え,烙刺法により網膜復位が得られるという画期的な最初の報告を1919年にJules Goninが行ってから始まり,それまでほぼ不治の病であった網膜剝離が治療で治るようになった。
その後,眼球壁を網膜に近づける目的で眼球壁を短縮する強膜切除術や強膜短縮術が行われていたが,Ernst Custodisが1949年にジアテルミーと人工材料(ポリビオール)によるエクソプラントを用いた最初の強膜内陥術を始め,米国では1951年にCharles L. Schepensらによって行われた。1965年にHarvey Lincoffがバックル材料にシリコーンスポンジを使用し,冷凍凝固との併用による治療法を開発し,その後インプラント,エクソプラントによるさまざまな術式が考案されたが,シリコーン素材を用いた基本的な流れは現在にまで続いている。
硝子体手術はopen sky法から始まったが,1971年にRobert Machemerにより開発された経毛様体扁平部硝子体切除術が発展するにつれ,網膜剝離の治療も強膜内陥術ではなく硝子体手術を第一選択とする術者がかなり増えてきたと思われる。しかし,硝子体手術による網膜復位の失敗は急速な増殖硝子体網膜症への進行を意味し,安易な治療法の選択により単純な網膜剝離が難治な疾患になってしまう危険性をはらんでいる。
昨今の硝子体手術隆盛の時代にあっても,網膜剝離治療をこれから覚えようという術者にとって,強膜内陥術の習得は基本的で必須の治療法であると思われる。
今日われわれが,ほとんどいかなる網膜剝離をも治癒させることが可能になったのも,先人達の治療法の開発に注いできた,たゆまぬ努力の恩恵を受けているからである。裂孔原性網膜剝離の治療を述べるにあたり,その歴史を振り返ることは意義のあることと思われるので,本題に入る前に簡潔にその歴史を述べたい。
近代的な網膜剝離の治療は,硝子体の牽引により生じた網膜裂孔が網膜剝離の発生機序であると考え,烙刺法により網膜復位が得られるという画期的な最初の報告を1919年にJules Goninが行ってから始まり,それまでほぼ不治の病であった網膜剝離が治療で治るようになった。
その後,眼球壁を網膜に近づける目的で眼球壁を短縮する強膜切除術や強膜短縮術が行われていたが,Ernst Custodisが1949年にジアテルミーと人工材料(ポリビオール)によるエクソプラントを用いた最初の強膜内陥術を始め,米国では1951年にCharles L. Schepensらによって行われた。1965年にHarvey Lincoffがバックル材料にシリコーンスポンジを使用し,冷凍凝固との併用による治療法を開発し,その後インプラント,エクソプラントによるさまざまな術式が考案されたが,シリコーン素材を用いた基本的な流れは現在にまで続いている。
硝子体手術はopen sky法から始まったが,1971年にRobert Machemerにより開発された経毛様体扁平部硝子体切除術が発展するにつれ,網膜剝離の治療も強膜内陥術ではなく硝子体手術を第一選択とする術者がかなり増えてきたと思われる。しかし,硝子体手術による網膜復位の失敗は急速な増殖硝子体網膜症への進行を意味し,安易な治療法の選択により単純な網膜剝離が難治な疾患になってしまう危険性をはらんでいる。
昨今の硝子体手術隆盛の時代にあっても,網膜剝離治療をこれから覚えようという術者にとって,強膜内陥術の習得は基本的で必須の治療法であると思われる。
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