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雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科7巻11号

1953年11月発行

雑誌目次

特集 眼科臨床の進歩Ⅱ

コンタクトレンズの臨床

著者: 水谷豊

ページ範囲:P.718 - P.723

 Ⅰ.
 コンタクトレンズは,光學的に正しい屈折面を有しない角膜表面に接して用うる,透明な薄い硝子又は合成樹脂製のレンズで,之に依つて,新しい正しい屈折面を作ろうというのが主目的である。この考えは,已に1801年Thomas Youngが,水を滿した硝子管にレンズを取付けて,角膜の彎曲の光學的な缺點を除こうとして,彼自身の眼に應用したのを始めとし,1827年英國のRoyal天文學者のSir John Herschelが透明なゲラチン物質を滿した,半圓形のレンズの使用を提唱しており,1887年には,Saemischの依頼を受けてF.E.Muellerが,眼瞼癌に依る兎眼性角膜炎の豫防のために,薄い硝子の眼盃を作製して患者に装着したところ,うまく適合して,20年間患者の生存中使用可能であつた。翌年A.E.Fickは,家兎眼及び人屍體の眼から石膏の型をとり,これを自身の眼に装着して研究した,其後August M-ueller(1888),D.Sulzer(1892),W.Stock(1920),J.Dallos(1932)等の研究がなされたが,いずれも,臨床的に充分應用する迄には到らなかつた。
 戰時中米國では,プラスチックエ業の發達と共に,硝子に代る合成樹脂製のコンタクトレンズの研究が新しく生れ,Obrig, Feinbloom等が盛んに新しい型のレンズを考案,試作して漸く臨床的應用に症例を重ねるようになつた。

合成樹脂性水晶體挿入手術

著者: 梶浦睦雄

ページ範囲:P.724 - P.729

 白内障の手術療法はDavielが1745年4月Ho-pital du Saint-Espritに於て行つて以來約200年間に異常な進歩と改良が行なわれた。然し之は手術の前處置,手術方法,或は術後治療の方面であつて,手術が完了した後の色々の障害の除去と云う點では,昔も今もたいした變化は無い樣に思はれる。即ち無水晶體眼,殊に片眼の患者の苦痛を輕減する何等かの試みは殆んど無いと云つて良い。
 無水晶燈眼の缺點若くは苦痛として次のものが擧げられる。

不等像視檢査法と臨床

著者: 大塚任 ,   保坂明郞

ページ範囲:P.730 - P.740

Ⅰ.沿革
 不同視では左右網膜上に等しい網膜像が形成されないことは夙にDonders (1864)が認め,前世紀後半に於て多くの眼科醫が,かゝる非相稱を實驗的に證明し,これから起り得べき臨床的關聯を論じた。Cattaneo (1927)は眼の前焦點に矯正レンズを置くことによつて,非正視に於てレンズの存在に由來する像の大きさの相違は等しく出來るとした。しかし不等像視(Aniseikonia,以下「ア」と略記)として理論的並びに臨床的に1つの獨立した體系を確立したのは,Adelbert A-mesである(1932)。以後主として米國のDart-mouth Eye Instituteで後繼者による精密な研究が成され,視機能に廣汎な問題を提供するに至つた。

位相差顯微鏡Phase Contrast Microscope (PM)に就て

著者: 淺山亮二

ページ範囲:P.741 - P.749

 近世顯微鏡が發明せられて既に3世紀を經過したが,更に亦,其分解能を超えて微細に亙る生物學的研究を訂能とする爲には,紫外線や電子線を利用しての紫外線顯微鏡,電子顯微鏡が考えられて居る。然し一方細胞や微生物を生きた儘で鏡見して其微細構造を知り度いと言う希望に對しては上述の方法は解決を考えて呉れない。從來の顯微鏡でも絞りを極度に絞る事に依つて,或は廻折光のみを利用する暗視野装置に依つて多少は此望を叶える事が出來たが,染色標本と比肩し得る程の検索効果は與えて呉れなかつた。此處に此要望に答えて現われたのが,位相差顯微鏡PMである。之に因つて細胞の微細構造を自然に近い状態で正確に觀察し得,殊に特殊固定,特殊染色に因らなければ見得なかつた微細構造を自然に近い状態で觀察出來る樣になつた。此處にPMのもたらせた大きな意義がある。此領域の研究は,眼科方面では尠く,我々(淺山,松山,中島,山元)は,昭和25年近畿眼科學會に於ける發表以後一連の研究成績を發表して來たが,他に昭和25年,水野,昭和26年横山,1951 I. Francois&M. Rabaeryの報告が之と前後して現われた。
 今其歴史を略述すると其源はAbbe (1892)の顯微鏡像の生威理論に萠芽して居,Bratuschek(1892)は此理論を實驗的に立證した。

