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『儒門事親』
著者: 中泉行弘1 林尋子1 安部郁子1
所属機関: 1研医会
ページ範囲:P.208 - P.211
文献購入ページに移動今,私たちが拠り所としている岡西為人の『中国醫書本草考』1)の金元時代の年表には,「1232年 李杲,『内外障辨惑論』成る,河南に避難」「1243年 張従正『儒門事親』」とある。李杲の生没年が1180~1251年,張従正の生没年が1156頃~1228年と考えられていることを考慮すれば,取り上げる順番を張従正―李杲にしなくてはならなかったが,あえて年表に挙げられた書名の順にご紹介している。
さて,張従正という人物について。字は子和(慣例で「しか」とも読む),号は載人。今の河南省の出身で,代々医業を受け継ぐ家に生まれた。医学の師匠であった劉従益の息子・劉祁が書いた『帰潜志』という本には,張従正は詩を愛し,多くの書を読み,性格は豪放で,酒を嗜んだと伝えられているという。一時は太医院に勤めたが間もなく辞し,陳州の宛丘にて医家として暮らした。そのため,張宛丘という呼び名もある。麻知幾(徴君,九疇)や常仲明(用晦)と交流し,『儒門事親』も張子和が法や論を発し,麻知幾がそれを文にした書物とされている。
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