組織の薄切法—超薄切片の話

著者: 池田一三 ,   絹笠秀雄 ,   藤原忠

ページ範囲:P.750 - P.754

 超薄切片法とは厚さ0.1μ以下の切片を作ることであつて,この樣に薄い切片は專ら電子顯微鏡に用いるためのものである。この超薄切片法の研究は歐米においては長足の遙歩をとげ,わが國においても,最初やや立ち遲れの感があつたが,この數年來かなりの進歩を見ている。
 現在の光學顯微鏡用切片は大體數μが限度であるから,その數十分の1程度の切片を作るということは,それ程容易なことではないが,電子顯微鏡で充分よいcontrastを保持しつつ50Å程度の解像力を發揮するためには,是非この程度の切片を作らねばならない。そのために特別の工夫を必要とする。われわれはまだ經驗が淺いので適確なことはいえないが,とも角一應の紹介を試みることにしよう。

電氣泳動法に就て

著者: 菅一男 ,   中西寬

ページ範囲:P.755 - P.760

 19世紀の始めにロシヤの物理學者Reussは濕つた粘土中に2本のガラス管をさしこみ,管の中に水を滿し,電極を入れ,電流を通ずると陰極のガラス管内の水は透明なるに,陽極のガラス管内の水は乳濁する事によつて,此の際,粘土の粒子が陽極に移動する專を見出した。此の樣にコロイド溶液中に直流電壓を加え正に荷電した粒子が陰極に,負に荷電した粒子が陽極に向つて移動する現象を電氣泳動(Electrophoresis)と稱す。
 電氣泳動の測定に於て最も根本的な問題は如何にしてコロイド粒子の移動を觀測するかである。勿論直接肉眼的には見えないから適當な工夫が必要で,その方法にしたがつて電氣泳動の實驗は大體次の3つにわけられる。

アイソトープの眼科的應用

著者: 池田一三 ,   古味敏彦

ページ範囲:P.761 - P.766

Ⅰ.アイソトープの利用にいたるまで
 同位元素(lsotope)とは,原子番號(AtomicNumber)が同じで,質量數(Mass Number)の異る元素同志のことをいう。原子番號が同じということは,原子の外廓をなす電子の配列が同じである,すなわち化學的性質が全く等しいことを意味する。つまり,質量が異るにかかわらず化學的には區別をつけられない元素同志をさすのである。
 物理學の方から見ると,同位元素の利用は應用原子核物理學の一部門を構成しているが,今日では,醫學・生物學にも廣大な領域を占めており,Biological&Medicel Physicsといえば直ちにこの部門を指すほどである。その母胎をなす核物理學(Nuclear Physics, Kernphysik)は,1898年,パリーの雨もりのする物置小屋から生れた。すなわちH.Becrquerrelがはじめてウラニウム鑛石の發する伸秘な放射線を寫眞乾板で受け止めてから2年目に,Marie&Pierre Curieがピッチブレンドを根氣よく碎きかきまぜつづけた揚句,ラジウムを取り出したのである。そして早くも3年後には,ラジウムがLupus Erythematosusの治療に用いられ(Daulos&Bloch,1901),放射性物質の醫學への應用が始まつている。

開頭術の臨床

著者: 井街讓

ページ範囲:P.789 - P.798

第1章開頭の對像
 如何なる腦腫瘍も未だ内科的には治癒せしめ得ないのであるから,我々は何とかして之等を1人でも多く外科的に治癒又は輕快せしめねばならない。中田,荒木,田中淸水等諸教授によりDandyCushingの流れを汲む近代腦外科が我國に輸入されてやがて20年にもなろうとしているのに,我國では,今日迄尚大多數の腦腫瘍患者が希望もなく暗から暗に葬られて來た。確かに我國の腦外科は米獨佛等に遲れて緒に就きはしたであろうが前記大先覺の開拓者的努力に依り,戰後驚くべき發展を示し,腦神經外科學會の如きも逐年,夥しい會員を加え,盛況の一途をたどつて居り,神經學を身につけた眞の腦外科醫の先生達の手術を目のあたり見學して來た私共には,腦外科はも早夢ではなく,又,小手先丈の技でもなく,理路整然,正確な診斷に從つた,最も體系立つた學問であり今日に於ては,術前に腫瘍の形大さ,擴り,病理診斷迄も立てた上,豫後迄も,既に先人の精細な記録と經驗により見通しての上で,なされる程に立到つたので,多くの場合,何等の危懼なく,又腦腫瘍の中でも是々は當然手術を第1に考えるべきであると正當な判定に從つて開頭手術に立向う迄に進歩した臨床醫學となつている。然し乍ら,現今私の知つている限り,甚だ多くの醫人が,又時には大學臨床に於てさえも,腦外科手術を極端に恐れ,依然としてX線療法のみに終始し,内科,精神神經科,眼科等に於ても徒らに失明を見送つているのである。

腦下垂體移植の眼科的應用—特に網膜色素變性に就て

著者: 高安晃

ページ範囲:P.799 - P.808

 腦下垂體移植を初めて行つたのは1933年Rue-der u. Wolffで腦下垂體性疾患即ち尿崩症等に應用した。吾國では中教授が1949年行い發育機轉の再生,老衰の防止,性的神經衰弱症,體質の改善等に有効な事を報告した。吾眼科領域では網膜色素變性症に神鳥氏,その他各大學,病院等で行つて好結果を報告した。吾眼科教室では昭和25年10月來今尚手術を經續しているが本年7月迄に102例の經驗を經て一應網膜色素變性症にこの方法が適應症として適當である事が證明されたので茲に報告し尚更らに研究を續け進歩的な方法に何かの指針でも得られるならば甚だ幸である。

トラコーマの化學療法

著者: 靑木平八

ページ範囲:P.809 - P.818

 トラコーマ(以下トラと略す)の化學療法については既に多數の報告があり,オーレオマイシン(オーレオと略す)及びテラマイシン(テラと略す)の著効あることは改めて述べるまでもない。然しながら以上の諸報告を見ると,その實施方法及び成續は極めて區々であつて未だに明確な結論を見出し得ない。三井助教授によれば,昭和27年3月のWHO (世界保健機構)のトラ會議では,まず1%オーレオ又はテラ・ワゼリン(以下オーレオ・ワ,テラ・ワと略す)を1日4回2ヶ月間連續使用し,これで著効を奏しない例に對してはサルフア劑の内服を併用,その他適宜手術又は腐蝕を加え,その後4ヶ年の間にその成績を検討するとのことである。
 私共はこの數年來,群馬縣下各地小中學校のトラ學童に對して種々なる方法により化學療法の効果を比較檢討しつゝあるが,他方においてテラ・ワ及びオーレオ・ワの安定度,オーレオ及びテラ劑の結膜嚢内における濃度の時間的消長をも調べたので,今までに得た結果の概要を述べて諸賢の御參考に供したいと思う。

保護眼鏡に就て

著者: 飯沼巖

ページ範囲:P.819 - P.826

 我々が物を見る場合,眼に入る光はその物を見るに必要な適當量だけでよく,餘分な,過度に強い光,或は紫外線,赤外線等は眼に入らない方がよい。又風塵,異物等が眼に入ると都合が惡いことは勿論である。何故ならば,之等により,視力を害したり,眼精疲勞を招來したり,種々なる眼障害を起したりすることがあるからである。若しこのようなものが眼に入つて來るとき,何等かの方法で,見る爲に適當な量の光だけを透過し,それ以外の過前の光,有害な光線,更にその他の害作用を爲すもの等を遮斷することができれば甚だ好都合である。
 人類は古くより,この爲に,種々なる眼保護具を考按し,使用して來た。例えば,古くネロ皇帝のエメラルドも此の一種と考えられ現在我々の使用しているサン・グラス,熔接用眼鏡,防塵眼鏡防風眼鏡等が夫れであり,防毒面等も,この目的に一部沿つているわけである。

色覺檢査の注意—石原、小口、大熊、各色盲表の此較とその使用時の注意

著者: 馬詰嘉吉

ページ範囲:P.827 - P.831

 色には3つの屬性がある。即ち,色相(又は色調),明度,彩度(又は飽和度)の3つである。この三屬性を基として,色を配列するならば之れを立體的に,順序よくならべる事が出來る。これを色立體と云う。從つて色を考える場合に,色立體の樣に,立體的に考えるのが正しく,又非常に合理的で且つ至便である。色覺の異常の種類等については,後述するが,その種類によつて,色立體のあり方が種々樣々であるのは當然である。しかし,この樣に複雑な色の全體を把握すると云う事は,容易な事ではないので,色覺検査の場合には,一般臨床家にとつて,この樣な事はあまり必要ではない。それで,一般に色覺検査と云えば色覺の極く一部の状態を,とらえて検査し,夫れによつて,被検者が正常であるか,或は異常であるかを知り,又異常があれば,その型及び程度を推察しようとするものである。
 先天性色覺異常者を分類すると次の如くである。

近視

近視の發生

著者: 大塚任

ページ範囲:P.613 - P.625

Ⅰ.近視學説の發端
 近視眼を初めて解剖したのはPaviaの解剖學者A.Scarpa (1801)で,彼は後部葡萄腫をもつ2眼の病理説明をしたのである。後Arlt (1856)に至り,高度近視は眼軸が長い爲に起るという概念をつくつた。これはDonders (1856)により確められ,Schnabel u. Herrnheiser (1895)は,正視及輕度近視の眼軸は同じ程度だが,10D以上になると著明に長くなるを示し,眼軸長は屈折異常を決定する因子のみならず,高度近視の原因であると結論した。眼鏡に關してはMacken-zie (1840)は,凹レンズは近視を重くすると考え,Donders (1858)に至り現在の如き,眼鏡矯正が行われる樣になつたが,完全矯正の重要性を支持したのはEdward Jackson (1856〜1942)で毛樣筋收縮の永續により,水晶體彎曲率増加し近視が發生すると唱えたのはJager (1855) GrafWiser (1927)である。

近視,特に後天近視の發生機構と對策

著者: 佐藤邇

ページ範囲:P.627 - P.632

Ⅰ.記載方針
 私の近視説は數學による論述が多くて困るとの編集者の御注意が有つた。それで成る可く數式を少く説明しようと思う。今迄は結論を得るためにあれこれたどつた回り道を記載した。之も理解され難い一つの理由かも知れない。夫故,結論を先に出して之を支持する理由を後から記そう。

フリクテン發生とマントー反應

著者: 水川孝

ページ範囲:P.633 - P.642

 フリクテン〔フ〕と結核との關係は既に常識化されていると考えていたのに,「フ發生とマントー反應」がテーマになる所以はフの本態について,尚一考を要する問題が殘されているためであろうと思う。その内,私等がかねて研究課題として來たものは,(1)結核初感染症としてのフの意義。(2)フ發生時の個體の反應態度であつた。而してこの問題は次の樣な點から出たものである。アレルギーの研究が進み,その本質的條件は「抗原抗體反應」であり,その程度も生體の組織或は機能に障碍を及ぼす病的過程と規定されるまでに至つたが,未だ抗原とは何か?抗體とは如何樣なものであるか?更に反應の影響をどの程度に認めるべきか等が研究對照としてとりあげられている。が同時に私等はその抗原抗體反應の起る生體の反應態度が,體質的に,自律神經系の状態により.時には臓器夫々に於ても,又所謂下垂體一副腎系の反應樣式上異るのではないかと考える必要があらうと思えるから。
 更に,吾が圖では宮川,獨のNutal,Thierfe-lder米のReynier,北歐のGlimstedt等により進められている無菌飼育動物によるアレルギーの實驗研究が,眼科領域のアレルギーを論ずる場合,殊に重要な解決をもたらすのではないかと考えているからである。

球後視束炎について

著者: 桑島治三郞

ページ範囲:P.643 - P.651

 球後視束炎(=球外視神經炎)の問題ぐらい,昔からわが眼科界を賑わしながら今なおその基礎的な課題にすら未解決な諸問題の山積しているテーマは,ちよつと他に類例が少いと思う。
 このような事實のあるのは,必ずしも學派とか學説のちがいなどによるものだけでなく,その底流に,じつは近代眼科學に對するわが國醫學のうけ入れ方の歴史にまでさかのぼる問題がひそめられている。

網膜血管

網膜黄斑部毛細血管血流の臨床

著者: 加藤謙

ページ範囲:P.652 - P.658

 網膜黄斑部毛細血管の血行に關する知見は,黄斑部が,視器の最も重要な機能をつかさどる部位であると言うにとゞまらず,又網膜の血行から,大腦毛細血管血行の状態を推論し得るとの理由によつても,臨床上甚だ興味深い。然るにこの部の毛細管血流は,その位置的關係から,少くとも生體自然の血行をその位置に於て觀察することを條件とする限り,今尚,内視現象によつて,間接的に探究せねばならない場合が多く,而も内視的觀察にあたつては,主觀的因子の排除に徹底しがたく,又客觀的な大數觀察を容易に行いえないと謂う,かなり重要な障碍に遭遇するのである。
 内視的血流に關する研究が,Boissier de Sauva-ge (1755)の最初の記載以來,既に古い歴史を有するにも拘らず,身體表層(皮膚・粘膜)の毛細管血行に關する研究に比して,著しく遲れているのは,これがためであろう。併しながら,上に述べた網膜に於ける血流觀察の重要性を考えるとき,内視法に伴なう缺陥をを意識しつゝも,かゝる方法で得られた成果の若干に就て,概觀と評價を試み,又將來の2,3の問題に就て論ずることも,無意義ではないと考えられる。

網膜及び葡萄膜の血壓比と臨床

著者: 大橋孝平

ページ範囲:P.659 - P.671

 高血壓,低血壓その他種々の眼底血壓障害の際の網膜と葡萄膜との各種血壓比を檢討した臨床的觀察は從來内外に殆んど見られない樣である。著者等の所ではこの問題に就ては數年來より種々検討しているので,いま大要を述べよう。
 高血壓の際に網膜中心動脈血壓(以下RA壓)に亢進を認めることは已にBailliart氏等の多くの記載があつて,吾國でも植村,菅沼,長谷部氏等多くの報告があり,殊に頭蓋内高血壓に際してもEspildora,菅沼,植村諸氏はRAと上腕動脈血壓との最大,最小血壓比を検討し,廣義頭蓋内高血壓では最大血壓がRAで亢進し,その上腕との比は0.65以上を示すとし,腦壓上昇があれば最小血壓比が高くなるとし,菅沼氏は時には局所高血壓の始めは眼球内高血壓と稱すべきものもあると述べているが,一方Fanta氏は局所的の低血壓として頭蓋内低血壓の存在をも記載している。

網膜血管徑の計測と類症鑑別—特に蛋白尿性綱膜炎の由來の鑑別に就て

著者: 三國政吉

ページ範囲:P.673 - P.682

 種々の眼底疾患の場合に網膜血管徑に變化が現はれて,血管が太かつたり,細かつたりすることは検眼鏡所見のうちで一つの大事な所見であるがこれを只觀た感じで論ずることは甚だ不確實なことで,正確には計測によるべき事は申す迄もない事で,血管徑に限らず,すべてものを科學的に觀察するためには現はれた變化を量的に數字で取扱う必要がある。このような見地から私はここ數年來眼底,就中その測微計測に屬する網膜血管徑の計測に就ての研究を進めつつあるものであるのでここでは教室で行つている方法を紹介し,從來この方面の研究のうちでも興味深いものと考えられる蛋白尿性網膜炎の由來の鑑別の問題,即ちその綱膜炎が慢性腎炎に由來するものか,惡性腎硬化症によるものかの鑑別が可能なりや否やの問題に就て若干述べてみたいと思う。

眼血壓の臨床

著者: 植村操

ページ範囲:P.683 - P.689

 眼血壓測定の意義,或はその重要性等については,今更云う必要もない筈であり,而かも之は單に眼科醫のみの取扱う問題ではないにも拘らず,一般醫家は眼科というものを餘りにかけ離れたものと考えることから,眼血壓というと之は眼科醫のみが取扱う問題で,自分等には,およそ縁遠いものと考える人が多い。眼底検査によつて得られる所見の多くは,全身病の診斷に,或はその豫後判定に對して如何に價値あるものであるかは最近漸く認識されて來たが之さえも眼科醫にたよつている状態である。之から考えると一般醫家が眼血壓を測定するなどは末遠いことのように思われるが,之は是非早く實現してほしいことである。それには先ず全眼科醫が,その價値を充分に認識して,卒先して,之を實行しなければならない。
 その測定法とか,その意義の大要については本年の日眼總會の特別講演に於て述べたが,その内の實際の測定法等について,少し詳しく述べることゝする。

腦血管硬化と眼

著者: 樋渡正五

ページ範囲:P.690 - P.700

 腦の血硬管化と高血壓,ひいては動脈硬化と腦溢血,腦栓塞,腦血栓即ち腦卒中は古來多數の學者によつて極めて緊密な關係があるとされ,數多くの研究業績が發表されている。然るに吾人は直接に腦に分布する血管を觀察する手段を持たず,腦血管と全く同一性質の眼動脈がここに於て唯一の腦の窓として我々の眼前に現われる。而も網膜血管は吾人が直接精細に觀得る數少い循環系の1であることによつて,我々は腦血管硬化を網膜血管に於て殆んど直接的にと言つてもいい位の意味に於て觀察し得ると考えて誤りはないであろう。この意味に於て私は表題に掲げた「腦血管硬化と眼」に就いて,特に眼内の網膜血管との關係に就いて述べ,更に他に少しく言及したいと思うものである。
 洗ず腦の血液循環系に就いては,腦隨はその前部にあつては内頸動脈によつて,後部に於ては椎骨動脈によつて血液の供給を受けている(第1圖)。

網膜の化學

網膜の化學

著者: 小島克

ページ範囲:P.701 - P.705

 網膜の發育過程における2—3物質の推移や,ビタミンB2の移行等を雑然と並べて,教室關係分を採録し,擔當分の責をはたしたい。

網膜の組織化學—附網膜色素變性症

著者: 宇山安夫 ,   山本保固

ページ範囲:P.706 - P.710

 眼は特殊な器官で,角膜水晶體及び網膜といつた透明な組織が存在し,特に網膜は感光機轉の行われる場所として,最も重要な役割を果している。事實,角膜や水晶體が溷濁すると,角膜移植とか水晶體摘出といつた手術がなされているが,網膜に對しては斯樣な侵襲を加えることが許されないのは,網膜の機能がより複雑である證左である。
 網膜は僅か1mmにも足りない薄い膜であるが10層にも區分され實に3種のノイロンが存在している。視紅の分解並びに再生に就て,或は網膜の新陳代謝に就ては化學的に,電氣生理學を應用しては物理學的に研究されて來たが,これ等の方法で得られるのは網膜全層を總括しての成績であるので,網膜の何れの部位にどんな物質が存在しているか,又どんな細胞がどの樣な結びつきをしているか等といつたことは組織化學的に或は組織學的に検索しなければならない。

網膜組織呼吸とホルモン

著者: 倉知與志

ページ範囲:P.711 - P.717

 網膜の諸種變性疾患の發生と内分泌異常との關係については從來から論議されており,また,諸ホルモンは現在眼底病の或る場合に治療のため利用されている。
 從つて,ホルモンが網膜組織呼吸に如何なる影響を及ぼすかを知ることは有意義と考えられるので,當教室でこの點に關し現在までに行つた實驗的研究の結果について略述したいと思う。

結膜

抗生物質の眼内移行に關する2,3の間題

著者: 桐澤長德 ,   德田久彌 ,   近藤有文 ,   小池和夫 ,   太田道一

ページ範囲:P.767 - P.770

 局所または全身に用いた藥劑が,眼球に對してどのような効果をあらわすかということは,何よりもその藥劑が眼の局所にどのような程度に出現するかということにかゝつていることは言うまでもない。勿論,全身的な遠隔作用によつて眼部に効果を及ぼすものも少くはないが,いわゆる「化學療法劑」といわれるものゝ大部分がその局所濃度と効力とが密接な關係を示すことはわれわれの常識となつている。從つて,化學療法を有効に施行するにはこの基礎的な問題を充分に検討する必要があるが,從來このことを系統的に論じた研究は極めて少い。しかもこの問題は化學療法のみならず廣く一般の藥物療法にも連る問題であるからたゞ一つの方法によつて,一つの藥劑のみについて検討してもその意味は少く,種々の方法によつて多方面から究明する必要がある。われわれの教室でもこのことについて種々研究を行つているが今回はペニシリン,アイソトープ等によつて行つた二三の實驗に基いてこのことを考えてみることとする。
 全身的に投與された藥劑の眼組織移行については多くの研究があるが,一般に眼球内えの移行量は極めて少いとされている。殊にペニシリンを初めとする抗生物質の移行性はかなり低いものであることはわれわれが既にくりかえし述べた處である。

トラコーマとアレルギー

著者: 弓削経一

ページ範囲:P.771 - P.781

Ⅰ.トラコーマ・アレルギーの意味するもの
 『トラコーマの病變の中に,トラコーマ・ビールスをアレルゲンとするアレルギーが,ひそんでいる』ということがわかつたとしたら,トラコーマ問題はどの樣になるであろうかということを考えて見よう。トラコーマは,此頃ではトラコーマ・ビールスによつて起る結膜の特殊炎症ということになつている。然しトラコーマは夫れ以上分析せられていない。結核は結核菌による特殊炎症であるが,アレルギーを中心としての分析によつて此樣な定義はもはや定義とはならない所へ來ている。故にトラコーマにもアレルギーが關係しているとすれば,今日のトラコーマの理解の程度はまさに,Pirquet以前の結核についての夫れに等しい。此樣なたとえを持出して來ると,アレルギーを中心としてのトラコーマの分析をすゝめる事はPirquetによつて開かれた結核病學の進歩に似ていると了解せられるであろう。即ちトラコーマにもトラコーマ特異のアレルギーが關係しているとしたら,トラコーマは今日の結核病學にも比べられる展開をうけることになるであろう。
 然し,トラコーマ・アレルギーなるものがあるかどうかは未だわかつていない。此樣な推定が可能であるかどうかという問題が之からのべる事柄である。

結膜嚢及びそれに關係ある角膜の化學と臨床

著者: 筒井純

ページ範囲:P.782 - P.788

 結膜嚢の化學的機能の終局の目的は角膜の透明性を保持して視機能を全うする事にあると云える結膜と云う膜それ自身には,角膜や網膜が營んでいる樣な重要な化學的機能は存しない。即ち結膜に於ては,化學反應自身がその器管の主機能であると云う樣な事はなく,結膜の化學は結膜自身よりもむしろ結膜嚢を形成する結膜,及び角膜とその中をうるおしている涙液の3者について論ぜられるべきである。從つて本編に於ては涙液.結膜,角膜の順に述べて行きたい。

臨界融合頻度

臨界融合頻度と網膜感電性の臨床的應用について

著者: 倉知與志 ,   米村大藏

ページ範囲:P.832 - P.839

 近時,わが眼科領域には視機能檢査法としていろいろ新しい方法が導入せられているが,私達はこゝ數年來,正常眼並びに病眼について,明減する光の臨界融合頻度(明滅の頻度がある大きさに達すると「ちらつき」を感じなくなるが,その限界の頻度。以下之をF-fと記す)及び網膜感電性を検して些か知見を得ているので,こゝにその臨床的應用の一端について概説してみたい。

眼疾患に對するFlicker Fusion Fields.(F.F.F)の臨牀的價値

著者: 宇山安夫 ,   柴田正二

ページ範囲:P.840 - P.848

 我々が不連續光を見た場合に,視覺上に於ては"ちらつき"の起つているのが見られる。今,この不連續光の明暗回數を増加して行くと,或る回轉數に至つて"ちらつき感"は消失し,連績融合した光として感じる樣になる。この點が所謂,臨界融合頻度(critical fusion frequency)である。
 この不連續光に對する融合現象が,視覺物質の光化學的變化,網膜組織構造上如何なる機轉に依つて起つて居るのであろうかと云う事柄については,Crozier1-3),Hecht4),Granit5),Tamsley,Lythgoeその他の多くの人々の詳細な研究があり,又最近の電氣生理學的手技の發達に伴つてE.R.Gの各要素との相關關係について興味深い多くの實験が行われて居るのであるが,今茲でこの問題に就いては觸れない。

緑内障

緑内障に就て

著者: 中村康

ページ範囲:P.849 - P.880

 本論文は私の日本醫大眼科開講25年を記念し教室員が一體となつて研究した「緑内障問題」の成果である。尚研究が續行中の問題も尠くないが其は次ぎ次ぎ補足して行く考えである。

房水流出の臨床的計測

著者: 大橋孝平

ページ範囲:P.881 - P.889

 房水流出に關する臨床的の研究は近來一層盛んであつて,Goldmann氏は眼壓と前毛樣體靜脈壓との差即ち落差を房水流出壓と稱し,正常では平均7.2mmHgであるとし,Loh'ein氏は正常の流出壓を4.2mmHgとした。著者及び堀田等は既報の樣な生體人眼の前毛樣體靜脈(以下CVとす)及び渦靜脈(以下VVとす)の血壓計測法を應用して,正常眼で眼壓とCVとの落差を臨床的に計測して見たが,この値は非常に個人差があつて時間的にも變動し,時に正號,零又は負號を示し,Goldmann氏の流出壓なるものは血壓同樣に常に動揺の甚しいものであることが判つたが,これはAmsler (1931)氏も述べた樣に眼壓と云うものは常に動揺し症例の2/3は3〜16mmHgの變動を示すとした事にも一致している。そこで眼球を一定條件下で壓迫して除壓し直ちに之を計測して見ると眼内血管が擴張を示すと共に,このCV落差は明かに減少して,常に殆んど一定の値を示すことがCV及び眼内血管徑の計測の上からも判明した。これは眼球を壓迫して房水流出を促進させた結果,除壓直後に房水排出の減少する爲であつて落差を逆に考えると,除壓直後ではCV壓と眼壓との差は恰度房水産生と差し引いた房水排出度を示すことになる。そこで須田氏等の方法に從つて眼球を50瓦10分間壓迫した場合は,除壓後30分で房水産生のために正常では眼壓はほぼ原壓に復帰して,CV落差もほぼ初壓に復帰するのである。

緑内障の研究

著者: 赤木五郞

ページ範囲:P.890 - P.896

 古來眼科領域に於て最も難解な問題の一つは緑内障である。現在洋の東西を問わず多數の學者に依つて熱心に研究が進められて居るが未だ全貌を明かにするに至つて居ない。私達の教室に於ても6〜7年前から此の問題の研究に着手して居るが現在迄に明かにし得た點は誠に氷山の一角に過ぎ無い程度である。然し今回臨床眼科編集室より稿を乞われたので,此の機會に眼壓自働調整機能と云う問題に就て,私達の處で得た研究成績を紹介すると共に,此の面より見た緑内障の本態乃至發生原因に就ての私見を申し上げ,大方の御批判を仰ぎ度いと思う次第である。尚茲に取り上げて居る緑内障は總て原發性緑内障に就てのみであつて續發性緑内障及び牛眼には觸れない事とする。

原發性緑内障の手術的療法

著者: 須田徑宇

ページ範囲:P.897 - P.909

 緑内障の手術的療法(註1)をこの數年間の内外の文献から集め,それに私の小經驗を織交ぜて書いてみようと思う。
 抑々,在來から良く行はれている原發性緑内障の手術法はその思想からして四大系統に分けることが出來る。'虹彩切除術Iridectomia (A.v.Graefee 1856)鞏角膜管錐術Trepanatio Sclero-corneae (R.H.Elliot 1909),毛樣體解離術Cy-clodialysis (L.Heine 1905),虹彩嵌頓術Iriden-cleisis (S.Holth 1906)である(この他に鞏膜切除術Sclectomiaの系統がある)。獨逸系の眼科學に於てはこのうち虹彩切除術,鞏角膜管錐術の2種類が廣く施行せられていたようである。即ち急性鬱血性緑内障には虹彩切除を,そして慢性鬱血性緑内障並に單性緑内障には管錐術を施行していた。而して毛樣體解離術は他の2種類に比して効果が不確實又は少いと考えられて來た爲か,一般には特殊な場合のみに施行せられたのである,即ち牛眼(Elschnig,Elliot等),又は他の手術が失敗か,虹彩切除術が困難な場合(Elshnig,Fuchs,Gradle等)に行つている。

ゴニオスコピーと緑内障

著者: 荻野紀重

ページ範囲:P.910 - P.915

 前房隅角視診法(ゴニオスコピー)に就ては既に相當數の論文も發表されて居り,私も其大要を本誌に紹介した事もあるので,成る可く重複を避けて,特に重要と思われる問題について重點的に記載する事にして見度いと思う。

房水靜脈

著者: 淺山亮二 ,   岸本正雄

ページ範囲:P.916 - P.927

 1942年の初頭にアメリカのK,W.Ascherが眼球表面の靜脈にして,その中を房水が流れている脈管のあることを初めて記載し,本脈管をaque-ous veins (房水靜脈,Kammerwasservenen,veines aqueuses,以下本文中ではaq. v.と略す)と命名した。本脈管の發見によつて(彼の記載によれば發見は1941年5月であつたと云う),房水の更新流動に關して永らく論爭されていた持續的流動説,斷續的流動説に對して,前者に對する決定的證明となり,その發見は一應劃期的のものとして敬意を表さねばならない。所が生體顯微鏡が眼科的検査の使用に供されて以來既に長年月を經過し,眼球表面血管の生體顯微鏡的觀察に從事した人も多數あるに拘らず,後述のような特徴的外觀を持つ本脈管が氣付かれずに看過されたと云うことは,Ascherも指摘しているように全く不思議と云う外はない。
 我國に本脈管が紹介されたのは,勿論終戰後漸くにして外國文献を直接閲覽し得るようになつてからであつて,若干數の人々によつて注目の跡が窺えるのは昭和26年以降である。著者の1人岸本も昭和26年の前半以來本脈管の臨床的觀察に從事して,その成績を既に2回に亙つて發表した。

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

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